第2話 木村美玖は貫きたい
俺の職場を説明すると、少々ややこしい。
肩書きとしては『株式会社リソースデザイン 新規事業班 DXスタッフ』となる。しかし、実際の籍はタカオテクノサービス株式会社という中小企業にある。その理由を端的に言えば、タカオテクノサービスはリソースデザインの子会社だからである。
城南エリアの老舗印刷会社だったタカオテクノは、5年前にERPシステム――企業経営に必要な要素を一元管理するシステム――の開発・販売を主とする大手企業のリソースデザインに買収された。そして半年前、子会社と親会社から人員を2名ずつ出し合い、計4名の実験的なミニチームを作ることとなった。それが新規事業班ことビジネス・デベロップメント・ユニット、頭文字を取ってBDUである。
拠点は東京都港区、田町駅近くにあるリソースデザイン本社だ。3階の開発フロアの一画、小会議室をワークスペースとして使わせてもらっている。真ん中に4人掛けの長テーブルを置き、壁側に2台のPCを対面で配置してある。他は最低限の書類ラックやロッカー、タイムレコーダーのみという、質素なレイアウトだ。とはいえ、ここで主に働いているのは内勤組の2人のみなので十分である。営業組は4階の営業フロアに自席がある。
そして肝心の仕事内容はというと、自動販売機の契約書の電子化事業、となる。飲料メーカーやベンダーの所持する契約書をデータファイル化し専用のデータベースソフトに紐付け、整理・保管する。重要な情報はプロパティ項目に入力しておけば、わざわざファイルを開かなくても確認できる。ゆくゆくはAIによる自動一括処理を見据えているが、教師あり学習用に大量のサンプルケースを用意しなければならず、今は土台を構築している段階だ。
自動販売機は全国に400万台ある。それだけ契約書が交わされているわけで、事業の将来性は高い。塵も積もれば山となる。契約書のような薄い紙でも量が増えればかなりのスペースを圧迫し、検索や資料の取り出しに時間もかかる。そんな困りごとに昨今のDX――デジタルトランスフォーメーションも追い風となって、受注数は堅調に伸びている。
もちろん、その風を読む木村チーフの敏腕ぶりも大きい。
◆ ◆ ◆
「さて、打ち合わせに入りましょう」
トイレで新しいシャツに着替えてくると、木村さんの顔が変わっていた。キリっと研ぎ澄まされている。
BDUメンバーは――まずリソースデザインから、チーフ兼営業担当の木村美玖さん。年齢は俺と変わらない27歳だが、学年は早生まれで1つ上となる。成績も客先からの評判も良く、ユニットのチーフに抜擢された才媛だ。事業の考案から携わっていたらしい。
「あ、その前に美玖さん」
目の前の玉城日菜乃さんが手を挙げた。24歳の彼女は同じくタカオテクノからの出向者で、直接の後輩に当たる。このワークスペースで共にデータ入力・処理業務を行うDXスタッフだ。ただ、俺は業務命令で加入したのだが、彼女はその後で志願してきた。やる気のある後輩は頼もしい。
「晃平くんがいませんけど……?」
その晃平くんとは、木村さん直属の部下の営業担当・松山晃平さんのことだ。年齢は玉城さんと同じく24歳と聞いている。背の高いツーブロックの似合う運動部出身の好青年で、玉城さんがかつて『無添加イケメン』と評していた。なかなか言い得て妙だ。
早い話が、リソースデザインの木村・松山が営業をかけ、タカオテクノサービスの神原・玉城が専用ソフトへのデータ入力処理に勤しむ。BDUは現在そんなフローとなっている。
「松山くんは稟議書とか精算書が溜まってて、総務に詰められてるわ」
「またですか。いっつも、そうですよね、アイツ。美玖さんも弟扱いしてないで、一人前の男として扱わないと。たまにはガツンと言っちゃってください。うちも毎日のように言ってるんですけどね」
玉城さんはあからさまに鼻で笑った。
「まあまあ、そう言わないであげて」
苦笑をさて、の一言で打ち切ると。
「今日一件、新たにベンダーさんと面談してきました。アンテナショップを中心に展開している会社さんです。順を追って話すと――」
今度こそ本題、仕事の時間だ。
「……事情は分かりました」
言いながら、意見をまとめる。
本案件の争点はたった1つ、納期だ。当該のベンダーさんは資料探しのプロだった先代の妻が引退し、電子化に関してはかなり乗り気である。だが、オフィスの引っ越しも考えていて、提示した納期を縮められないかと言っているのだ。
「今着手している案件をストップして、新案件に注力するというのは? 多少融通の利く契約だと伺いましたが」
「いえ、そこは順序を守りましょう」
即答だった。
「万が一順番抜かししたことが知られたら、理由があったとはいえ抜かされた方は良い顔しないでしょう。ビジネスでも礎にあるのは信頼で、今はまだ基礎を固める段階だと思うの。土台が崩れれば長期的な事業の継続は見込めないわ」
「なるほど、異議ありません」
提案はしたものの、チーフならそう答えるとは思っていた。
「その上で、希望納期からどのくらいはみ出そう?」
タカオテクノ本社で契約書のスキャンを行うが、その作業日数は設備の関係で縮められない。データ処理段階で調整するしかない。
「現案件の分量はすでに残り少ないですから、1日当たりの処理数を減らしても予定通りに終わるかと。で、自分は現在1日70レコードの処理が可能です」
レコードとは古い音声媒体のことではない。データベースにおける1行分のデータのことを指す。
「そのうち40レコードを新案件に回します。で、玉城さんは1日50レコード程度ですから、そのうち30レコードを同じく回す。2人で合計70レコードで、登録する文書数が1000とすると、大体14営業日……つまり2日はみ出ます」
木村さんはうんうんと頷くと、小さく歯を見せて笑った。
「さすが神原くんね……オーケー、2日くらいなら話まとめてみせる」
実際のところ、俺なら集中すれば90レコードまで行ける。だが、何事にもバッファ、余裕を持たせた方がいい。最悪、俺が残業すればいい。
「すみません、うちの入力が遅いばっかりに……」
玉城さんが俯き、尻すぼみの声で言った。
「神原くんが優秀なだけよ! Iパスも
「美玖さん……」と、玉城さんはうるうると甘えた目つきになった。
「順序を間違えなければ結果は出るわ。現に、契約年の入力間違いとか最近はめっきり減ってるし」
「わかります!? 先輩がイジワルするから、めっちゃそこ気を付けてるんですよ!」
「え、意地悪? ……神原くん、何か言ったの?」
眉をひそめ、怪訝な顔で俺の方を見る。しかし、誓って言う。
「身に覚えはありませんが」
「えーひどい! 忘れるなんて!」
俺が玉城さんに嫌がらせをしたところで業務が滞るだけだ。何のメリットもない。
「聞いてくださいよ、前に2023年9月の契約を【239年】って入力しちゃったんですよ。そしたら先輩が『239年は、卑弥呼が魏に遣いを送った年ですよ』って言ってきて。これ完全にイジってますよね! ねぇ、美玖さん」
「……それは、神原くんらしいわね……」
目を吊り上げて告発する玉城さんを前に、木村さんは俯いて笑っていた。
「いえ、それは玉城さんに指摘した際『すみません、何時代だよって話ですよねー』っておっしゃったから、正確に答えたまでですよ」
「そんなところで几帳面に知識授けなくていいんですよ! だからトウヘンボクネンジンなんです!」
「そう言われましても、質問には正しく答えるべきかと」
「はいはい、お二人がちゃんと仲良く仕事してるのはわかりました」
木村さんが小さく手を叩き、本日の打ち合わせは終了と相成った。ここから女子陣はいつもの雑談タイムだが、俺は業務に戻る。
「でも美玖さんも真面目ですよねー。営業ならここの納期に合わせろ、だけでもいいのに」
「私の信条は『順序と同意』だから。ひとりじゃできないことをやるんだもの、まずは一緒に働いていく人を大切にしないと。その上で、できることは全力でやる。できないことはきっぱり断る。シンプルにそれだけよ」
「シゴデキっ……ほんまデキる女はちゃうで!」
意味不明な玉城さんの関西弁に、ひとしきり笑いが起きる。
「美玖さん見てます? この犬動画!」
「もちろん見てるわよ! 柴の仔犬はもう日本の宝よね!」
女子トークは止まらない。否応なしに耳に入ってくる。話題はコロコロ変わっていく。
「そういえば美玖さん、マチアプの人どうなったんですか?」
「もー全然ダメ! 価値観合わないってすぐ分かった」
「あー、いきなり分かっちゃったケースですか」
「でも時間ムダにしなくてよかったかな。仕事にはある程度妥協も必要だけど、恋愛は妥協したくないじゃない? 今夜もマチアプで会う予定入れてるの」
「えー! どういう人です? おぉ~お医者さんですか! ……でも」
妙なタイミングで、玉城さんの咳払いが聞こえてきた。
「ほら、案外いい人近くにいるかもしれませんよ?」
その言葉に対し、木村さんは聞くからに芳しくない様子だった。
「職場はねー……私はちょっと遠慮したいかなぁ。周りに言うの言わないのとか面倒だし、気を遣わせるしね。あ、もちろん他の人は自由だし、私が気を遣わせるのがイヤってだけで、本人同士で納得してるなら全然ありだと思うわ」
「……そうですかぁ」
いやにくぐもった玉城さんの返答で、いよいよ女子トークもお開きになったようだ。
「神原くん、ちょっといいかしら?」
「はい」
突如、俺の名を呼ばれた。誘われるまま2人でエレーベーターホールまで出て右の角を曲がり、重いドアの先の屋内階段の踊り場へと着く。
「最近、日菜乃ちゃんと松山くん、仲良いと思わない?」
誰も通らないものの、木村さんは声を潜めた。
「そう言われると、仕事終わりにおふたりでファミレスにいるのを見かけましたね」
「でしょ?」
木村さんはにこやかに右手の人差し指を立てた。
「つまるところ、交際していると?」
「そういうこと」
なるほど。だからさっき、噛んで含めるような言い方をしていたのか。
あり得る話だ。職場恋愛が廃れたとは報道されているが、別に法律で禁止になったわけでもない。
「で、それなら私は応援してあげたいの。神原くんはどう?」
「応援する気はありませんが、妨害する気も嫌がらせをする気もありません。ご本人の自由ですし。何らかのトラブルで業務に支障が出るようでしたら、松山さんとのやりとりは自分に全て任せてもらってもかまいせんよ」
「さすが、話が早いわね。その時は私もフォローするから。年長組としては温かく見守ってあげよ?」
「かしこまりました」
玉城さんが誰と付き合っていようと何とも思わない。相手が既知の人でも全く見知らぬ人でも同じだ。けれど。
「近くにいる人が幸せだと、嬉しいものですよね」
本心からそう思う。悲しみや怒りは本人だけでなく、周りも巻き込んで不安定にさせる。翻って幸せな人は、自立していて周りの手を煩わせない。
いや、俺自身、涙を流す姿をただ見ることしかできないのは、もうたくさんだ。
「それわざわざ口に出して言う!?」
木村さんが噴き出し、小さく手を叩いた。
「神原くんも、何かあったら遠慮なく言ってね」
「エスカレーションするべきことは引き続き報告します」
「違うわよ。ストレス抱えてたら話聞くからねって意味。神原くんだってAIじゃなくて人間なんだから」
「ありがとうございます。木村さんがチーフで良かったと思います」
「真顔で言うのやめて、言われる側が恥ずかしくなるから……」
そしてお互い小さく手を挙げて、年長組は別れた。ワークスペースに戻る。
「――何話してたんですかぁ?」
戻るなり、玉城さんがキーボードの手を止めて聞いてきた。視線が険しい。
入力が遅い件を気に病んでいるのかもしれない。しかし、バカ正直に話すわけにもいかない。
「ちょっと年長組として心構えの話を。具体的な業務の話はしていません」
「……ふーん」
唇を尖らせる彼女を尻目に着席すると。
「言っときますけど、先輩はムリですからね」
「何をですか?」
「『案外いい人近くにいるかもしれませんよ?』って言いましたけど、先輩は対象外ですからね。夢見ちゃダメですよ」
「……ふむ、神原直士では木村さんの恋人として不適格である、と?」
「そりゃそうですよ! 美玖さんはサロンモデルできるくらいの美人さんですよ。顔だけじゃなくて、背が高くてすらっとしたモデル体型だし、メイクもうまいし、小物もおしゃれだし。おまけに超優秀ですからね。市橋大学卒ですよ、あの商学の最高峰と名高い国立の市橋ですよ。才色兼備ってもんじゃないですよ。そう言えば本人から聞いたんですけど、ミス候補にもなったんですって! でも絶対目立ちたくないからって辞退したらしいです。そういう控えめなところも上品な感じがして良いですよね! で、その上めっちゃシゴデキじゃないですか。何がすごいってバリキャリらしい冷たいところ全然なくて、うちみたいなシゴ不デキもフォローしてくれて、マメな差し入れとか細かい気配りまでしてくれるじゃないですか。もう完璧なんですよ。それをですよ、先輩みたいな160センチ台後半の雑マッシュの不機嫌顔じゃ無理ですって! まぁ『誰にも懐かないイカ耳の野良猫』みたいな可愛げがありますし、理屈っぽすぎる『トウヘンボクネンジン』なところも天然で面白いですけど、それは分かる人にしか分からないですからね。美玖さんに似合うのは、例えば『背の高いスポーツマンタイプの年下男子』とかですかね! 第一、同じユニットとはいえ大手勤務なんで収入も全然違うし、先輩は大人しく同レベル女性とくっついた方がいいですよ。堅物なんで、明るくおしゃべりできる150センチ台前半で年下の中堅女子大学卒の子とかいいんじゃないかなってうちは思いますけど」
「なるほど」
元より付き合えるとも付き合いたいとも思ったことはないが、こう長所を並べられるとあらためて木村さんの美しさに気付く。そして、美しさの構成要素には均一性や対称性も当てはまる。
「要は、釣り合わない人とは交際するべきではないということですね?」
「そうです! わかってるじゃないですか~」
「しかしその論で行くと、その明るくおしゃべりできる年下の中堅女子大学卒の人とも自分は釣り合いが取れるとは思えないのですが。明るく学のあることは充分な美点でしょう。それに比べて、自分は外面もイケてない上に性格も『トウヘンボクネンジン』ですよ」
「そこはその……物好きもいるので、あえてめんどくさい人を選ぶ人もいるんです!」
「趣味や嗜好を重視するならば、釣り合いという観点は軽視されることになります。となると、結局当事者同士の恋愛感情に依りませんか?」
ぬっと、パソコンのモニターの上から玉城さんの顔が現れた。眉間に皺が寄っている。
「じゃ、じゃあ聞きますけど、美玖さんのこと好きなんですか!?」
「いえ、別に。上司として頼もしいですけど、好意はありません」
「ならそれでオーケーです!」
サムズアップをする彼女の歯は白く、充実感に満ちていた。結局『神原直士では木村美玖氏の恋人として不適格である』という命題の証明は有耶無耶になってしまったが、発言者が納得しているならば深堀りする必要もあるまい。
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