8.分断 ――撃たれなかったことが、罪になる
声明は、正午に出された。
映像も演出もない、簡潔な文書だった。
だが、その一行で十分だった。
――沈黙を続ける○○国は、裁きの連鎖を妨げている
――神の意思を理解しながら行動しない者は、等しく責任を負う
国名が、初めて明確に書かれていた。
作戦室に、ざわめきは起きなかった。
誰もが、来るべきものが来たと理解していたからだ。
指揮官は、文書を最後まで読み、静かに端末を伏せた。
「……攻撃予告ではない」
誰かが言った。
「ですが、免罪符でもありません」
別の誰かが、そう続けた。
その日のうちに、国内の空気が変わった。
SNSでは、意見が一気に二極化する。
――なぜ、神の意思に従わない
――沈黙は、最も卑怯な選択だ
――巻き込まれる前に、立場を示せ
一方で、
――戦争に加担する必要はない
――信仰を理由に人を殺すな
――ここは最後の理性だ
どちらも、自分が正しいと信じている。
そして、どちらも「国を守ろう」と言っていた。
指揮官は、その言葉の重なりに、静かな恐怖を覚えた。
政府内でも、亀裂は表面化した。
臨時閣議。
議題は、防衛方針の再確認。
「名指しされた以上、立場を明確にすべきです」
強硬派の意見だった。
「沈黙は、敵意と解釈される。
神の裁きを支持するか、先制的に備えるか――」
「どちらも、国民を危険にさらす」
指揮官は、即座に反論した。
「支持すれば、共犯になる。
備えを公言すれば、挑発になる」
「では、何もしないのですか?」
その問いに、会議室が静まる。
「何もしない、とは違う」
指揮官は、言葉を選びながら続けた。
「守る。
ただ、それだけです」
街では、小さな集会が増え始めた。
武器はない。
怒号も、まだない。
だが、プラカードに書かれた言葉が、
互いを見えない線で分けていく。
――神に従え
――人を選ぶな
同じ通りの、同じ時間。
それでも、立つ位置が違うだけで、
相手は「理解できない存在」になる。
警備にあたる警官たちの表情も、硬い。
彼らもまた、市民であり、家族を持っている。
誰を守るのか。
何から守るのか。
その答えが、揺れ始めていた。
夜、指揮官は報告書を持ち帰った。
机に広げた資料を、妻は黙って見つめる。
「……名指し、されたんだね」
「ああ」
彼女は、少しだけ眉を伏せた。
「信仰の中にも、混乱がある。
皆、神の名前を呼ぶけど……
同じ神を見ている気がしない」
指揮官は、その言葉に救われた。
彼女は、どちらの側にも立たない。
ただ、人の揺らぎを見ている。
「君は?」
彼は、思わず尋ねていた。
妻は、少し考えてから答える。
「私は……あなたが、
人の顔を見なくなる瞬間が一番怖い」
指揮官は、何も言えなかった。
だが、その言葉は、胸に深く残った。
翌朝、支持率の速報が出た。
政権への信頼は、下がってはいない。
だが、「判断が遅い」という評価が急増している。
遅い。
それは、最も安全で、最も危険な非難だった。
指揮官は、会議室の窓から街を見下ろした。
まだ、爆発は起きていない。
まだ、誰も死んでいない。
それでも、国はすでに二つに割れ始めている。
――神に従うべきか
――人として踏みとどまるべきか
そして、そのどちらにも、
「国を守る」という言葉が使われている。
指揮官は、静かに呟いた。
「……始まってしまったな」
戦争は、
弾が飛ぶ前に、
言葉の中で始まる。
そして一度始まれば、
誰も自分が最初に撃ったとは認めない。
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