夏に沈む宝石

青木ユウ

第1話

 日々最高気温を更新していく夏。太陽が湖を反射してキラキラ輝いている。小学生の頃通っていた水泳教室で、底に沈んだ宝石のおもちゃを取る遊びをしたことを思い出した。透明なビニールのようなものを裂くように潜っていく。幼い私は深く潜ることができなかった。上級生たちが取った宝石を分けてくれたときは、とても嬉しかった。その反面、私ではこの宝石を取ることができない証明のようなものを幼いながらに心の片隅で感じていた。


 スワンボートを漕ぐカップルたち。ベンチで話す老夫婦。鳩に餌をやる子供。白いワンピースの女性。‪風は悪戯に彼女を揺らす。彼女はその度に笑う。まるで風と対話しているように。太陽は分かっているかのように彼女を照らすと白いワンピースは輝きを増して、こちらまで眩しくなるほどだ。被っていた麦わら帽子が悪戯によって湖に落ちてしまった。飛び込もうと意気込む私を彼女は聡明な頭で、スワンボートに乗りましょうという。己の周りの見えて無さに恥を感じ、笑える。


 スワンボートの列はカップルだらけで、ほんの少し子供が並んでいるほどだった。こんな何も無い湖でどんな会話をするのだろう。カップルたちは揺れ動く中、身を寄せることで思いも寄せるのだろうか。子供たちは力いっぱいに漕いで、いかにスピードを早く出せるか没頭するだろうか。


 ボート越しでも水の上を歩くように揺れる。身動きの取れない場所は嫌いだ。それでも、楽しそうに笑う彼女がいるから我慢するしかない。麦わら帽子の場所までどう会話しようかとずっとソワソワしていたのに、いざ乗ると頭が真っ白で。結局、彼女から話しかけられるまで私から話すことはできなかった。彼女との差はどんな時でも遠く、それがまた憧れを彷彿とさせた。今も、あの時も。


 飲食店のバイト先で知り合った彼女は私より先に入っていて、よく業務内容を教えてくれた。物覚えの悪い私に何度も、何度も。よく忘れ物をし、不注意から色々なものを壊す。極めつけには、前日の夜更かしから来る寝不足で、客の食事を目の前で落とす。時が止まるような感覚とは裏腹に、とめどなく流れる汗と「どうしよう」という感情。その場に留まってすぐに行動できないことは、学校で貰う通信簿にどの学年に上がっても書かれてることだった。

 店長からはクビを言い渡され、その日同じシフトの人達からは白い目を向けられる。当然の仕打ちに絶望という気持ちすら湧かなかった。


「私はあなたの考えてから動くところ好きだな。」


 彼女は穏やかにただ真っ直ぐと私に言う。もし神様がいるのなら、私の運勢を全て彼女に渡してください、と思うほどだった。私の運勢など1円にもならないが。そんなことを考えているうちに体は、彼女の手を掴み顔を近づけていた。

 今までのお礼がしたいなんてことを自分の口から出ると思っていなかった。優しい彼女は快く今日を約束してくれた。連絡先を聞くことはしなかったから、お互い口約束でしかなくて、保証なんてどこにも無いのに何故か来てくれる自信があった。

 前日から悩みに悩んだのに、結局黒い服しかなくて、彼女と対比するような格好になってしまった。情けなさに頭が痛い。


 夏は嫌いだ。暑いし、汗はかくし、日焼けもする。涼しい室内で過ごす方が何倍もいい。冬生まれの私にとって、夏は冬と真反対のためか、あまり馴染めないのかもしれない。夏が来る度、冬の凍てつくような寒さが恋しくなる。部屋にいても、外にいても寒いのにこの寒さが心地よくて。

 backnumberは冬に喋る言葉を「言葉が白く目に見えるから」と言っている。私もそう思う。夏は暑さで話したそばから溶けてしまうから。きっと本当に伝えたいことも伝わらないのだと思う。


 いつもの笑顔に日が当たる度、太陽が目の前に現れたようだった。ただでさえ暑いのに胸まで熱くなるとは、本当に厄介だ。


 思い出に耽けては、いつの間にか麦わら帽子の近くまで来ていた。スワンボートが動く度に波たち、追いつけそうで追いつけない距離が続く。まるで私と彼女の関係性のようでなんとも言えない気持ちになった。


 完璧な彼女に私はずっと憧れているし、いつかその全てを知りたいとも思った。バイトがクビになってからも今日まで飲食店には入り浸り、彼女に近づこうとする人たちには彼女の悪い噂を流した。お金を貯めて彼女の持つもの全てを購入した。でも、身につけることはできなかった。きっと私は彼女にはなれないし、畏れ多かった。

 彼女はとても綺麗だから、もちろん男性からもモテた。本当にこれだけは許せなかった。性的な目線で見ていることがしっかりと分かったから。なにより、女性同士ではできないことが出来ることに嫉妬していたのかもしれない。普段私にブスと言ってくるやつらにも彼女を守るためなら強気になれた。憧憬に近いものだと思っていたけど、きっとこれが愛なんだ。


 人はみな産まれたての時に両親からの愛を知る。愛を感じて育つ。愛を与えられて生きる。しかし、成熟した同じ大人から貰う愛、そして与える愛は自分で見つけるしかない。私にとってそれは彼女だった。私は彼女に愛を贈りたかった。


 あと少しで帽子に届く。腕が伸びて戻らなくなるほど伸ばした。指先で上手くこちらに寄せて、やっとの思いで帽子を掴む。急に体が軽くなり、脳が処理する頃には湖に落ちていた。帽子を取るのに夢中で頑張りすぎたかな、と彼女に笑いながら話しかける。彼女はただ、こちらを刺すような視線で見ていた。夏場だと言うのに水は冷たく、寒気を誘う。



「夏芽ちゃんは私の事すき?」


「好きというかなんというか、仲良くして貰えてるので・・・。」


「私は夏芽ちゃんの事どうでもいい人だと思ってるよ。」



 嫌い。と言われないことに安心なんてしなかった。嫌いなんかよりもっと酷い言葉だと思った。私と彼女との間には何も無くて、ただどうでもいいという他人と同じ枠組みに入っていたことに絶望を感じた。今までの頑張りも、憧れも重石のようになって私を湖に留める。彼女は私を置いて岸に向かってスワンボートを漕いでいく。帽子渡せなかったな、と現状の整理をしようと脳は動くが、体はいつまで経ってもそこから動くことはできなかった。耳から微かに聞こえる周りのざわめきも気にならないほどに、心がざわめいている。



 白い天井は目覚めた私の目を痛めつけるようだった。あの後、すぐに行動できないと大人になった今でも通信簿に書かれるであろう私は、周りの人達の優しさで病院へと送られた。頭痛と共に今までの出来事が蘇る。何が気に障ったのか私には分からなかった。


 翌日には退院し、あの飲食店へと向かう。勿論、彼女をひと目見るために。あわよくば話をする為に。昼間から夕方までずっと待っていたが、一向に姿が見えない。もしかしたら今日は出勤日じゃないのかもしれない。

 その翌日、また翌日も私は入り浸った。いつも通り近くで店内の様子を覗いているとき、後ろから男性の声が聞こえる。話しかけられるはずがない。私にみんな興味がないから。


「あの、櫻井さんならもう辞めましたよ。」


 苛立ちを混ぜた声と共に肩を男性の方に引き寄せられる。薄々気づいていた。彼女の出勤する日にちは固定化されてることが多く、それを私は把握していたから。初めは私が来ることを予測して、出勤日をずらしているのだと思い、毎日来ていたが、結局彼女は現れなかった。


「あの、迷惑なので辞めてもらっていいですか。店長が次来たら警察に通報すると言っていました。」


それから少し間を置いて、


「櫻井さん皆さんに謝ってましたよ。」


「謝っていた?謝るべきは私のはず。迷惑行為とは分かっていたが、辞められない衝動を抑えず、入り浸り続けた。」


「そうじゃないでしょう、それも悪いけど。あんたがやって一番酷いのは櫻井さんの悪口言って、孤立させて自分のものにしようという下心でしょう。それに、身につけてるもの全て合わせて、まるで櫻井さんになろうとしてるみたいだった。」


 ため息と共に吐くような言葉たちは、私にとって良かれと思いやったことを否定し悪いことのように誇張して話すものだった。最後の言葉の終わりには気持ち悪いと言いたげな顔をしていた。


「それは違う。私は彼女のようにはなれないし、身につけてない。ただ、同じもの買って満足して、肌身離さず持つことで彼女が近くにいるように感じて。孤立したのだって、彼女を信用できない周りの人達が悪いでしょう?」


 きっと彼も、彼女を信用できていない側の人間だ。私だけが、彼女の味方で、私だけが彼女の理解者で。私だけが。


「そうやって自分のやってきたことを正当化して、周囲が悪いようにする。そんな人間を櫻井さんが好きになるわけない。」


「待って、どうしてそう断言できるの?確かに、ここ数日は会えなかったし、一緒に出掛けた日だって湖の中に私を置いて帰っちゃったけど。私のことを好きでいてくれるから私を置いて、頭を冷やしてって、優しい彼女はそういう思いで。」


 言葉を紡ぐほど、あの日のことを鮮明に思い出し、あの目線が私の心を刺す。喉が詰まり、無理矢理声を出そうとする度震え、視界は滲んでいた。

 分かっていた。現実から目を背いていることも、彼女に迷惑を掛けていることも。それでも、彼女に近づき、そばに居て欲しかった。隣でただ、笑っていて欲しかった。


「俺はあんたがここを辞めてから、孤立する櫻井さんのそばに居たよ。あんたが毎日のようにここに来て、櫻井さんを見て目が会う度に笑うことを気持ち悪いと言っていた。だから、約束した日にケリをつけるって。」


 彼の言葉を聞き、黙って私は家に帰る。帰り道で考えた。彼女は私を好きになることは今もこれからもない。一生をかけても、愛の与え方を知らない私には。この後に及んで、そばにずっといること出来たのは私のおかげだと感謝して欲しいと考える私の卑屈さに腹が立つ。警察に通報されたら二度と会えないどころか、もう既に会えない。


 きっと彼女は私の手が届かないところにいる。この夏、キラキラと反射する宝石を体だけ大きくなった私は手にすることができなかった。


 冷たい夏は私の心に凍りついている。

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