報復スイッチ、オン
後藤文彦
報復スイッチ、オン
非武装国家のN国に本社のあるL社はユニークなロールプレイングゲームを作ることで知られている。代表作はスポーツカーや各種乗物のレースゲーム。この手のロールプレイングゲームに特有のことではあるが、プレーヤー同士がお互いに「あおる」ことがゲームで得点する上での一つの有効な戦略となる。というのも、ゲームの得点を最大化することが目的であれば、こうした「あおり」には一切 のらないことが有利な戦略となるのは自明だが、実に多くのプレーヤーが得点よりも報復を選び、なかなかステージをクリアできない。L社はこうしたレースゲームの他にもユニークなゲームを販売しており、やや毛色の違う代表作としては「いじめっ子ゲーム」というのもある。このゲームは、最初のステージではいじめっ子の立場でプレーすることで、プレーヤーはいじめの楽しさを疑似体験させられる。次のステージではいじめられっ子の立場でプレーすることで、自分が楽しいと感じていたいじめが如何に暴力的で残酷な行為なのかを学ばされる。この「いじめっ子ゲーム」は道徳教育にも有効だということで、子育て中の親たちの間で評判になり、世界じゅうの教育機関から道徳教育のための「推奨ゲーム」として認定されたりしていた。このように世界の教育機関からも一定の好意的評価を受けていたL社が、突如として戦争ゲーム「インセとベルモ」(通称「インベル」)を発表した。インベルもいじめっ子ゲームと同じように、実は戦争の残虐さを教育するゲームと解釈できないこともないが、それにしては相当にエグい戦闘シーンを楽しめてしまう年齢制限つきの本格的な戦争ゲームだった。教育機関推奨の道徳教育ゲームを開発していたL社が、リアルな戦闘の中での暴力や殺害を楽しめるゲームを発表したということで、これはある種のスキャンダルとなり、それはそれで大いに話題を集めながら、インベルは世界的なヒット作となっていた。こうした状況に対して、実はL社のいじめっ子ゲームも、インベルをヒットさせるための統計データを取得するために開発されたテストゲームに過ぎなかったのではないかという噂も囁かれた。そしてその噂はまんざら外れてはいなかったようだ。L社は少しずつ、自社のロールプレイングゲームから取得した統計データに基づく分析を報告書として公開し始めていた。こうした統計データは、もちろん社会学的にも精神医学的にも非常に意義のあるものではあったが、L社と競合するゲーム会社がこうしたデータをゲーム開発に利用できてしまうため、L社が貴重なデータを公開する意図が純粋に社会的・医学的な貢献のためとも考えにくく、実は他に隠れた意図があるのではないかとL社を警戒する向きもあった。L社を好意的に捉える向きは、こうしたL社の公開姿勢を純粋なハッカー文化の体現だと解釈して大いに歓迎した。というのもL社は、レースゲームやいじめっ子ゲームなど多くのヒットゲームにおいて旧バージョンのソースコードをオープンソース化して公開しており、L社の大方のヒットゲームには、プレーヤーのマニアックな嗜好に特化してパロディー化されたクローンゲーム各種が無償のオープンソースソフトウェアとして存在していた。こうした無償ソフトに嵌ったプレーヤーの多くは結局 L社の有償製品も購入することになるので、これはこれで販売戦略としては成功していたと見ることもできる。というか仮に販売戦略としては不利な方針だったとしても、ハッカー文化の中で育ってきたL社の有能な開発者たちが、自分たちの文化として旧バージョンのオープンソース化にこだわっているようにも確かに見受けられた。だからクローンゲームの愛好家たちは、やがてはインベルがバージョンアップして、旧バージョンがオープンソース化されることを心待ちにしていた。ところがインベルに関しては、発売後 数年が経ってもなかなかバージョンアップされず、それどころか最終ステージに到達するプレーヤーすらまだ現れていなかった。その意味では、様々な憶測を呼ぶ謎の多いヒットゲームであった。
インベルに登場するキャラクターは、ある惑星に住む二種類の知的生物―インセとベルモ。基本的にはヒト型生物であるが、インセは顔や肌が昆虫に近い外見で、ベルモはどちらかというと顔や肌が芋虫に近い外見。単位系の異なるインベルのフィールド内で、インセやベルモの具体的な大きさについての情報を取得することは困難だが、プレーヤーがARゴーグルを装着して完全に没入すると、人間と同じぐらいの大きさと実感しながらプレーすることになる。インセとベルモは争いを続けており、プレーヤーはインセかベルモどちらかのキャラクター生物を選択してプレーする。一旦どちらかのキャラクター生物でプレーすると、そのキャラクター生物の文化に愛着を覚えて感情移入するようになり、その後もずっと同じキャラクター生物でプレーを継続するプレーヤーが大半である。インセとベルモは知的生物とは言っても、使える武器は相手に物理的に危害を加える刃物や鈍器なので、敵への攻撃はそれなりにエグい。また、ゲーム内に登場する兵士や民間人といったキャラクターには、ロールプレイングに参加している他のプレーヤーだけではなく、ゲームサーバーが生成しているAIキャラクターも含まれているが、プレーヤーにとってはゲーム内に登場するキャラクターたちを操作しているのが人間プレーヤーなのかAIプレーヤーなのかの区別はできない。だから敵キャラクターにあおられると、相手が人間プレーヤーかもしれないと思うほどに腹が立ち、あおりにのってしまうのだ。
L社のゲームサーバーが取得した統計データによると、プレーヤーがどこまで残虐になれるかには、アクセス情報から判断されるプレーヤーの居住地域ごとに明らかな差が認められる。ちなみに、インセとベルモのどちらのキャラクター生物でプレーするかによる違いはほぼ認められない。例えば周辺国に侵略的侵攻を繰り返しながら徐々に領土を拡大している独裁的宗教国家であるJ国のプレーヤーの残虐性は、民主化されている他国家の平均的プレーヤーと比べて優位に強い。もちろん、民主化されている国家にも一定数は相当に残虐なプレーヤーが存在する。しかし、その比率に明らかな有意差が認められるのだ。J国からの侵略的侵攻に対する効果的な反撃方法を長年研究し続けていたP国の情報局は、このL社の報告書に興味を示した。ゲームを始めたばかりのプレーヤーは当初は兵士のみを攻撃しているのだが、ある一線を超えると敵のキャラクター生物であれば、民間人や子供であっても無差別に残虐に攻撃・殺害するようになる。もちろん、ロールプレイングゲームの中で得点獲得やステージクリアを目指すことよりも、インセなりベルモなりの文化の中で、民間人や子供キャラクターを選択してプレーする嗜好を持つプレーヤーもいるため、民間人や子供のキャラクターだからといって必ずしもAIプレーヤーとは限らないし、そもそも人間プレーヤーには年齢制限があるので、子供キャラクターだからといって子供がプレーしている状況はない。とはいえ、民間人や子供の外見をした無抵抗のキャラクターたちを無差別に惨殺できるプレーヤーには一定の特徴がある。まず、そのような無差別な惨殺ができるようになる変化は徐々に訪れるのではなく、ほんのちょっとした敵の態度によって誘発される。プレーヤーにそのような変化をもたらす有効なきっかっけを生み出すべく、プレーヤーの適性や技能に応じて、実に効果的な時期に効果的な手法でそのきっかけは主にAIプレーヤーによって、または「あおり」手法に熟知したベテランプレーヤーによって作られる。これにはL社がカーレースゲームで試験を繰り返してきた「あおり」の手法が有効に利用されていることは明らかである。例えば代表的な例としては、プレーヤーの戦闘技能が上達して多くの敵兵士を安定的に負傷させたり、殺したりできるようになってきた頃に、一見 強そうには見えない敵が姑息な方法でプレーヤーの攻撃をかわしながらけしかけ、プレーヤーが自覚している戦闘技能の欠点を、さんざん的確に指摘してばかにしてくる。そしてプレーヤーが修得したいと練習を積みながらも修得に至っていない技巧的な戦闘を見せつけ、「飛翔攻撃ってえのはこうやるんだよ」「あれ、もしかしてこれがやりたかったの?」など、さんざんプレーヤーをコケにして再起不能の重傷を負わせて殺し、第一ステージに戻される。面子をずたずたに傷つけられたプレーヤーは自分の面子を回復するため、ここで報復のスイッチが入る。多くのプレーヤーの場合、それは自分をコケにした特定の敵兵士への報復心に留まらず、敵種族に対する差別が始動するスイッチとなる。この状態に達したプレーヤーは、自分をコケにした敵兵士と同じように、敵種族をコケにし、残虐に殺していくことが至上命題となる。つまり、報復スイッチがオンになった状態の人間プレーヤーは、実に憎たらしく巧妙にあおってきたAIプレーヤーと同じように敵キャラクターをあおるようになる。
敵種族でさえあれば兵士でなくても子供であっても平気で殺せるようになるプレーヤーの比率は、世界平均ではせいぜい二割程度だが、J国のプレーヤーでは九割以上にのぼる。実はプレーヤーに報復スイッチ・差別スイッチを入れさせるきっかけとして、敵種族の子供にばかにされるというパターンも有効に機能することがわかっている。インベルがそれをあおっていることは、民間人を殺害しても減点にはならずに加算されないだけという配点方法からもうかがえる。
戦争など命令による殺人を除外した場合、世の中の殺人の動機として最も多いのは、面子を傷つけられたことに対する報復である。面子を傷つけられたきっかけは、多くの場合、本当に些細でしょうもないことばかりだ。L社がこれをゲームに利用できると興味を持ち研究を始めたきっかけは、二〇一〇年代にN国やK国で社会問題となった車の「報復運転」である。車を運転していて、クラクションを鳴らされたとか、別にゆっくり走っていたわけでもないのに追い越しをされたとか、たったその程度のことで腹を立てた運転手の報復スイッチが入る。相手に報復することを至上命題とするスイッチが一旦 入ってしまうと、普段は温厚で善良な市民だった運転手は、相手を殺すことになろうが、自分も死ぬことになろうが、報復の達成を至上命題として殺人行為・自殺行為にまで突き進む。こうした殺人犯たちに認められる典型的な報復の心理がインベルのゲーム内では巧妙に利用され、殺人犯の報復スイッチが入る状況を見事に再現していた。
もう一つこのゲームが巧みに利用していたのは、差別スイッチである。これは、温厚で善良な人が、ある特定の対象―会社の部下だったり、戦場での敵兵士だったり、更には敵国の民間人や子供に対してさえ、際限なく残虐になることができる現象を説明するための概念で、古くから研究されてきた。ある程度 知的な哺乳動物の場合、脳内にミラーニューロンと呼ばれる他者への共感回路が備わっているため、自分自身が苦しめている相手の痛みにすら共感して残虐行為にブレーキがかかる。報復スイッチや差別スイッチはこのブレーキを解除する機能を果たす。
「こいつは自分をコケにしたのだから、どんなに苦しめたって構わない」
「こいつはX国人だから、何をしたって構わない」
人種差別や性差別など、外見に区別しやすい差別マーカーがある差別は、進化の過程で異種族を排斥する戦略として、あるいは生殖や子育てを効率化する性別役割として獲得された思考様式として解釈することが可能だが、人間の差別の場合、こうした動物時代の差別本能が残存しているのに加えて、外見に取り立てて差異のない同じ人種や同じ性別であろうと、一旦 自分が差別することにした属性―ある国の出身者とか、異教徒とか、生理的に受け付けられない人とか、自分の面子を潰した相手とか―と認定できさえすれば、その時点からその人物を差別対象に類別して差別し始めることが可能となる。だから、それまでは親しい関係だったり、更には恋人どうしといった如何に緊密な関係の相手であっても、自分の差別対象と類別した時点で、突然それまでの態度を一変させて露骨な差別的態度を取るようになったりできるのだ。
インベルはバージョンアップすることはなかったが、第十ステージに進むためにはアップグレードすることが要求された。インベルではポイントが一定数に達するごとに次のステージへと進んでいくのだが、第十ステージでは、なんと自分が選択している味方のキャラクター生物側のスキンと敵のキャラクター生物側のスキンがそっくり入れ代わるのだ。それまでに獲得してきたポイントや武器は維持されるのだが、自分のアバターや味方キャラクターの外見や衣装、武器はそれまで敵側のキャラクターだったものに置き換わり、その他のテーマ音楽や言葉遣い、住居や家具、一切の文化的舞台設定すべてが入れ代わるのである。
しかし、仕掛けはそれだけではないことが後に少しずつ明らかとなる。第十ステージで敵と味方のスキンが入れ換わる仕掛けはプレーヤーにとって十分にショッキングな仕掛けであり、ステージ到達者の約半数がここでゲームの続行を断念したり、別アカウントを取得してまた第一ステージから今までと同じキャラクター生物でプレーしたりする。もちろん、第十ステージに到達するのは全プレーヤーの一割に過ぎないが、隣国への武力侵攻を続けているJ国のプレーヤーに関しては、なんと九割が第十ステージに到達している。これにはJ国特有の事情が影響している。J国はそもそもP国の一部を聖地奪還との大義名分のもとに侵略して出来上がった独裁的宗教国家であるため、P国やP国と民族的・宗教的に近い近隣国との軍事衝突は絶えず、軍備拡大や兵士の養成は、J国にとって最優先の国家政策であり続けた。兵士の訓練には、最新の知見や手法をどんどん取り入れていたが、インベルも兵士の戦闘時判断力を効率的に高めるゲームとして兵士の訓練に採用されていた。J国の国教である唯一創造神教の聖典には、信者たちには国土が与えられることが約束されていると書かれており、J国の宗教指導者は、唯一創造神教の聖地があるP国こそが「約束の地」であると説いていた。他のあらゆる宗教の聖典と同様に、唯一創造神教の聖典もその宗教の成立前後に誰かが言い伝えた物語を、後の信者が書き残した典型的な作り話に過ぎないし、そんな作り話に基づく一方的な領土権が国際社会で認められるわけもない。しかし、幼少期から全国民が徹底した洗脳教育を受けるJ国では、ほとんどの国民がこの作り話を「真実」と信じ込み共有していた。もちろん合理的に思考できる国民も一部にはいたが、実質的に言論の自由など存在しないJ国では、唯一創造神教の教えに懐疑的な主張をする者は冒瀆罪で投獄された。だから大部分のJ国民は、P国人を虐殺によって全滅させてでもP国を占領することが「正義」だと疑わなかったのだ。そのようなJ国のインベルプレーヤーは、自分がインセであれベルモであれ、敵となったベルモなりインセを徹底的に撲滅してフィールドを浄化しなければならないという宗教的とも言える強い使命感に突き動かされており、他国の穏健なプレーヤーとは明らかに一線を画していた。そして更に予想を裏切られるのは、J国のプレーヤーの場合、第十ステージに到達して敵と味方のスキンが入れ換わったことでゲームの続行を断念するプレーヤーは、ほとんどいないということだ。
P国ではこの不思議な現象についての研究も行われ、ゲームを用いた検証実験が行われている。民族や人種、性別等に関して特定の属性と判別された対象に対しては、一切の人間的配慮や同情の感情を喚起されなくなるスイッチング回路を形成した人は、その属性の人間に対しては物の破壊と同じように、虐待や虐殺が可能になることが観測されるが、こうしたスイッチング回路を形成しやすい被験者ほど、新たな差別対象の追加や変更も起きやすいことが認められる。
インベルを製作したL社はN国のゲーム会社だが、事実上 こうしたP国の研究成果を見越した仕掛けをインベルの中に仕組んでいたことになる。そのため、L社の経営陣にはP国出身者またはP国の国教である最終預言者教と関わりの深い者が複数 在籍しているのではとの噂が立ったが、真相は不明のままである。
J国の第一世代プレーヤーの九割が第十ステージに到達して一年が経過した頃、最終ステージではないかと噂される第十一ステージに到達するプレーヤーが現れ始めた。これはL社の公式サイトにゲーム統計として公表される第十一ステージ到達者カウンターに数値が現れ始めたことから確認できる情報ではあるが、第十一ステージに到達したプレーヤーたちはなぜか口をつぐみ、せっかく到達したステージの詳細を語ろうとはしなかったため、誰が第十一ステージに到達しているのかはよくわからなかった。
そんな中、P国に軍事侵攻しているJ国軍の前線部隊で、複数の兵士が相次いで自殺するという奇怪な事象が発生し始めた。自殺した兵士の共通点は、軍事訓練としてのインベルのプレーにおいて第十ステージには到達していると思われるベテランプレーヤーだということで、どうやら第十一ステージに到達することが自殺に深く関わっているものと疑われた。J国では当初、インベルが兵士の戦闘時判断力の養成に有効だとの理由で、兵士訓練プログラムの中にインベルを導入していたものの、軍事目的の利用に限らず、一般の娯楽目的の利用も含め、インベルの国内での販売と所持を禁止した。とはいえ、国民の半数以上がインベルのプレーヤーというJ国では、大きな混乱を生じた。禁止後にも自殺する兵士や無気力になり戦闘不能となる兵士が後を絶たず、五十年以上も断続的に続いてきたJ国によるP国への軍事侵攻に停止の兆しが見えてきた。そのため、インベルは実はP国が軍事力では圧倒的な差で敵わないJ国に反撃すべく、L社を隠れ蓑にして開発していた軍事兵器だったのではないかという噂も流れた。噂の真相がどうであれ、実際にインベルがJ国軍に与えた打撃は絶大だった。第十一ステージに到達し口をつぐんでいたJ国のプレーヤーの一部が、重い口を開いて少しずつ語り出した。その中には前線の兵士も含まれていた。
「わたしたちがやってきたことは典型的な差別なのです。
インベルをプレーして、ようやくそれがわかりました。
P国人は殺されたってしかたない。いや、殺したっていい。本当にそう思っていました。宗教が違うから? 人種が違うから? 連中の外見や言葉が気持ち悪いから? P国人であれば、そのあらゆる要素が何でも嫌う理由、殺しを正当化する理由になり得ました。でもそれは、わたしが、P国人を嫌うことに決めたからにすぎません。わたしの脳は自分が嫌うことに決めた対象をとことん嫌い、平気で殺せるようになる仕組みを持っているのだということを、インベルはわかりやすく教えてくれました。ある地域に住む人たちの外見とか宗教とか言語とか文化とか、そんなのは何だっていいんです。自分たちの外見や宗教や言語や文化は好きだと決めて愛着を感じるようになれるし、敵地域に住む人たちの外見や宗教や言語や文化は嫌いだと決めて気持ち悪く感じれるようになれる。どんな外見か、どんな宗教か、どんな言語か、どんな文化か、そんなのはどうでもいいんです。わたしは最初、インセでプレーしていたとき、インセの外見がかっこいいと思えたし、インセの言葉使いやインセの衣装、住居など、全てが愛おしく感じました。そしてそれに比べて、ベルモの外見が如何にも気持ち悪く、ベルモの衣装や住居などがとてもセンスの悪いものに見えていました。それは私には自明の確信だったはずなのに、第十ステージに到達して、これらの好き嫌いはすべて私がそう決めたことに過ぎないということを理解しました。始めは戸惑いました。自分のアバターがあの醜いベルモに変わっているのですから。それがプレーを続けるうちに、いや、ベルモの滑らかな肌は実は美しい、インセこそよく見ると昆虫みたいで気持ち悪いと、それまでと全く逆の感情・感覚をベルモとインセに対して抱くことができるように順応したのです。インセとベルモの外見や文化背景は最初から何も変わっていないのに。つまり、私が差別する対象は、その対象自体に差別されることを正当化する理由があるのではなく、どんな対象であろうと私が差別することに決めれば、差別できるようになり、殺されたってしかたないと思えるようになるということなのです。私たちの国がこれまでP国への軍事侵攻を正当化してきたのは確実に差別感情でしょう。確かにP国側からJ国へのテロ攻撃もありました。正直、私はそれを歓迎していたようなところがあります。テロ攻撃のおかげでP国への報復攻撃が正当化されるからです。この五十年でP国が殺したJ国の民間人の数はせいぜい千人程度なのに対して、J国が殺したP国の民間人の数は約十万人です。J国の国民が一人殺されたら、おかえしにP国の国民を百人殺していい。これはもはや報復ではなく一方的な虐殺です。J国のP国への軍事侵攻を支持している人は、典型的な差別主義者で虐殺者です。」
やった!
ついに第十一ステージに到達。
また、スキンが入れ替えられたって驚かないぞ。
あれ?
味方のスキンはインセのままか。
えっ?
こちらを攻撃してくる敵のアバターは、人間?
みんな同じ顔、同じ体つきのクローン人間の集団だ。
この連中は、しゃべり方や身のこなしに癖があって、なんか気に触る。
攻撃の仕方もなかなか卑怯だ。なに? わたしのやりかたを真似してるのか?
プレーを続けるごとにクローン人間たちの顔や体つきはどんどんわたしにそっくりになってくる。
今は十回目のプレーだが、こいつらはもう完全にわたし自身だ。
外見だけでなく声やしゃべり方や表情の作り方や身のこなしまで。
ゲームの最中にカメラとマイクでわたしの特徴を収集しAIに学習させてたんだな。
「このにくたらしいインセめ!」
そう叫びながら、卑怯な方法でインセの弱点を巧みにつき、次々にインセたちを、民間人も子供も無差別に残虐に殺している。
「もうすぐ千ポイント、
これで次のステージだ。
死ね死ね死ね」
これがわたしなのか。
これがわたしなのだ。
インセであれば、子供だろうと、ポイントにならなくとも、無差別に殺しまくること自体を楽しんでいたわたしなのだ。
十一回目のプレーでは
味方のスキンは、ベルモに切り替わった。
敵のアバターはわたしのままで、
今度はベルモを虐殺してくる。
「この醜いベルモめ、死ね死ね死ね」
わたしはなんと残酷なやつだ。
わたしはわたしに殺意が湧いてくる。
インセならなにをしたっていい。インセを残虐に殺しまくる。スキンがアップデートされて敵がベルモになっても同じ。すぐに順応する。
ベルモならなにをしたっていい。ベルモを残虐に殺しまくる。
かつては同族だった種族だろうと、一旦 敵認定さえしてしまえば、どの種族だろうと平気で残虐に殺せるようになる―そんなわたしこそ、マジでキモい。
お前こそ死ねよ、
死ね、死ね、死ね、
わたしはわたしを殺す、虐殺する、死ね、
了
報復スイッチ、オン 後藤文彦 @gthmhk
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