第12話
帝都の玉座の間に、耳を刺す怒声が響いた。
「セレナに続いて、リディアまで捕虜になるだと……! 四天王が二人も消えたのだぞ!」
皇帝は玉座から立ち上がり、近習の一人を蹴り飛ばした。
女官が床を転がると、誰も助けようとしない。
怒りの矛先が自分に向くのを恐れて、誰も息さえできない空気。
「ランバルタは東辺境の戦線から動かせぬ! ゼルフィアは帝都の守りの核!
では誰がヴァルティアを討つのだ……!」
そのとき、静かに一歩進み出る気配があった。
「――陛下。」
柔らかく澄んだ声だった。
姿を現したのは、一人の女。
白く細い首筋から金糸の髪がさらりと流れ、高く束ねた後れ毛が揺れた。
濃紺の術士服は装飾が少なく、慎ましいのに、胸元から腰までのラインが自然と目を引く。
肌は雪のように白く、淡い青の瞳は水面のように静かだ。
清楚。
それ以上の言葉はいらなかった。
「……メルティナか。」
皇帝は怒りを一瞬だけ抑えた。
「はい。ヴァルティア討伐――わたくしが引き受けましょう。」
「貴様が、あのキョウを倒すと?」
メルティナは軽く首を傾げ、静かに微笑む。
「男に力を与える術――“強化術式”の規模で、わたくしの右に立つ者はいません。
狂化のような暴走もなく……一万規模でも。」
ざわり、と近習が息をのんだ。
一万に同時強化など、常識外れだ。
皇帝は支配欲に満ちた笑みを浮かべる。
「よい……よいぞ、メルティナ! ヴァルティアを叩き潰せ!」
「謹んで。」
静かに一礼すると、彼女は玉座の間を後にした。
出撃命令が落ちると同時に、メルティナは男兵一万と術者隊二千の調練に入った。
細い指先が空中に淡光の術式を描き、一斉に男兵へ染み込んでいく。
呼吸が揃い、視界が澄み、筋肉が静かに目覚める。
どこにも無駄な昂りがない。
整えられた“兵士の身体”。
訓練場が低い咆哮で震えた。
「……そのまま。恐れず、焦らず。」
メルティナの声は淡々としているのに、その場の全兵士を支配していた。
彼女の視線は、すでに遠いヴァルティアへ向いている。
同じ頃、ヴァルティア城では暗殺者シオンが状況報告をしていた。
「前衛一万、後衛二千。混乱のない統率です。強化術式の質も高い。」
キョウはうつむき気味に頷く。
強い相手が来るのは分かっていたが、数字の重みは胃に刺さる。
「……倍、か。」
エマが苦い顔で言う。
「正面から当たれば、ひと押しで潰されるわよ。」
「だから……やり方を考えないと。」
キョウは無理に笑って見せた。
強がるというより、自分を落ち着かせるため。
セレナは銀髪を揺らし、静かに彼を見つめる。
以前の無鉄砲さだけで突っ走る姿より、いまの彼の方が“信じられる”と感じた。
「……その前に。」
キョウは立ち上がった。
「リディアと話したい。仲間になってくれれば……戦い方も広がる。」
「行くのね、一人で。」
エマが少し心配そうに言う。
「うん。あいつ、周りがいると意地張りそうだから。」
シオンは影のように一礼した。
「護衛は、見えない位置からつけます。」
「ありがとう。」
牢の中で、リディアは腕を組んで壁にもたれていた。
キョウが姿を見せると、露骨に顔をそむける。
「何の用だ。殺すならさっさとしろ。」
「そんな顔して来ないよ……。」
キョウは鉄格子に近づく。
「リディア。戦いたいんだ。こっちの側で。」
「は?」
「本気なら、オレを倒せるかもしれない。
でも……あの時の戦いは、守るための力だと思った。だから一緒に戦いたい。」
リディアの喉が、ごくりと動く。
「……あたしを信用するのか?」
「全部は無理。でも、賭けたい。」
短い言葉だったが、まっすぐだった。
リディアは視線をそらし、舌打ちする。
「……条件がある。」
「うん。」
「お前が負けたら、その時点で見限る。
使えねえ奴の下につく気はない。」
「……それでいいよ。」
少し声が震えていた。
それでも背筋は折れていない。
リディアはふん、と鼻を鳴らした。
「だったら出せ。牢なんて性に合わねえ。」
「セレナに話すよ。」
キョウが背を向けると、リディアが小さく呟いた。
「……頼りにされるのは嫌いじゃねえぞ。」
リディアを解放したあと、軍の再編が始まった。
広間に地図が広がり、セレナ、エマ、ガルザ、マリーナ、リディア、シオンが顔をそろえる。
キョウは落ち着かない様子で口を開く。
「えっと……先の戦いでついて来てくれた二百人を、オレの直轄部隊にしたい。
“黒竜隊”って名前で。」
エマが笑う。
「意外とセンスあるじゃない。」
「名前負けしないといいんだけど……。」
「あなたが率いるなら大丈夫よ。」
セレナが静かに言う。
キョウは照れたように視線を逸らしつつ続ける。
「エマは歩兵千。ガルザも歩兵千。
セレナは術者五百。
マリーナは軽騎兵五百。
リディアには主力千。」
マリーナが脚を組み替えると、スリットから太ももがちらりとのぞく。
「私の扱い、悪くないわね。あなたのために走るの、ちょっとだけ悪くない気分よ?」
「い、いや……その、戦術的に……。」
「ふふ、可愛いわね。」
リディアは呆れたようにため息をついた。
「最後があたし。主力千だな。
面白いじゃねえか。ちゃんと働かせろよ?」
「もちろん。……頼りにしてる。」
ガルザは拳を胸に当て、声を張る。
「命を賭して戦います!」
シオンも静かに頷く。
「敵の動きは、影から探ります。」
キョウは深呼吸し、言葉を絞り出す。
「……男も女も、どっちかだけが死ぬ世界を……終わらせたい。
だから……力を貸してほしい。」
短い静寂のあと、皆がうなずいた。
それぞれ表情は違うが、視線は同じ方向――戦場へ向いていた。
総勢五千。
対する帝国軍は一万二千。
数字で見れば絶望的な差。
けれど、この城の空気は暗くなかった。
一方その頃、帝国軍では最終調練が完了し、メルティナが金髪を揺らして歩き出す。
「――出撃します。」
彼女の小さな声一つで、一万二千が動いた。
華奢な背中なのに、軍勢を従える存在感は揺るぎない。
大地を揺らすような轟音が帝都を離れ、ヴァルティアへ向かっていく。
ヴァルティアでは、最後の軍議が始まった。
セレナが地図を指す。
「帝都から来るには、この大河を越える必要がある。
ここで足止めできれば時間が稼げるわ。」
キョウは指で川沿いをなぞり、位置を決める。
「……川を渡った直後に砦を作ろう。急造でいい。
あそこを落とさないと敵は進めない。」
「砦の建設、任せて。」
エマが立ち上がる。
「無理はしないで。」
キョウは小さく言う。
「誰のために戦ってると思ってるのよ。」
エマは笑った。
シオンが続く。
「敵の動きは私が追います。メルティナの性格も探りましょう。」
「よろしく。」
皆の視線がキョウへ集まる。
彼は拳を握り、震えを押し込むように言った。
「……勝とう。絶対に。」
静かに、しかし確かに。
この場にいる全員が頷いた。
こうして、五千と一万二千――不釣り合いな戦の幕が上がろうとしていた。
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