×リー コードレス クリスマス

赤坂

一話:完結


 和気あいあいとした研究室だった。教授のキャラクターの恩恵もあってか、学生たちも和やかでイベント好きだった。

 同期にAという男がいた。彼とは、アパートの部屋が隣同士だった。自分はといえば、逆隣のCと言う学生とよくつるんでいたこともあり、Aとは挨拶を交わす程度だった。Aは何となくその場でにこにことするのが上手で、その場に調和するのが上手かった。ゼミでもそつなく立ち振る舞い、Cに言わせると「可もなく不可もない男」で、自分も完全に同意の気持ちであった。


 クリスマスが近いともなると、当研究室も賑わいを増す。ホワイトボードには浮かれた学生が「クリスマスまであと〇日」と書きこみ、冷蔵庫には安ワインが忍ばされている。 こういう浮かれ方ができるのも今のうちだし、こうして眺めている分には楽しい。

「君たち、忘れてはいけないよ」 

教授がホワイトボードに書きなぐったのは「卒論提出まであと×日×時間」の文字。「修論の提出期限も書いとくか?」の問いかけには院生たちが縮み上がった。

「こわいねぇ」他人事のように笑うC。

「こわいと言えばさ」ふわりと言葉を被せてくるA。

 こんな風に話に割って入ってくることは今までなかった。Cが怪訝そうにAの表情を伺っている。そんな俺たちの反応をよそに、すい、とテーブルに手を滑らせた。Aが手を離すと、一片の紙切れ。ハガキほどのサイズの紙が、乱雑に半分に折られている。よく見ると、クリスマスツリーの上半分。クリスマスカードだなと理解はしたが、市販のものにしては作りが雑だ。

「これ、俺の部屋のポストに入ってて」

「何これ」 

Cがカードをつまみ上げると、ヒイラギの葉が1枚落ちてきた。そのままCは無遠慮にカードを開く。 茶色ともオレンジとも言えない色のインクで描かれた十字架が描かれている。よくよく見れば赤い付着物もあり、おそらく何らかの果実か木の実を潰して描いたのだろう。そんな歪な色の十字架の周りには規則性のない平仮名が散りばめられていた。

「君たちの部屋には届いてないの?」

「届いてないなぁ、そもポストそんな見ないし」

 もちろん俺の部屋にも届いていない。 Cは笑いながらカードを裏表観察し、匂いを嗅ぎ、Aに返した。

「イタズラじゃね?それか宗教の勧誘? 言っとくけど、俺は犯人じゃないよ」

 俺だって犯人ではない。一応の意思表示だけすると、Aは「そう、まぁでも、君たちも気をつけてね」といつもの当たり障りのない笑顔を見せ、自分のデスクへ戻って行った。

「あれ、置いていっちゃった」

 机の上にはカードが置き去りにされていた。Cの代わりにカードを拾い上げる。ハガキほどの厚さがある紙なのに、やけに柔らかい。木の実の汁を吸ったせいだろうか。じわりと手のひらに馴染む湿気に怖気がした。一刻も早く手放したくて、Aのデスクに駆け寄った。

 これ、ごめん、一応返すね。

「あぁ、ありがとう」

 笑顔に違和感をこらえ、Cの元に戻る。笑うのか?どうして?「こわいと言えば」と差し出した得体の知れないカードを突き返されたのに。握っていたのはほんの一瞬に過ぎなかったが、手のひらには、ふやけた紙の感触が居残っている。Aには見えないように、カードを持っていた手を必死で拭った。


 翌日。まだ外は薄暗かった気がする。壁の向こうから「わぁ」と大きな声。Aの部屋のほうだ。Aもあんなに大声が出るのかと、呑気に感心した。

 たっぷり二度寝をして、昼前に研究室に到着すると「遅かったじゃん」とCがにやにやと笑いながら肩に絡んでくる。

 適当に返事をしていたら、Aがいつの間にか俺の後ろにいた。

 おはよ、って時間じゃないよな。

 自虐交じりに挨拶するとAはにっこりと笑う。

「おはよ」

 単なる挨拶のはずなのに、舐め上げるような声だと感じ、身震いがした。こちらの戸惑いはよそに、Cは絡み続けるし、Aはまた机にカードを置いた。見た目は昨日と同じ、クリスマスツリーのイラストを半分にへし折ったものだ。

「また届いたの?」

 またCがカードをつまみ上げた。今度は何も挟まっていないらしい。またも無遠慮にCはカードを開いた。

 やはりクレヨンで文字が書かれていた。「かーどがよめる いいこ」「ぷぜれんと あげる」「だれにも ないしょ」ところどころ鏡文字でミミズのような筆跡だった。辛うじて読み上げて背筋を凍らせたところで

「サンタさんからのお手紙じゃん」Cがけらけらと笑う。

「だとしても悪質だよ。今朝これで本当に驚いたんだから」

 あぁ、今朝叫んでたのはそのせい?

「聞こえてた?はずかしいな」

 本当に、人間の仕業だとしたら悪質だな。でも、何だか選ばれし人間に届いたもののような気さえするね。

 気休めになればと茶化してみた。

「選ばれしって、何で僕が……」

「ってか、大丈夫?『だれにもないしょ』って書いてあるのに、めっちゃ公開してんじゃん」

「知ったことかよ。こんなの真に受けるなんて……本当に気味が悪い、連日こんなこと……」

 穏やかで、そつのない男がAだったはずだ。Cの言動を受け、視線がぐらぐら泳ぎ、怒気をまとわせて話す姿は、普段のAとはまるで違っている。

 それはそうだ。こんな意味のわからないいたずらの正体はさっさと突き止めて警察に突き出してしまえばいい。

 だから、A。

 呼びかけると、表情がぱっと色めく。おまえそんな顔もできたのか。にわかに違和感をかかえたまま、Aに耳打ちする。何故かCも顔をねじ込んで聞き耳をたてにきた。 俺が伝えたことはこうだ。

 警察に突き出すには証拠が必要だ。物的証拠はこのカード。あとは例えば隠しカメラを設置するのはどう?Aの家の前に置くと露骨だから、少し離れたところにそれとなく隠しておくの。

「へぇ、いいね、やってみるよ」

 言い出しっぺの俺と、当事者のA、そして「おもしろそう」とCも一緒に家電量販店に向かう。卒論の締切までの日数は今日も無慈悲にカウントダウンされていたが、俺たちは目の前の謎に夢中だった。 3人で小型カメラを見繕い、Aの部屋の玄関がギリギリ撮影できる場所に隠した。「隠しカメラがある」という前情報がなければ、きっと探そうともしないであろう場所を選んだ。


 その翌日、また明け方くらいのことだった。Aの部屋からごつんと何かがぶつかる音がした気がした。まぁ物音くらいはするだろうよと特に気にかけることもなく布団の中で微睡んでいたところ、ふと思い出した。

 そう言えばカメラを仕掛けたんだった。何が写っているのだろうか。大学に行く前に、ちょうど通り道にあるCの部屋を訪ねる。

「早くね?」

 早くない。起きろ。

 部屋着のまま出てきたCが「そういや、あれ、どうなったかなぁ」とあくび混じりに問う。

 あれとは、あぁ、カメラのことだな。

 Cを連れて、逆隣にあるAの部屋の方を見る。

 ドアの下から紙切れがはみ出ている。

 何だあれ。

「あれって、これ?」Cがその紙切れをつまみ上げた。

 破ってある?

 今度はドス黒い赤のインク…いや、血液だったのかもしれない。よくよく観察したら平仮名の「る」の一部に見えるものが書かれていた。

「いて、何か踏んだ」

 部屋着で裸足のまま出てきたCが足裏を確認。特に怪我はしていないようだったが、踏んだのは小石などではなく、白のプラスチック片。唐突に嫌な予感がした。

 前日に俺たちがカメラを隠したのは、玄関前の廊下を進んだ突き当たりのところ。前の住人のものか大家のものかは解らないが、お払い箱となったプランターや、捨てるのが面倒だったのか、そのプランターに無造作につっこまれたスプレー缶の山があった。そのスプレー缶に埋めるようにしてカメラを隠したのだ。駆け寄ってみてみると、スプレー缶の山もプランターも前日のままに見えた。なるべく音を立てないよう缶をどかしたが、カメラが見当たらない。

 どうして。嫌な汗が背筋を這う。

「やべぇな、とっくに見られてたのかもな、俺たち」

 Cのニヤニヤ顔にもさすがに緊張が走ったようだ。

「いちおうさ、何も知らないフリで声かけてみようぜ」

 Aの部屋の前で、俺たちは「どちらがAを呼ぶか」譲り合うように、いや、押し付け合うようにして問答した。

 せーのでいいだろ、一緒に呼ぶぞ。

「A!おはよー元気ー?」

 A、いるのか?

 鈍い音がして、ドアが開いた。Aが隙間から顔を見せる。わずかな風圧に、やぶれた紙切れがいくつか舞って出てきた。

「元気、ではないかな」

 目ざとくCが舞い落ちた紙切れを拾い上げた。

「わ、る?他にもあんの?」

 破れ目を繋ぎ合わせてみたらしいCがAに催促した。

「わるいこ」

 え?

 無機質な声でAが繰り返す。

「わるいこ、って、それだけ、書いてあったんだ」

 Aの口角がにちゃりと吊り上げられていった。

「バレてたってことか」

「……それ以上は言えないよ」

 どういうことだ。A、おまえは大丈夫なのか?

「教授に、しばらく休むって言っておいてくれない?」

「卒論どうすんの?」

「卒論ねぇ」

 吊り上がった口角がさらににちゃりと歪む。くふくふと聞いた事のない笑い声が、Aの口の端から漏れ出てきた。

「サンタさんからの宿題しなきゃだからさ」

 目の前でドアが閉められるのを待って、Cが「やべぇなあいつ」と呟いた。あの様子からして、Aが「やばい」のは確かだ。

 教授にAからの伝言を伝えると、「意外」といった反応。まぁ彼なら大丈夫だろう、そのうち連絡はしてみるか。何も知らない教授はそんな反応だった。他の学生たちも「まぁたまには休みたい日もあるよな」と気遣うようなことを言っていた。


 その次の日、また次の日も、カードが届いていたようだった。Aとはあれきり会うことがなかったので「ようだった」と憶測になる。俺達のほうは卒論や、教授の雑用、それぞれのプライベートの予定もあったから、奇妙なカードやAのことも自然と話題にならなくなっていった。 そうやって迎えたクリスマスイブの夜、卒論も提出できる目処がたち、研究室で軽くパーティーをした後、Cの部屋で宅飲みをした。雰囲気だけでもと、コンビニで買ったクリスマスケーキやチキンを摘み飲んだくれてその場に雑魚寝した。アルコールと、申し訳程度の雰囲気だけでも気分を盛り上げてくれるものなのだ。じゅうぶんなクリスマスイブを過ごせた。

 「なぁ、おまえはさ~サンタさん何歳まで信じてた?」

 小3。枕元に気配を感じて、うっすら目を開けたら、親父がプレゼント置いてるところ見ちゃって。朝、何も考えず親父にお礼言ったら、何か気まずくなってさ。次の年から開き直った親父に『プレゼント何が欲しい?』って聞かれるようになって、それで俺のサンタはおしまい。

「あるある」

 おまえはどうなの?

「俺は割と遅くまで信じてたかな~『正体がバレたら、サンタは子どもを攫う』って親からも言われてたし」

 正体といえば……

「あれさぁ、結局何だったろうね」

『あれ』って?

「Aのとこに届いてたやつだよ」

 あぁ、あの……


「わかった!わかったぞ!」


 Aの声だ。Cの部屋からはふたつ隣になるというのに、はっきりと聞き取れた。けたたましくドアが開く音と、走り去る足音。「わかったんだ!」叫び声とともにイブの深夜に消えていくのを、俺たちは息を潜めて聞き耳を立てていた。

 今のって……Cが視線だけでこちらに問う。俺は頷いた。しばらくは残りの酒や食べ物を摘んでいたが、止める間もなく、おもむろにCが部屋を出ていったので慌てて後を追った。

 Aの部屋は開け放たれていた。いざと言う時のためにスマホを握りしめ、中へと入ろうとした。

 先陣を切ったCが「何か踏んだ」と立ち止まったので、スマホのライトで照らすと、無数の破れた紙切れ。Cは今度はそれをつまみあげなかった。そのままライトで慎重に部屋の中を照らす。Aは、いつも涼やかでそつがない男だと思っていた。そんな印象とは裏腹に、部屋の中は雑然としていた。紙、紙、紙……よく見てみればどれもクレヨンでクリスマスツリーが描かれている。折りたたまれていて、中の文字を見てみれば「じんぐるべ」「しゅ きませり」など、クリスマスソングの一節が記されている。

「こんなに届いてたのか」

 一枚一枚、カードを開いて改めていたCは呆気にとられたようだった。退路を確認した上で、Cとアイコンタクトを交わし、部屋の電気をつけた。

「うわっ」

 悲鳴が重なる。

 センターテーブル中央にどっしりとしたシルエット。ズタズタにされたクッションにロウソクやオーナメント、そしてヒイラギの枝が突き刺さっている。閉め切ったカーテンには塗料のようなもので描かれた大きなクリスマスツリーと、意味が見い出せない平仮名や数字の羅列。床にはやはり紙切れと潰れたヒイラギの実が散らばっている。

 異様な光景に、俺たちは立ち尽くすしかなかった。

「わかった、とか……」Cが口を開く「サンタの正体のことか……?」

 宿題とも言っていたな。なるほど、部屋全体を使ってサンタだかも解らないカードの送り主の謎を解こうとしていたのか。それとも「サンタ」にやられたのか……

「あれ、パソコンつけっぱじゃん」

 部屋の奥のデスクだけは整然としている。Aは「わかった」と叫びながらどこかへ行ってしまったが、俺たちには何も解らない。せめて何かヒントをくれよなとデスクを覗いて言葉を失った。

 真っ白なポストカードの束、クレヨン、クリスマスツリーが途中まで描かれたカード。そして、きれいに伸ばされラミネートされたレシートは、俺たち3人で隠しカメラを買いに行った時のものだ。パソコンの画面は、インターネットブラウザ。「クリスマスツリー」の画像検索結果が表示されていた。

「これ、なに、笑うべき?」

 どうしてそうなる。

「ギャグにでもしなきゃ、無理だろ」

 Cの声は震えていた。


 可もなく不可もなく、周囲と調和していたのがAという男だった。

 そんな彼が大学に来なくなって数日経つというのに、研究室の誰もが「Aなら大丈夫」と遠くを見つめるのだ。

 でもそれはAが望むリアクションではなかったのかもしれない。

 例えば俺たちが、Aから2枚目のカードを見せられた時「泊まってやるから一緒に見張りするぞ」など言えたらよかったのだろうか。

 「宿題」とほのめかされた時に「俺たちも」と無理やり介入すべきだったか。或いは、走り去ったAを追いかけるのが最後のチャンスだったのかもしれない。

 研究室の皆が「Aは大丈夫」と信じていたのがだめだったのか。

 いや、これは信頼でも気遣いでもなかった。俺たち含め、研究室のみんなはAに無関心なのだと解ってしまった。

 誰もAに連絡をしていなかったし、現在の居場所も知らないのだ。


 脳裏を埋め尽くす「たられば」の数々にも、開け放ったドアから、一筋風が吹き込むだけで、俺たちは何の答え合わせもできなかった。

 Aとはもう会うことは無いのだろうと直感したが、ただそれだけだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

×リー コードレス クリスマス 赤坂 @aksk_ppp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ