黒曜のパーフェクトミッション
法螺草 蛇内
ユー・ガット・メール
私はとある秘密組織に所属する敏腕エージェントだ。上層部からの指令を淡々と実行する――それがたとえどんなに難しい仕事であっても。それが敏腕エージェントの秘訣だ。さて今日はどんな指令が下っただろうか。
駅東口のコインロッカー32番、いつもそこに組織からの指令書が入っている。ご覧の通り、支給されている鍵でロッカーが開くという寸法だ。何?今どきやり方が古臭い?素人丸出しの意見だな。盗聴やハッキング、便利な機械には危険が付き纏う。真のプロフェッショナルほど、そういった機器は持たないものだ。
どれどれロッカーの中には――なんだ、最新のスマートフォンが入ってるな。む?手紙がついている。
『人件費削減とパフォーマンス向上のため、今後は添付のスマートフォン経由で指令をお送りします。 総務部』
……プロフェッショナルには時として柔軟な判断が求められる。新しい技術を取り入れることも、エージェントとしての力量のひとつなのだ。それにしてもカメラゴツいなこのスマホ。上位機種じゃないのかこれ。
早速支給されたスマートフォンを起動してみる。待てよ、パスコードは……これか。秘密組織の端末のパスコードを本体にテプラで貼るな。
……メールが1件あるようだな。これが今回の指令か、心得た。敏腕エージェントの名にかけて、いつも通り完璧に実行してみせる。テプラを剥がそうと爪でカリカリしながら、心にそう誓った。
今回の指令の内容は、別のエージェントへの情報伝達だ。時刻になったら対象が来るので、指定場所で待機しろ、か。
指定場所は――メール内のリンクをタップすると、地図アプリが開いた。青い丸で現在位置、赤いピンで目的地が表示されている。位置情報が有効になってるの、なんか嫌だな。私、秘密組織のエージェントなんだが……。
メールの末尾には、『内容を確認されましたら、大変お手数ですが空メールをご返信の上、本メールの削除をお願い申し上げます。』とあった。
言われた通り、空メールを返信する――と、数秒も経たぬうちに、スマホがけたたましく鳴る。『ユー・ガット・メール』。新しいメールが届いたようだ。マナーモードにしながら確認すると、
『ご連絡ありがとうございます。
誠に申し訳ございませんが、5月1日〜6日まで休暇のため不在にしております。
7日以降に返信させていただきますので、今しばらくお待ちください。』
――自動応答メールが設定されている。
ゴールデンウィーク長いな。私は土日も祝日もなく働いているというのに。
舌打ちをしながら、任務についてのメールを削除した。
地図アプリで表示された経路に従って、指定場所である商業施設に向かった。適度な喧騒は、秘密の授受には逆に都合がいい。対象を探そうと辺りを見回したとき、ポケットの中で例のブツが振動した。今度は電話のようだ。
「――もしもし」
『あ、お疲れ様です。コードネーム・
「――そうだが」
『こちらコードネーム・
振り返ると、10メートルほど先でこちらに向かって手を振る
メールに書いてあった情報を、寸分の違いもなくトルマリンに伝える。仕事は終わりだ。敏腕エージェントである私は、たとえ同じ組織の同僚であったとしても、必要以上に言葉を交わすことも、親しくなることも決してない。
「てかオブシーLINEやってます?この機会に登録してもいいすかー?」
オブシーって何?私のことか?
『ラインッ!』
夕暮れ時、マナーモードを解除しておいたスマホが通知音を響かせる。
画面を見ると、『トルマリンがスタンプを送信しました』。ゆるい絵柄のマスコットキャラクターが2匹、『これからよろしく!』『ワ…!』とにこやかに並んでいた。
続けて何件かメッセージが届く。
『今日はありがとうございました!優秀な先輩とお会いできて光栄です!』
『オブシディアンさん、今日この後ご都合いかがですか?』
『よかったら一緒に飲みましょう!いい店を知ってるんでお待ちしてます😊』
答えは当然決まっている。敏腕エージェントたるもの、孤高の存在でなくてはならない。
「例の店はこの辺りかな?」
地図アプリで表示された経路に従って、トルマリンから送られた店の近くまで来た。繁華街からは少し外れた場所にあるため、薄暗い街灯に照らされた道には全く人気が無い。
そう――“狩り”には絶好の場所ということだ。
後ろから音もなく近付いてきていた大男の手首を振り向きざまに掴むと、その手から大振りの刃物がこぼれ落ちた。構わず、男の鳩尾に一撃を見舞う。そして間髪入れず視線を後方へ向ける。そこには痩せた男が音もなく迫っていた。手には鉄パイプが握られている。私は掴んだままの大男の身体を、後ろに向かって柔道の投げ技のように叩きつけた。
二人の敵は、もんどり打って固いアスファルトの上に転がった。
「くそっ!気付いてやがったのか!」
大男が毒づきながらよろよろと立ち上がる。痩せた男の方は打ち所が悪かったのか気を失ったようだ。
「
そう伝えると、大男は悔しそうに顔を歪め、懐からスマートフォンを取り出して見せた。スマホの背面には、6桁の数字が大きく印刷されたテプラが貼ってある。
「あいつは今頃これを探してどこぞを彷徨ってるだろうさ」
「なんだ、スマホを盗んだだけだったか。さて、どこの組織の者かは知らないが、目覚めたときには豚箱だ。それまで良い夢を見るといい」
敏腕エージェントは腕っぷしも強くなければならない。私は大男の首に手刀を入れ、その意識を刈り取った。
「もしもし警察ですか?はい事件です。男性2人が揉めたようで、はい、刃物を持ってます。2人とも意識がないです。場所は
スマートフォンが役に立った。あとの始末は国家権力がつけてくれるだろう。
今日も敏腕エージェントとして、任務を淡々と実行した。さて、エージェントたるもの、上層部への報告を怠ってはならない。
メールアプリを立ち上げ、任務の完了と男の襲撃について記す。ついでに
『ユー・ガット・メール』
数秒も経たず、メールの着信音が鳴り響く。
そうか、総務部は休暇中だったな。
私は敏腕エージェント。時として、ただじっと待つことも任務のひとつになり得るのだ。
私は自分にそう言い聞かせ、そして、手に持っていたスマホを地面に叩きつけたのであった。
黒曜のパーフェクトミッション 法螺草 蛇内 @horasou_janai
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