クリスマス・イブの残滓

野木千里

クリスマス・イブの残滓

 クリスマス・イブ前日に彼氏に振られた。

 ばっかみてぇ。


 ケーキを焼こうと思って買ってたホイップといちごは無駄になる予定だ。予約したと言っていたチキンはどうなったのだろう。私たちが食べなくても誰かが買うだろうか。


 何が一番虚しいって、どうせ浮気してるだろうなぁとなんとなく思ってたからだ。そしてどうせバレンタイン前に浮気相手に振られて戻ってくる。そもそも可愛い女の子に本気になってもらえるようないい男だったら、私と付き合ってないだろう。


 スマホとソファだけが友達の男と、ヒステリックに日々のイベントで騒ぎ立てる女。まさに割れ鍋に綴蓋。私たちは別れるべくして別れたのだ。


「麻美ィ、振られたぁ」


 某チキン屋でバイトをする妹に報告すると、電話越しにふぅんと退屈そうな声が返ってきた。


「カス男を大掃除できてよかったじゃん」

「そこまで言う?」

「付き合って3年。彼女はアラサー。プロポーズなし。カスから離れてくれて感謝しなきゃ」


 27歳の彼からの誕生日プレゼントは、私の知らないメーカーのリップとパック。調べてみたら最近流行りのブランドらしく、その時点でなんとなく浮気されていることには気づいていた。


 空しさから目を逸らしたのは私だ。

 その時点でアイツを切れなかったのも私。


 相手だけのせいにするには、私たちの関係はすでにささくれ立ちすぎていた。


「今日の夜ご飯もないんだよ」

「かわいそ。じゃ、私今からバイトだから」


 午後6時。もうそんな時間か。

 流石に夕食を買いに出ないと。


 私はしぶしぶ寝床から這い出してジーンズを履いた。昨日用意してたワンピースなんて床に投げ捨てたままだ。


「高田さんの声面白かったな……」


 泣きすぎて枯れた声で会社を欠勤すると伝えたときの上司の素っ頓狂な声が忘れられない。


 彼女は良い人だが鈍感で、なんでも顔に出過ぎる。今日の会議も提出予定の資料のことも全部忘れて「今日デートじゃなかったの!?」と返ってきた時には笑ってしまった。


 そして「また明日出勤してくれたらいいよ。課長には体調不良って伝えるから」なんてお人よしすぎることだけ言って、高田さんは電話を切ってしまったのだ。

 世の中捨てたものじゃない。


 昨日と打って変わって街は寒くて、店の前のイルミネーションがいつもより澄んで見える。


 やっぱりケーキ屋とチキン屋の前は大行列で、寿司屋でさえ混み合っている。みんなご馳走を食べようとしているのだろう。


 そういえば学生の頃、アメリカ出身の英語の先生が「なぜわざわざクリスマスに学校に来る? クリスマスだぞ?」と捲し立てて休講にしてくれたことがあった。


 彼によると、アメリカではクリスマスにフライドチキンは食べないらしい。多分イエス・キリストもサンタクロースもフライドチキンは食べないんだろうなぁ。


 分かってるけど、フライドチキンのないクリスマスは寂しい。それならショートケーキのイチゴを誰かに譲った方がマシだ。


 言ったところでフライドチキンはもう手に入らないのだけど。

 スーパーでもチキンは売り切れだ。


 そしてなんとなく、こんな日に割引シールが貼られたお惣菜を買うのは癪だった。見栄でいつもより割高のベーコンを買う。調理する気さえ起こらないのにお惣菜を買うのが嫌なんてジレンマだ。


 かなり前に元カレに「なんでパスタばっかり作るの?」と聞かれたことがあった。その時は見栄を張って「好きだから」と答えたが、本音は「レンチンで野菜と肉をなんとなく食べられるから」だった。どうせ浮気されてフラれるなら、かわいこぶってないでそう答えたら良かったな。


 一人で食べるのなら、レンチンでできるパスタはこの上なく便利だった。考えたくない私にとって、パスタは救世主だ。


「あー……」


 慣れた手つきでパスタを耐熱容器に割り入れてから気づく。


「クズは私じゃん」


 何も考えたくなかったから、結婚なんて考えない男となんとなく付き合っていたんだ。本気で好きだったわけでも、結婚したかったわけでもない。


 それが透けたからフラれたのだ。

 ばっかみたい。


 出来上がったパスタを前に、私は呆然とキッチンに立ち竦んでいた。作り慣れたベーコンと適当な野菜のパスタ。お惣菜と何が違うんだろう。こんなもの、クリスマス・イブじゃなくたって食べられる。


 冷蔵庫に放りっぱなしの発泡酒を開けて、飲みながらダイニングにパスタを置いた。

 このままじゃいくらなんでも自分が可哀想だ。


 冷蔵庫からホイップとイチゴを取り出して、ホイップにマーマレードを放り込んだ。どうせ一人で食べるんだ。手抜きしたって誰にも迷惑はかけない。


 ケーキを飾るにはちょっと緩めの生クーリムをボウルのまま机に乗せ、イチゴを申し訳程度にお皿に盛り直す。


 いただきますも言わずに温くなったパスタを食べて外を見る。どこかで煌めくイルミネーションの青が、フローリングに反射して綺麗だ。

 電気もつけずに食事をしていたのか。本当にどうかしている。


 私はやっと部屋の電気をつけて、ダイニングテーブルの前に座り直した。


「ご馳走っていうか残り物だね、これじゃ……」


 一人の部屋に虚しく声が響く。


 ボウルに盛ったままのホイップをいちごで掬って食べる。

 残り物のいちごは思ったより甘くて美味しい。


 目から溢れた涙が机に落ちたので、見なかったフリをして肘で拭いてやった。アンタに私は勿体無かったよ、やっぱ。



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