第3話 破滅の女神ヴォイド
むかしむかし。
神帝ドミニウスの名のもとに、シュラーデ王国は周辺諸民族の族長に統治権を分割譲渡し、諸国の成立を認めた。
シュラーデ王国がかつて他国の王の指名権を持っていたのは、これを理由としたものである(年々反発が強くなっていって、最終的には廃止されたけど)。
そして、さらにむかしむかし。
神帝ドミニウスは、自身を信奉する民たちによるシュラーデ王国の建国を見届けると、以降の地上の統治を彼らに託して天上にのぼった。
この際にドミニウスと初代国王が交わした統治に関する約束事が、現在のシュラーデ王国を形作る土台となったわけだ。
そしてさらにさらに、むかしむかし。
神帝ドミニウスが、まだ神々の頂点に君臨する前、即ち『神帝』という称号を冠するよりも前。
ドミニウスはとある悪い神様と、世界の行く末をめぐって激しい戦いを繰り広げていたそうだ。
その悪い神様というのが、邪神ヴォイド。
銀色の長い髪と赤い目を持つ、忌まわしくおぞましい存在。
世界を暗黒と混乱で覆いつくし、人々を脅かす、破滅の女神である。
ドミニウスとヴォイドは、お互いに手下の神様を引き連れて、この世界を支配する権利をかけて争った。
戦いは何百年、あるいは何千年も続いたとされている。
最終的にはドミニウスが勝ち、ヴォイドやその配下は封印された。
それからドミニウスは、争いによって荒廃した世界をその力で癒し、人々とともに世界を作り直したのだ。
だが……ヴォイドは死んでおらず、決着をつけるため、そして世界を滅ぼすために、遠い未来で再び顕現するそうだ。
その時に備えて、シュラーデ王国はドミニウスより賜った力を使って国を、そして教会を運営し、強力な騎士を育てたりしている。
……これは俺が教会で働くために勉強して知った、シュラーデ王国と神帝ドミニウス、そして邪神ヴォイドに関する逸話の大まかな流れである。
大して学のない俺でこれなのだから、王都で暮らしている人や、教会で働いている人からすれば、もっと詳しいところまでが常識に含まれているだろう。
だから『邪神ヴォイドが顕現した』という言葉だけなら、いずれ起こる事象だった。
問題があるとすれば、それはもっとはるか遠くの未来において起こるはずの出来事である点か。
そして……さらなる問題があるとすれば。
ここは我らがシュラーデ王国が誇る大聖堂であり。
邪神からすれば敵地のど真ん中であり。
そして教会からすれば、敵の大将が降ってわいたようなものということだ。
「これはどういうことだね、ヤイチ君」
司教様が、険しい表情で俺に問いかける。
視線は抜身の剣のように鋭かった。
「邪神ヴォイド――おそらくその一部だろうが、ここに姿を現すとは。これは君が呼んだのかい?」
背後では、聖堂にいた聖職者たちの足音が響いている。
集まっていた市民たちを避難させ、俺たちを取り囲んでいるのだ。当たり前の対応である。
「ヤイチ君、答えなさい」
「し、知りません……」
震え声を絞り出すので精一杯だった。
いやだって本当に知らないもん。今もすぐそばにぷかぷか浮かんでるのは分かるけど、この女、本当に誰?
「神帝ドミニウス様に誓って言えるのかい?」
「言えます、マジで知らないっす。本当に誰なんですかこいつ」
改めて振り向く。
邪神ヴォイドは宙に浮かんだまま、漆黒の衣装と長い銀髪をたなびかせ――空中だというのに、彼女の身じろぎは水中を自在に泳ぐ魚のようだった――こちらを覗き込んでいる。
邪神に見つめられているという時点で、本来なら発狂してもおかしくない状態だ。
なのに、俺は……平気だった。平然としていた。
俺がおびえ、混乱しているのは、邪神そのものではなくてこの状況に対して。
つまり俺は心のどこかで、完全にこの邪神の存在を許容している。
それが恐ろしくなって、彼女から顔をそむけた。
「……このシュラーデ王国において、邪神ヴォイドを信奉する者は、邪教の信奉者……すなわち、異教徒として扱われる」
異教徒として扱われる。
その言葉に、首の中に直接氷を突っ込まれたような寒気がした。
実質的に教会が支配するこのシュラーデ王国においては、教会から『お前異教徒じゃんね』と認定されることは、もう普通に死である。
花が散るように、雷が前触れなく落ちるように、異教徒は王国に居場所を持たない。
とはいえ、別に騎士が速攻で殺しに来るわけじゃない。
異教徒ならうちの国で暮らすのはやめた方がいいよ、と外国に追い出されるだけだ。十分ひでえよ。
……普通ならそれで済む。
だが、この大聖堂という教会の中枢で邪神を顕現させたとなれば――
「君は事実として、この神聖な場で邪神を呼び出した。明確な攻撃行為を取っていると認識せざるを得ない」
「いやだから……」
「——よって」
ジャキジャキジャキジャキ!! と大聖堂中に金属音が響き渡った。
俺を取り囲む形で鳴り響いたそれらは、聖職者たちが、袖から刃を出した際の音だった。
「おいなんで刃物装備してんのこの人たち!!」
「教会勤務の正式装備だよ」
「どんな職場!?」
普通に絶叫が出た。
騎士が速攻で殺しには来なかったけど聖職者の皆さんが速攻で殺しに来てる!
本当に人々を導く仕事してんの? あの世に導いてない?
「司教様、皆さん、お待ちになってください!」
その時、俺と司教様の間に、シンシィが割って入った。
ブロンドヘアを揺らして、彼女は両腕を広げて俺をかばう。
「ヤイチは異教徒ではありません! 彼が王都に来るまでの経緯も、司教様は知っているはず!」
「では、この状況はどう説明するのかね」
「これは……邪神が勝手に出てきただけじゃないですか! ヤイチがヴォイドの信奉者であると確定したわけじゃありません!」
シンシィの言葉は、本当にその通りだった。
頼むもっと言ってくれ! 今の俺、何言っても信じてもらえなさそうだし! ていうか口開く前に殺されそうだし!
「あらあら、信奉者だなんてひどいじゃない」
俺が内心でシンシィに応援を送った直後、ヴォイドが口を開いた。
お前はもう何も言うな!
「彼は私の大事なヒトよ? そんな一方的な関係性にしてほしくないわ」
俺の願いはまったく届かなかった。
普通にぺらぺらと喋りながら、邪神は――俺の頬に、そっと手を添えて。
「ヤイチは……そうねぇ、私の使徒とでも言うべきかしら?」
「は――はぁっ!?」
俺の口から悲鳴が飛び出た。
何言ってんのこいつ!?
一方的にそんな関係性にしてほしくないが!?
「ならば……残念だが……」
司教様が、その右手をゆっくり開く。
何かの神秘が、その手の中に凝縮されていくのを肌で感じ取った。
「司教様!? ヤイチ相手にそれを……!?」
「邪教の信奉者ならばいざ知らず、使徒となれば、生かしておく理由はない」
「でも!」
「シンシィ、いくら君の嘆願とはいえども、邪教の使徒相手にかける情けなど存在しえないんだ」
司教様は、見たことないぐらい冷酷な顔になっていた。
いやいやいや。司教クラスの人が行使する力って、それドミニウスから直接分け与えられてる、めちゃくちゃやばい力じゃん?
人間相手に振るったら、本当に跡形もなく消し飛んじゃいますよ?
自分の顔が引きつるのが分かった。
光が渦を巻き、聖なる神の名のもとに、裁きの力を顕現させようとする。
シンシィに逃げろと叫ぼうとした、その刹那。
「不愉快よ、それ」
ブツン、と。
音を立てて、司教様の手の中で像を結びつつあった神秘が、跡形もなく粉砕された。
その場の空気が凍り付く。
何が起きたのかはわからないが、誰がやったのかは全員が理解している。
莫大な神秘を、選ばれし教団幹部だけが行使できる神帝ドミニウスの力を。
邪神ヴォイドは身動き一つせずに、ただ視線を向けただけで消し飛ばしてしまったのだ。
「さぁ行きましょう、ヤイチ」
ヴォイドは世界が吹き飛ぶほど美しい笑みを浮かべて、俺に手を差し出す。
「……行くって、なんでだよ」
「なんで? ここに残ったら、君はどんな目に遭うかしら」
「考えたくないんだけど」
とりあえず刃物は使われるっぽい。
「でも私と一緒に来れば、考えずに済むわ」
「……これひどい詐欺にあってない?」
ふふふ、とヴォイドが笑った。
「逆よ。教会はいつか、君が『誰』なのかに気づいて、必ず君を殺すわ。むしろ教会の中に入っちゃう前に私が目覚められて、すごくラッキーなのよ?」
「そんなこと言われても、知らないんだが」
「私の知ってるヤイチなら……確かにこういうとき、グダグダ言ってなかなか決断しなかったわね」
懐かしいものを見る目で、邪神が俺をじっと見つめてくる。
さっきから本当に、こいつは何の話をしてる? 俺の何を知ってるんだ?
「いい加減、彼から離れなさい邪神!」
と、シンシィの声が響いた。
彼女は大胆にも邪神を指さして、鋭い目でにらみつけている。
「さっきからヤイチに対して好き勝手喋って、挙句の果てにはベタベタとくっついて! 何様のつもりなの!」
「シンシィ、怒るのそこ?」
俺のつぶやきなど意に介さず、彼女は言葉を続ける。
「彼はこの国の国民で! 私と一緒に――」
「いいえ、彼は私のモノよ♪」
シンシィの言葉を遮り、ヴォイドは俺の頬を撫でながら告げた。
「あなたのモノになったことなんてないし、ましてやドミニウスの配下なんてもってのほかよ」
なぜか、ヴォイドの声は、今までで一番冷たく聞こえた。
そのまま彼女は、俺の耳元にそっと唇を寄せる。
「さぁ、あとは君が望むなら、すぐに逃げられるわよ」
——周囲を見渡す。
聖職者たちは武装こそしてるが、まだ間合いにいない。司教様もまた、ヴォイドに神秘を砕かれてから、慎重にこちらを観察しているだけだ。
俺たちを足止めできそうな存在は、いない。
そして逃げなきゃ、多分だけど、殺される。
材料を集めて、どう決断するのか考える時間じゃない。
後ろは断崖絶壁で、前には暗い道があって、走りださなきゃ死ぬだけだ。
「……俺はこれから教会に就職して、普通の人生を歩むはずだったんだ」
「残念だけど、無理よ。ドミニウスもその信者も、絶対に君を逃さないわ。それは君が君である限り、いつか絶対にやってくる破滅の時間なのよ」
「……お前みたいな邪神は、いつかドミニウスの手で滅ぼされて、それで世界は永遠に平和になるはずなんだ」
「言いたいことはたくさんあるけれど、確かに今のままなら私は負けるわね。君に助けてもらわないと、間違いなくこの世界はドミニウスの手中に落ちる」
唇に指をあてて、ヴォイドは困ったように眉根を寄せる。
「それとも、君は私を助けてくれないのかしら」
「——もうお前を助けるしかなくなってんだよ! バカが!」
俺の悲痛な叫びを聞いて。
眼前にて、破滅の女神が数秒だけ目を見開き、それからゆっくりと頬を染め、口角を上げる。
「うふ……うふふふっ。そうよねヤイチ。君はいつも、いつだって、私の手を取ってくれたもの」
「いや俺が助けてもらいたいんだけどな、さすがに」
「ええそうね、だから今度は、私が君の手を取る番よ……と言いたいけれど、ここまでね。さっきので力を使い過ぎたわ」
とその時、ヴォイドの姿がうっすらと透け始めた。
は?
「ちょ、お前!! おい!! 俺の立場が致命的になった瞬間に消えようとするなよ!」
「またね♪」
ヴォイドはひらひらと手を振りながら、完全に消えた。
ひゅ~……と、割れた窓から冷たい風が吹き込んでくる。
周囲の聖職者たちの目は、一転して可哀そうなものを見る目になっていた。
え、俺、ここからどうすんの?
なんで最悪の消え方をしたの?
『消えてないわよ?』
「うわあああっ!?」
消えたと思ったヴォイドが、俺のすぐそばでぷかぷかと浮いていた。
「い、いたの? さっきのお別れみたいなのは何?」
『力を使い過ぎたから、実体を保てなくなったのよ。今の私は君以外に見えてないわ。だから君は今、傍から見れば虚空に向かって叫んでるの。いよいよ邪神に洗脳されて、頭がおかしくなったと思われてるわね』
「本当に最悪」
そこまで計算してやってるんだとしたら、本当の本当に最悪なんだが?
『そもそも、さっきが特別だったのよ。目覚めたばかり……というよりも、緊急事態を察知して飛び起きたから、加減できなかったの。ヤイチ以外に声が届くなんてめったにないんだから。この状態の方が、私にとっては自然なのよ』
「……そうですか」
『でも、やるべきことはちゃんとやったわよ』
彼女の言葉を聞いて、俺は改めて周囲の状況を確認する。
司教様が動かない限りは、大聖堂から脱出するのは簡単だ。
『……あの司教は動かないわけじゃなくて、動けないわ。あと、シンシィもそうよ。あの二人は、私の力で一時的に無力化してあるわ。だから充電切れになっちゃったんだけど』
俺の心配を読んだかのような言葉。
なら確かに、逃げられる。いやなんでシンシィまで止める対象なんだ?
「ヤイチ!」
そのシンシィが、必死の形相で俺の名を呼んできた。その声は絶叫に近かった。
……ごめん本当にごめん、いつか必ず謝りに戻ってくる。
でも俺が逃げる理由、問答無用で刃物を抜いてきた皆さんのせいだからね?
よく考えたらその点についてはシンシィも触れてなかったし、教会ってどうなってんの? 普通にタチの悪い暴力集団じゃんこんなの。
俺は彼女に振り向かず、地面を蹴って聖堂の天井近い窓まで一気に飛び上がる。
ヴォイドが顕現した際の衝撃で割れていたから、簡単に聖堂から抜けられる。
通用路を使うより迅速に脱出し、王都の暗がりに逃げ込めるだろう。
『場所も大きな聖堂だし……なんだか、花嫁を連れ出す悪い男になった気分だわ。興奮してきちゃうわね』
「ウキウキになってるあたりは、さすがに邪神様なんだな……」
大聖堂から飛び降り、建物の壁やら塔やらを蹴って、王都の薄暗い路地へと向かう。背後から、俺の名を呼ぶシンシィの声だけが聞こえた。
こうして俺は、破滅の女神様と一緒に逃げ出す羽目になってしまった。
……俺の人生を破滅させるのもお手の物ってわけか? 最悪なんだけど。
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