かわれる世界

異端者

前編 選ばれし者

「あなたは多大な社会貢献により、優良遺伝子と判断され――」

 ない通知がスマホに届いている。

 四十代の男性、私は会社の屋上でそれをぼんやりと眺めた。

 私の子どもが作られる、という通知だ。

 二十年近く前から、自然交配による子作りは禁止となった。

 世界的な人口増加やそれに反する一部の国での少子高齢化――それらを安定した状態に管理するためには、自然交配頼りの人口管理を禁止すべきだという話となった。

 自然交配、いわゆるセックスは禁止され、政府が採取した精子と卵子を交配させて人工子宮で子作りすることとなった。人工的に作られた個体には、精子や卵子こそ作られるが、自然交配は不可能な遺伝子操作がされていた。

 子どもは政府が管理する施設で育てられる。高校卒業まではその施設で過ごし、大学に進学する場合は奨学金のように国から借金をする形になる。

 これにともない、婚姻制度こんいんせいども廃止された。男女全て独身で、可能な限り終身労働が義務付けられた。年金は廃止され、要介護と見なされるまでは働き続けることとなった。

 これらに出産、子育て、専業主婦等の権利を奪う女性差別だという声も上がったが、それらが必要なくなることにより、女性の不利がなくなり男性以上の社会貢献をしてキャリアアップに繋がると女性議員が喧伝けんでんすると黙った。

 かくして、子どもは「作る」ものではなく「作られる」ものとなった。

 もっとも、国ごとの個体数が制限されている以上、その基となる遺伝子は厳選する必要がある。使われるのは国家や社会に一定以上の貢献をしたと判断された者の精子や卵子に限られ、そうなるのは「名誉」だとされ通知される。

 名誉……か。

 風がほおでる。寒々しい空は今にも雨が降り出しそうだった。

 馬鹿げている、と思う。

 人間は工業製品ではない。その数を完璧に管理するなど、できなくて当然だ。

 この制度も、選ばれて喜んでいる奴も、皆馬鹿だ。

「良かったじゃないですか? 今時、なかなか選ばれませんよ」

 同僚の言葉を思い出す。

 何が「良かった」というのか。国にモルモットにされた通知を受け取っただけでないか。

 私はその時の怒りを思い出した。

 そもそも、あれは何に対する怒りだったのだろうか。世界か、国か、自分自身か――考えているうちにぽつりぽつりと雨が降り出した。

 私は独り思案することをやめ、渋々事務所へと戻った。


 その後の仕事は憂鬱だった。雨はすぐ止んだが、私の心は晴れなかった。

 なんとかその日のタスクを終えると、私は駅で電車待ちをする間に実家に電話した。まだ私は、自然交配で生まれた世代だった。

 駅はいていた。ぽつりぽつりと人が居る程度なので、迷惑ではないだろう。

「あらあら、それはおめでたい!」

 母はそう言った。婚姻制度は廃止されたが、それまでに婚姻した者は認められるので父と一緒に住んでいる。私の幼い頃には、まだ「家族」の概念があって、周囲の人間も両親が居るのが普通だと思っていた。

「何がめでたいんだ!?」

 思わず怒鳴るような声になってしまい、少し離れた所に立っていたサラリーマンが怪訝けげんな顔をしてこちらを見る。

「だって、私たちの孫が生まれるのよ! 今の時代、一般人からはそうそう選ばれないのに!」

 私は深いため息をついた。親も……この制度に毒されている。

 確かに「優良遺伝子」と言いつつ、実際には権力者や有名人ばかりが選ばれ、一般人が選ばれることは少ない。ある政治家に至っては三十人以上の子どもが居るとか……近い将来、類似する遺伝子ばかりになり近親交配のようになったらどうするのだろう? まあ、困るのは「お偉いさん」だから、私のような者が気にすることではないが。

「気味が悪くないか? 自分の遺伝子を勝手に使われるなんて――」

 自動運転の電車が来て、そこで会話は途絶えた。


 自宅近くの駅で降りて、闇の中を歩き出した。

 この時期の日没は早い。外はもう暗かった。

 もっとも、近年ではリモートワーク化が進み、毎日出勤を義務付けている企業は少ない。週休四日どころか週休五日もあるという。

 社員の意識は現代的なのに、会社の姿勢は古典的――それは社内でもよく言われていることだった。今時、週休三日で毎日出勤などほとんどない。これを是正ぜせいすべく若手社員は訴えているが、どうせ今の役員では変わらないだろう。

 そう考えると、私の意識もそうなのかもしれない――歩きながら思った。

 政府に精子を提供し、それが使われれば素直に喜ぶ。その方がより現代的だろう。たとえ隷属れいぞくと言われようが、社会の流れには逆らうすべを持たないのだから。

 どうせ「飼われる」のなら、心までそうなってしまった方が幸せかもしれない。

 正直、今の生活に強い不満があるかと言えばそうでもない。ただ、時折生きているのが重苦しく感じられ、所詮しょせん「家畜」ではないかと自嘲気味じちょうぎみになる。

 そう皮肉っぽく考えながら、公園の脇を通り過ぎようとした時だった。

 ベンチに座っている少女が目に入った。おそらく、高校生ぐらいだろう。

 私は声を掛けるべきか迷った。いきなり見知らぬ少女に声を掛ければ不審者と思われるかもしれないが、この寒空の下で放置するのも躊躇ためらわれた。

「こんな時間に、何をしてるんだ?」

 私はできる限り穏やかな声でそう言った。

「別に……」

 少女はこちらをちらりと見たが、そっぽを向いた。

「施設に帰らなくてもいいのか? それとも、もう出たのか?」

「あんな所……つまらないよ」

 少女はこちらを向かずに言った。

「つまらない?」

「そ……つまらない。協調性やら社会性やら、皆と同じようにすることばっかり強いるし……おじさんは、施設育ちじゃないの?」

 ようやくこちらをハッキリと見た。目鼻立ちが整った西洋人形を思わせる顔だった。

「私は、両親に育てられた。多分私の世代は、多くがそうだと思う」

「良いなあ……『カゾク』って言うんだよね、そういうの?」

「ああ、そうだよ」

 そうか、この世代の子は家族を知らないのか。

「私……そんなの、昔の映画の中でしか見たことないわ。お父さんとお母さんが居て、それで……」

「ああ、そうだよ。祖父母が一緒に居ることもある」

「ソフボ?」

「両親より前の代、両親を生んだ両親のことだ」

 改めて、世界は変わってしまったと実感する。

 優秀な遺伝子ばかりを選別して育成すれば、確かに今より良い社会になるのかもしれない。しかし、それは何かが欠けている気がして仕方がない。政府が求めているのは「優秀な人間」ではなく「便利な道具」ではないのかと思えてくる。

「良いなあ……もっと昔のこと、教えてくれる? 今夜、泊めてくれない?」

「…………ここまで話しておいて、駄目だとは言えないな」

 私はため息をついた。

 一晩ぐらい、いいだろう。話しかけてしまった自分の責任だ。

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2025年12月26日 12:07 毎日 12:07

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