天使の微笑み  ~麗しき斎藤さんに捧げる六つの物語+1~

oxygendes

奇妙な噂

 その図書館に関して奇妙な噂が囁かれていた。正確には司書の斎藤さんについての噂である。相談窓口で本のコンシェルジュを務めている彼女は複数の人物が日替わりで演じていると言うものだ。顔は同じだが体つきの一部、有体に言うと胸の大きさが違うのだと。ある日はルノワールの描く浴女の如く豊満に、またある日はルカス・クラーナハの描くエヴァの如く慎ましくと。もちろん服の上からの観測であり、じろじろ見つめるような不躾な真似はコンプライアンスが厳しい昨今できる訳がないので、あくまで噂話の域を出ないのだが。

 さて、その斎藤さんはかなりの美人である。真っ直ぐ通った鼻筋に切れ長の目、ふんわりとカールした長い睫毛、俺は皆が高嶺の花と躊躇している斎藤さんとその噂の謎にチャレンジする事を決めた。毎週月曜は図書館の休館日であり、チャレンジは火曜日から始まった。



第1話 火曜日 ~嫉妬の銃弾~


 俺は赤い薔薇の花束を携えて図書館を訪れた。相談窓口の斎藤さんの許へ歩みより花束を捧げる。

「どうぞお受け取り下さい、美しい方」

 斎藤さんは動じる事なく花束を受け取り、俺に微笑みかける。

「有難うございます。でも受け取る理由がございませんわ」

「美しい花は美しい方の傍こそが在るべき場所ですから」

「まあ、そんな事は……。でも、せっかくですのでこの花は館内に飾らさせていただきます」

「そうしていただくと嬉しいです。ところで、海が見える丘の上においしいレストランが先日オープンしました。一度一緒にお食事はいかがでしょうか?」

「でも、はじめてお会いした方とお食事なんて……」

「それでは賭けをしませんか? 俺があなたの」

 話しながら斎藤さんの胸元に一瞬目を向け、すぐに視線を戻す。今日の彼女はルノワールの如くであった。

「魅惑の場所の神秘を言い当てる事が出来たら、褒美として食事を共にできると言うのは」

「まあ」

 斎藤さんは目を丸くして胸元に手を当てる。

「私について益体も無いうわさ話が流れている事は存じております。まったく困ってしまいます」

 俺の目を真っ直ぐに見て、

「あなた、お名前は?」

問いかけて来た。

「矢崎慎司と申します」

「では矢崎さん、可能性を列挙していけば真相を言い当てる事は容易いでしょう。それでは賭けはつまりません。それに女性の身体についてあけすけに話すのは感心しません」

「はあ」

「こう言うのはどうでしょう。あなたは推理を元にショートストーリーを作って私に話す。一日に一つずつ、今日から次の日曜まで。その間に正解できたらあなたの勝ち、一緒に食事をする事では?」

「なるほど。でも、正解できなかったら」

「その時は私がショートストーリーを話す番ですね。こんなのはいかが?

【その悪魔は人間が大好物でした。人間を食べたくて仕方ない。でも神様に禁じられてしまいます。そこで、悪魔は神様と交渉し、一定の条件で人間を食べる事を認めてもらいました。悪魔は人間に謎を出し、人間は六回まで答えられる。正解すれば人間は解放され、正解できなければ人間は悪魔の餌食。そうして悪魔は人間界に忍び込み、獲物を捕らえる機会を狙っているのです。】」

「えっ、それって……」

 俺を見つめる斎藤さんの目が怪しく光った。

「まさか、矢崎さんは悪魔の存在を信じているとか」

「そんな事は無いですけど」

「そうでしょうね。あくまでゲームですし、正解すれば問題ないですよ。では、最初のショートストーリーをどうぞ」


 予想外の展開で言葉に詰まる。だけど美しい女性からのお誘いをつれなく拒む事なんてできない。考えてきた仮説に昨日読んだ雑誌の記事をアレンジし、急いで一つのストーリーを拵えた。

「それでは、


【シンディは憤怒に燃えた。『あの女、仕事一筋みたいな顔をして、陰でこそこそ動いていたのね』と。シンディが憤っていたのは同僚のレイラだ。レイラは昨日、これも同僚のチャールズと交際している事を研究室のメンバーに公表した。シンディもチャールズに好意を持ち何度もアプローチしてきたが、いつもはぐらかされていた。レイラもその場にいたのだが研究に専念し何の反応も示さなかった。『猫を被っていたのね、この泥棒箍』シンディは心の中で罵倒する。猫が三つ被っているのはご愛敬だ。そして、シンディは復讐を決意した。

 今日はレイラが開発した軍用ボディ・アーマーの試験の日。研究室では開発者が試験台になる慣わしだ。シンディが開発したのは軽量型のアーマー、通常弾を防ぐための物だ。シンディはレイラがアーマーを着用するのを手伝いながらその形状を確認する。ベストの様に着用するタイプ、液状の特殊樹脂が内包されていて衝撃を受けると硬化するものだ。胸を覆う部分を手で持つとくにゃりと変形した。厚さも大した事は無い。通常弾は防げても……。

 シンディは射手を買って出た。銃に込める弾丸を秘かに徹甲弾に変える。火薬の量も増やした。銃を構え、レイラの胸に狙いを定める。『思い知れ』シンディは呟きながら引き金を引いた。

ドンッ

 轟音と共にレイラが崩れ落ちた。慌てて駆け寄る研究員達。レイラを抱き起すチャールズをシンディは冷ややかに見下ろす。しかし……

レイラはゆっくりと目を開けた。

「音が大きくてびっくりしちゃった。でも大丈夫よ」

 チャールズに掴まって上体を起こす。

「これは液体の中に新開発の連鎖分子とアンカー粒子を含ませたもの。衝撃を受けると連鎖分子がアンカー粒子に結合して強固な装甲になるの。連鎖分子はね」

 話しながら顔を上げる。

「いつもはゆったり漂っていても必要な時にはしっかりターゲットに絡みついて離さないのよ」

 レイラの目は真っ直ぐシンディに向けられていた。】」


 話し終え、斎藤さんに目を向けると、彼女はくすりと笑った。

「面白いお話ですね。でも……」

 斎藤さんは胸元に手を当てた。

「私のこれが詰め物だと言う推理なのでしょうけど、それは外れ。じゃあ、また明日ね」

 こうして一日目のチャレンジは失敗に終わったのだった。


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