死に戻りハンターの英雄譚(サーガ) ~「ロード」であらゆるジョブとスキルを継承した俺は、いつの間にか人類最後の希望になっていた~
ころん
第1話
“穴”が開いたあの日、世界は一度終わって、また始まった。
テレビ画面の向こうで繰り返された「ダンジョン発生」という言葉は、今や日常の一部だ。
世界の変化に呼応するように、人間もまた変化した。
覚醒者。
そう呼ばれる彼らの能力は、しかし平等ではなかった。
動体視力が少し上がるだけ。痛みに少し鈍くなるだけ。
大半の覚醒者は、そんな「誤差」のような力しか持たない。
――だが、例外はいる。
炎を操り、空間を断ち、死者を蘇らせるような「英雄」たち。
理不尽なほどの才能を持つ彼らは、文字通り世界を救う主役だ。
ダンジョン発生から7年。
夢見た英雄になれず、暗い穴の中で肉塊に変わる者は後を絶たない。
それでも、僕らはその穴に潜る。
理由は単純。金がいいからだ。
学歴もコネもない人間が、一発逆転を狙える唯一の場所。
命の危険なんて、貧困の恐怖に比べれば安いものだ。
だから今日も、有象無象がダンジョンへ向かう。
欲望と、恐怖と、わずかな希望を背負って。
最初に聞こえたのは、靴底が擦れる音だった。
コンクリートの床。天井の配管。薄い蛍光灯の白い光。
地下駐車場をそのまま“通路”にしたみたいな場所を、十数人の足音がバラバラに進んでいく。
「緊張するな……」
自分の声が、思ったより乾いていた。
僕の名前は、朝霧透(あさぎり とおる)。
ハンター登録して半年、ようやく“実地研修”に通された——ランクDの小型ダンジョン。国の管理下で、監視員付き、初心者向け。そう説明された。
だから、本当はこんなに怖がる必要はない。はずだった。
けど、怖いものは怖い。
ここがゲームなら、失敗してもリスポーンで笑い話になる。
でもこれは現実だ。帰り道のコンビニも、明日の出勤も、ぜんぶ現実の続きにある。
「透くん、大丈夫?」
隣を歩く女性が小声で聞いてきた。
同じ研修組の一人、大学生の明菜(あきな)さん。肩に小さな盾を提げている。盾と言っても軽量の補助具で、いざという時は役に立たないかもしれない。そう思うと余計に怖い。
「……うん。大丈夫、たぶん」
“たぶん”を飲み込めなかった。喉が渇いてる。
先頭では、現場リーダーの男が淡々と指示を出していた。
「入ったら慌てない。叫ばない。走らない。
モンスター出現は基本一体、二体。索敵役が見つけたら前衛が止める。後衛は距離を取って援護」
分かってる。分かってるけど、分かってることと出来ることは違う。
僕は武器を持っていない。
正確に言うと、“武器を買えなかった”。研修用の貸与品はあるけど、鉄パイプみたいな簡易棍が一本。
それを握る手汗が、手袋の内側で滑って気持ち悪い。
その時だった。
奥の暗がりから、カン、と金属音がした。
誰かが落とした?
そう思った瞬間、空気が変わった。湿っぽい匂いが濃くなって、喉の奥に鉄の味が混じる。
明菜さんが息を止めた。
「……何かいる」
小声じゃない。震えた声。
前の方で索敵担当が手を上げる。
「反応あり! 左奥、柱の向こう!」
全員が一斉にそっちを見る。
僕も見た。
柱の影から、黒いものが滲み出ていた。
犬みたいなシルエット。
でも脚の関節が逆に曲がってる。首が妙に長い。
頭が——二つある。口だけがやけに大きくて、歯が白い。
「……うそ」
言葉が漏れた。
目が合った。
いや、目が合った“気がした”。
相手の目は真っ黒で、光を反射しない。なのに、見られている感じがする。
リーダーが声を張った。
「前衛、止めろ! 後衛は——」
そこで声が途切れた。
影が跳んだ。
距離が一瞬で消えた。踏み込みじゃない、“ワープ”みたいな動き。
次の瞬間、リーダーの身体が宙に浮いていた。
柱に叩きつけられる音。
鈍い、骨が砕ける音。
床に落ちたのは、血の塊みたいなものだった。
「え……?」
脳が理解を拒んだ。
人が。
いま、目の前で。
誰かが叫んだ。
「医療班! 誰か——!」
でも、医療班も動けない。動けるわけがない。
影がまだそこにいる。血を踏んで、足音も立てずにこちらを見ている。
僕の足が、勝手に後ろへ下がる。
逃げたい。
逃げればいい。
でも出口は……入口は……どこだ? 来た道? さっきの分岐? 照明が同じで、全部同じに見える。
「透くん……!」
明菜さんが僕の服の袖を掴んだ。
その指が冷たい。震えてる。僕も震えてる。握り返すことすらできない。
影が、また跳んだ。
今度は、こっちへ。
一瞬で間合いを詰めてくる
「——っ」
息が止まる。
僕の身体は動かない。走れない。叫べない。手も上がらない。
“死ぬ”って、こういう感じなのか。
痛みより先に、思考が消える。
目の前が暗くなる。
——と思った瞬間。
視界いっぱいに、赤い文字が現れた。
現実の壁も、床も、血も、全部が一枚のガラス越しになって、その上に文字だけが浮かんでいる。
【死亡ログ】
原因:咬断(こうだん)
部位:頸部
評価:E
備考:恐怖による判断停止/逃走未遂すら成立せず
「……は?」
声が出た。
でも、声は誰にも届かない。
だって僕は——
分かってる。
分かってるのに、認めたくない。
死んだ?
僕が?
首を噛み砕かれた?
そんなの、痛いはずだ。苦しいはずだ。
でも痛くない。苦しくない。
ただ、“死亡ログ”という情報だけが、無機質に視界に貼り付いている。
その次の行が、ゆっくり表示された。
【ログ通知】
再挑戦が可能です
再挑戦?
意味が、分からない。
頭の中で「嘘だ」「夢だ」「やめろ」がぐるぐる回る。
それなのに、身体は勝手に——
「——っ!!」
僕は、跳ね起きた。
蛍光灯の白い光。コンクリートの匂い。
さっきと同じ、地下駐車場みたいな通路。
僕は反射的に首に手を当てた。
噛まれた感触はない。傷もない。服も破れてない。
なのに、さっきの映像だけが脳内に焼き付いている。血の匂いまで。
「透くん?」
明菜さんの声がすぐ隣からした。
生きてる。普通に歩いてる。震えてるけど、ちゃんといる。
「……え?」
前を見る。先頭の現場リーダーもいる。
さっき柱に叩きつけられて、血の塊になったはずの男が、何事もなかった顔で、淡々と歩いている。
背中が冷たくなった。
——世界が、巻き戻ってる。
僕だけが、さっきの“終わり”を覚えている。
視界の端に、また赤い文字が浮かんだ。
【ログ通知】
“本ラン”は続行可能です
次回評価は行動データを参照します
(本ラン……何を言ってるんだ?)
心臓が暴れる。足が震える。
でも周りは誰も気づかない。誰も「今の何?」って顔をしない。
明菜さんが不安そうに覗き込む。
「透くん、顔色……大丈夫?」
僕は、頷くこともできなかった。
喉が鳴る。唾が飲み込めない。
怖い。無理だ。進みたくない。
でも——
さっきのログが、頭の奥で冷たく光っている。
評価:E
恐怖による判断停止
逃走未遂すら成立せず
……それ、僕だ。
情けないくらい、僕だ。
このまま止まったら、また同じ“終わり”が来る。
いや、同じじゃないかもしれない。もっと悪いかもしれない。
でも、止まっても何も変わらない。
「……行く」
声が漏れた。
自分でも驚いた。強がりじゃない。勇気でもない。
ただ——このま何もしないでまた死ぬ方が、もっと怖かった。
二度目(のはず)の突入は、最初より地獄だった。
道の角。柱の影。照明の切れ目。
全部が“あいつが出てくる場所”に見える。
息が浅い。
胸の奥が痛い。
明菜さんも顔色が悪い。誰も喋らない。
先頭のリーダーが言う。
「慌てるな。監視員が上から見ている。異常があればすぐ増援が来る。焦るな」
“すぐに”って、どれくらいだよ。
僕は鉄パイプを握り直す。
滑る。力が入らない。
その時、さっきより少し先で、誰かが足をもつれさせた。
「っ——!」
転んだのは、研修組の少年だった。高校生くらい。
装備が軽い分、慌てて後ろに下がろうとして、躓いた。
影が、反応した。
柱の向こうから、黒い二つ頭が姿を現す。
あの歯。あの関節。あの無音の跳躍。
少年は立てない。
足がもつれて、手を突いて、泣きそうな顔でこっちを見る。
助けろ。
助けろって、誰かが叫ぶ。
でも誰も動けない。動けば狙われる。
——まただ。
このまま見てたら、少年が死ぬ。
そして、僕もたぶん死ぬ。
胸の奥で、さっきのログがもう一度浮かんだ。
評価:E
恐怖による判断停止
——それだけは、嫌だ。
僕は足元の金属片を掴んだ。
壁のネジか、何かの破片。尖っている。
「こっちだ!!」
叫んだ声が、自分のものと思えないくらい変だった。
でも叫ばないと届かない。僕は投げた。金属片が床に当たって甲高い音を立てる。
影が、止まった。
二つの頭が、同時に僕を見る。
(来る)
足が固まる。
でも、完全には止まらなかった。
僕は半歩だけ後ろに下がる。
半歩だけ。逃げるんじゃない。距離を取るだけ。
影が跳んだ。
——その瞬間、前衛の槍使いが横から突っ込んだ。
「今だ!」
槍が影の肩口を貫く。
いや、貫いてない。刺さって止まっただけだ。硬い。
影が吠える。
音が耳を裂く。
二つの口が同時に開いて、涎が飛ぶ。
前衛が踏ん張る。盾が押し込む。
後衛が火花みたいな魔弾を撃ち込む。
僕は——
何もできない。
だから、せめて。
「右! 右から回ります! 少年を引っ張って!」
叫んだ。
震えてる。情けない。でも届いた。
明菜さんが少年の腕を掴んで引きずる。
後衛がそれをカバーする。
前衛が影を押し返す。
数分。
永遠みたいな数分の末。
影は倒れた。
黒い身体が、床に溶けるみたいに崩れていく。
消える前に、二つの頭がこちらを見た気がした。
僕の足が、ゆっくりと崩れた。
ダンジョンの外の光は、やけに白かった。
床に座り込んだ僕の前で、視界の端がチリッと光る。
【討伐ログ】
対象:異界獣(二頭型)
討伐記録:保存済み
貢献行動:誘導/被害軽減
状態:未確定
「……未確定?」
思わず声が漏れた。
評価じゃない。
ランクも出てこない。
ただ淡々と、“保存済み”とだけ表示されている。
少し遅れて、さらに一行が追加された。
【ログ補足】
本ランは継続中です
評価確定はラン終了時に行われます
少年が近づいてきて、震える声で言った。
「あの……さっき、ありがとうございました」
僕は何も言えなかった。
ありがとうと言われるほどのことはしてない。
僕はただ、怖くて、叫んだだけだ。
それでも——
その言葉が胸に落ちた瞬間、少しだけ息ができた気がした。
最後に、赤い文字が静かに浮かぶ。
【ログ予告】
評価ランクは上位領域へ拡張可能(未解放)
次回死亡時、詳細条件が開示されます
“次回死亡時”。
その単語が、背筋を冷やした。
僕は弱い。
強くない。武器もない。経験もない。
でも、このログが見える限り——
僕は、何かに巻き込まれている。
逃げるべきか。
進むべきか。
今日の僕には、まだ分からない。
ただ一つだけ確かなのは。
——僕は一度、死んだ。
そして、戻ってきた。
その事実だけが、首元に残った“見えない冷たさ”として、ずっと消えなかった。
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