大正浪漫? 夫婦契約致しました。

佳乃こはる

第1話 序章

 それはまるで、真っ青なお空に雷が落っこちたような出来事だった。


「ええーっ! こ、輿入れでございますか?」

「うむ、左様。陽毬ひまりちゃん、おめでとう」

 女学校から帰るなり、お父様の書斎に呼び出された私は、思わず大きな声を上げた。

「ど、どうしてまた、そんなに急に? 私、まだ女学校の途中ですのに」

「うーん、それが」

 父は浮かない顔をして対面のソファを立つと、赤と青の入ったモダンなガラス戸の前に佇んだ。


 父、両口屋三之助は実業家だ。

 時は大正。富国強兵、殖産興業が盛んな時代。

 国内外の需要が高まり、品質に定評のあった両口屋の製糸製布工場は順風満帆で、お金ががっぽり舞い込んできた。

 そこで新しいもの好きの父は、熟練職人の手仕事だった工場を一気に改革し、流行りの機械化に踏み切ったのだが──。

 任せた機械屋がヘボだったのか、はたまた単にライバル社に騙されただけなのか。機械は故障ばかりだし、品質は以前とは似ても似つかないものになってしまい、以降両口屋の評判はガタ落ち。取引先が激減するという大惨事に見舞われた……。


 そうなってから、父三之助は慌てて職人を呼び戻しにかかったものの、気づいた時には後の祭り。

 時既に遅く、彼らは皆ライバル社に引きぬかれた後で、戻ってきてくれたのはお祖父様の代から勤めていた、たったの3人という始末。

 浮かない父の表情と合わせ、そんな中で出てきた婚姻話だから、十中八九いい話ではないのだろうと踏んでいたが……。


 私としては、これを尋ねないわけにはいかない。

 ごくりと唾を飲み込むと、腹を決め、ぼーっとしながら口髭を弄ぶ父に尋ねた。

「それでまた……そのお相手とは?」

 父は目を伏せ、口髭を指でつまんだまま言った。

「……成金一家の権藤家だ。そこの子息の『権藤宿禰ごんどうすくね』という男」

「権藤……さま?」

 あまり聞いたことのない苗字だった。


「まあ、お前は聞いたことがないだろう。時世に乗り、急速に力をつけてきた家で、物産会社を営んでる。宿禰はそのご子息で、26歳。何でも、病気療養中だとか」

「成金……ご病気」


 父の言葉を聞いた瞬間、胸の奥がひやりとした。

「あの、このことをお母様は?」

 ひとり娘の婚姻などという重大な話の場に、子煩悩なお母様がいらっしゃらないというのは、いかにも妙だ。

 一縷の望みをかけて父を見ると、父は先を丸くカールさせた髭をぴんと伸ばした。


「無論、真紀江かあさんもこのことは承知しておるよ。ただ――」

「ただ?」

「うん、今日はその……少し調子を崩していてな、奥の部屋で寝込んでいる」

「あー……」


 察した私に、もはや続く言葉はなかった。お母様にとっても、この縁談は相当の衝撃だったに違いない。

 つまりは、愛妻家の父にして、母を持ってしても抗えない重要決定事項であることを物語っていた。


 それでもなお、藁にもすがる思いで尋ねる。

「あの、念のため伺いますが。このお話、お断りすることは」

「……」

 父は、黙りこくってしまった。


 それから、再び目を伏せ語り始める。

「陽毬。儂にとってお前は、齢40にして出来たひとり娘。文字通り、目に入れても痛くないほど可愛い。そりゃあもう、食べちゃいたいくらいだ。しかし」


 父は、沈黙を一瞬だけ置いてから顔を上げた。その目は妙に真剣だ。

「赦してくれい! 儂には両口屋家、十六代目当主としての使命がある。儂の代で家を潰すわけにはいかんのだ。その為には、権藤家の融資がどうしても必要……あわわ」

「ほう」


 つまりお金の約束と引き換えに、目に入れても痛くないほど可愛い私を、訳アリの息子に売ったという訳だ。

 白けた顔の私をチラ見し、父は急にうるうる瞳を潤ませた。

「た、頼む陽毬ぃ! 男、両口屋三之助を、否。両口屋家の未来を救うと思ってこの縁談を受けてくれぃ。ってか、パパを助けてお願いっ。ねっ、ねっ?」

「お父様……」


 父は、たいへんな人誑ひとたらしだ。これまで家柄とハッタリと愛嬌とで、何とかこの変革の時代を渡ってきた猛者だ。

 ついでに言えば、父はたいそうな美男子イケメンだ。その容姿と性格との落差ギャップで、子爵家令嬢であったお母さまをまんまとものにした稀代の色男プレイボーイ


 血は争えぬもので、潤んだ美しい瞳と、どこか間の抜けた動作についに絆されて、私はこく、と頷いてしまった。

 途端、ぱあっと表情が晴れ渡る。

「陽毬や……」

 彼は両の手を広げると、韋駄天いだてんのように私の元に走りより、勢いのまま私をギュッと抱きしめた。


「んー、ありがと陽毬ちゃん大好き。ちゅっ。んー、ちゅっ」

「うえっ、や、やめて下さいお父様。陽毬はもう子どもじゃないんですからっ、やめて気色悪いキモイっ、キモイですからーっ」

「陽毬ちゅわあぁ〜んっ」

 もう、この親父ときたら、本当に無理!


 一度深呼吸をして、乱れた気持ちを整えると、私は必要な情報を訪ねた。

「それで、お父様。お見合い写真や釣書はどこに? 私にも見せていただきたいのですが」

 諦めて腹を括った私は、ハンカチーフで顔を拭きつつ父に尋ねた。


 嫁ぐからには、なるべく相手の情報はたくさん仕入れておきたいものだ。

 蓋を開けてみれば、白鳥文学のような薄幸の美青年イケメンってことだって、万にひとつワンチャンはあるかもしれない。

「ん? あーっと……。ない」

「〝ない〟だとぉ〜?」

「はうんっ」

 思わず父の蝶ネクタイを締め上げた私に、父は奇妙な悲鳴を上げた。


 閑話休題。

「ごほん。その……何でもご子息はご病気で、とても人前に出られない姿らしくって。あれ? どうしたの陽毬ちゃん大丈夫?」

 ご冗談でしょう、神様。

 一瞬で潰えた美青年イケメンの夢。


 がっくり落ちつ私の肩を揺さぶりながら、父はまた甘えた声を出してきた。

「あ、でもでも聞いてよ陽毬ちゃん。パパね、権藤君と約束してきたの。もし陽毬が献身的なお世話を尽くして、ご子息が病から回復したなら」


 父は私の肩に手を置き、嬉しそうに大声を放った。

「この婚姻を解消し、なかったことにしてくれるってさ!」

「え?」


 かくしてここに、私両口屋陽毬りょうぐちやひまりとまだ見ぬ夫、権藤宿禰ごんどうすくねの契約婚が成立したのである。

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2025年12月26日 07:00 毎日 07:00

大正浪漫? 夫婦契約致しました。 佳乃こはる @watazakiaya

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