教えて! 八尺様! ~怪異がそっちで再ブレイクする方法~

加藤よしき

第1話 口裂け女の挑戦編

 都市伝説の怪物、妖怪、悪魔、あるいは神に至るまで。すべての超自然的存在たちが恐れるものがある。それは忘却だ。こういった存在たちは、人々から忘れ去られることで消滅する。信仰されない神、恐れられない怪異、誰も存在を気にかけない存在、それらは無と同じである。

 ゆえに怪異たちは恐れる。人々から忘れ去られることを。

 しかし、ここに1件の極めて特殊な変遷を遂げた怪異が存在する(怪異は「人」ではなく「件」と数える)。

 それこそが、八尺様である。

 かつて匿名巨大掲示板で生み出された女性型の怪異だ。3m近い長身で、白いワンピースを着て、「ぽぽぽ」という独特な声を発する。この八尺様に魅入られた少年は、そのままどこかへ連れ去られてしまう。当初は恐怖の怪異として成功を収めたが、彼女はそこから奇妙な進化に成功する。

 エロへの路線変更である。人間が作り出す創作物の中で、長身、女性、少年を狙うという部分が拡大解釈され、デビューから10年以上を経てショタ食いデカ女として再ブレイクを果たした。2025年現在も、彼女は怪異として圧倒的な知名度を誇っている。

 八尺様の奇妙なブレイクは、世界中の「忘却」を恐れる存在たちに驚きを与えた。そして、その教えを乞うために彼女のもとへ尋ねる者が現れた。

口裂け女も、その1人である。

 「単刀直入に言うわ。私もあなたみたいにセクシー路線で再ブレイクしたいの」

 庭の鹿威しししおどがカコーンと鳴った。八尺様は湯呑を置き、目の前に座るロングコートの女に尋ねた。

 「いやいや、あなたほどの超有名怪異が、今さら路線変更する必要はないと思います。というか再ブレイクも何も、あなたはもう定番中の定番、芸人で言ったらウッチャンナンチャンくらい安心安全の超大御所ポジションじゃないですか」

 すると口裂け女は湯呑に口を付ける。東京から山陰地方にある口裂け女の屋敷まで、ダッシュでやってきたから、喉が渇いていた。ひとくち、ふたくち、飲み終えたところで、彼女は人一倍大きな、その口を開いた。

 「だからこその危機感があるわけ。私はね、忘れられて消えていった同期や先輩をたくさん見てきたわ。絶対に大丈夫だと思っていたレジェンド妖怪たちも、人の記憶からは容易く消えてしまうもの。自分からガンガン行かないと、消えてしまうの。それに、水木しげる先生も亡くなったし……」

 水木しげる、言わずと知れた『ゲ〇ゲの鬼太郎』の作者である。数多くの妖怪たちを漫画で取り上げ、世の中の少年少女に紹介した。創作物を通じて妖怪の認知度が広がり、これによって多くの怪異たちが印税的に自分の「存在」を濃くした。

 「『鬼太郎』でレギュラーを持っている怪異たちは心配ないと思うわ。準レギュラーでも強い。でも、私は違うじゃない? さっき私をウッチャンナンチャンって言ってくれたけど、それは違うと思うの。たしかに口裂けって知名度はあると思う。小説や映画、マンガ、色々なところに呼ばれるわ。でも、メインじゃない。いわばMC番組がないの。そういう意味では……ダチョウ俱楽部に近いと思っているわ」

 「ダチョウ俱楽部……」

 八尺も湯呑に口をつける。また鹿威しが鳴った。

 「私も再デビューをしたい。そして、できれば『怖がり』で売るのを卒業して、『エロがり』でやっていきたい。あなたのように」

 「でも、先輩の場合は怖がり一本でやっていけるじゃないですか」

 「『エロがり』の方が、存在が濃くなるって聞いたわ」

 「それは……」

 事実だった。八尺様はエロがられるようになってから、存在が濃くなった。存在は濃くなるというのは、人間でいう生命力が増すことだ。自身の力が増し、より確固たる形で現実に存在できる。意識し、思考し、行動ができる。逆に存在が薄くなると、存在は思考力を失い、意識が薄れ、無へと戻っていく。

 無とは、つまり死である。多くの存在は本能で死を恐れる。死なないために、あの手この手で自分の存在を濃くする。そして、これまで八尺様のような認知の変遷、つまり恐怖→エロのキャリアを辿った存在が日本では少なかった(海外勢だとサキュバスとインキュバス、吸血鬼などがいる)せいか、『エロがり』のパワーは国内の怪異たちに知られていなかったのだ。

 「まぁ、エロがられてから格段に『無』が遠くなったように感じます」

 「でしょ? 私もその安心が欲しいのよ」

 八尺様は考える。『無』、それは絶対的な恐怖である。自分もかつてエロとして再発見されるまで、少しのあいだ『無』の恐怖と対峙した経験があった。何をしても誰もこちらを振り向かず、誰も相手をしてくれない。そのうち思考することが、次に自分が存在すること自体が無意味に思え、消えてしまいたいと思った。それは耐え難く哀しい日々だった。人は「我思うがゆえに我あり」と言う。自分が何かを考えているから、自分はここにいるのだと。しかし自分のような怪異は「他人が思うがゆえに我あり」なのだ。他人に存在していると思ってもらわないと、生きていけない。八尺様は思う。そういう意味では、口裂け女が芸人を例に出したことは順当だ。芸人は自分以外の他者に笑ってもらえなければ食っていけない種族だから。

 加えて、最近は『怖がり』が難しくなっている。かつて人は、暗闇すら恐れた。今はどこもかしこも光があり、人がいる。そして怪異を怖がっている場合ではないほど、辛く厳しい現実がある。暴力や貧困や断絶といった現実的な恐怖を前に、自分たちのような怪異は驚くほど無力だ。怪異として生まれた立場とは言え、今の時代に恐怖の存在であり続けることは、とてつもなく難しく、何よりやっていて苦しい。八尺様には分かった。口裂け女が、そういった『怖がり』のレースから降りたいと願っていること、そして彼女の気持ちを。無に還りたくないが、このまま悩み苦しみながら存在し続けたくもない。当然の思考回路だ。かつて自分もそうだったのだから。

 鹿威しが鳴った。八尺様はお茶を一気に飲み干した。

 「わかりました。私にお任せください」

 すると口裂け女は深く頭を下げた。

 「ありがとう」

 口裂け女が差し出した手に、八尺様は応える。彼女の手は燃えるように熱かった。確かにまだ、口裂け女はこの世界に存在している。八尺様は強く手を握り返す。力になろう、彼女の『エロがり』への変身を成功させようと、心から決めた。

 そしてさっそく、八尺様は口裂け女の再デビューのために策を練った。彼女は知っている。人間の『性』に対する執着を。

 『無』に近づく日々を送っていたら、ある時から少しずつ自分の存在が濃くなっていくのを感じた。それがエロであることを知って、最初は驚いた。どうかなと思うこともあった。しかし、それよりも喜びが勝った。形はどうであれ、自分を知ってくれている。自分を語り継いでくれる。その事実がたまらなく。

 自分に関するエロ作品が増えていく過程で、八尺は自分からそっちの世界に介入した。存在が濃くなるにつれて、できることが増えた。ある時は田舎の子どもにエロいところを見せ、ある時はエロ漫画家の夢の中に入り込んで「デカ女はエロいですよ」と意識に埋め込んだ。その過程で人間のエロについて多くを学んだ。具体的にはD〇siteとF〇NZAで。マンガ、CG集、ボイス、ゲーム……商業・同人を問わず幾多のコンテンツを読み込み、人間が何を求めているかを調べ尽くしたのだ。存在が濃くなれば、無から金を生み出すこともできた。クレカを使いまくりである。

 八尺様が培ってきた知識が、またたくまに口裂け女を彩っていく。ビジュアル、アクションの両面から、口裂け女のエロ度を磨いた。そして――。

 「できました!」

 「えっと……本当に、これでエロがってもらえるのかしら?」

 「保証します!」

 「それじゃ、思い切って……」

 口裂け女は深く息を吸い込む。そしてあらん限りの、艶々な声で、

 「私、綺麗?」

 ここまではいつも通り。もう半世紀も続けて来たアクションだ。しかし、ここからは――。

 「これでもぉ~っ!?」

 八尺様は考えた。口裂け女は80年代から活躍する怪異だ。その特徴はマスクの下の裂けた口。美女かと聞いた相手に、その傷口を見せつけて度肝を抜く。しかし、もうひとつの特徴があると、八尺様は気づいたのだ。それは季節を問わずロングコートを着ている点である。冬ならばいい、しかし、夏ならば? 当然、中身は蒸れる。蒸れ蒸れの汗だくだ。八尺様は知っている。近年、人間たちのあいだで匂いに関するフェチが強くなっていることを。

 匂いをとっかかりに、八尺様は思考を進めた。匂いとセットで用意すべきは、ある種の『だらしなさ』だ。大昔から人間は「隙」に弱い。ギャップ、日常感とも呼ぶ。完璧な美男美女が一瞬だけ見せる油断。それこそが逆説的に完璧な一撃となるのだ。

 ――そこを、突く。

 こうした思考プロセスを経て八尺様は作り上げた。新怪異、口裂けエロ女である。

定番の「これでも?」の問いかけと共に、口裂け女はマスクと同時にロングコートを解き放つ。下はバブルを思わせる紫のスリングショット。そして、あえて増量してもらった。腹には肉がつくように、かつ丼を中心とした食生活を。一方で足を太くするためにスクワットを。さらに強くこだわったのは、毛の処理だ。腋と股間、両方の処理を止めてもらった。色々な意味でハミ出すようになるまで。極めつけに、風呂は2日に1度――。

 すべては、八尺様の理想通り……いや、それ以上だった。書き文字が幻視できた。「ムワァ」とか「ムチィ」とか「臭」とか、そういうのが口裂け女の周りに浮いて見えた。

 ――やりきった。

 その実感が込み上げてくるや、

 「完璧です! これならイケます!」

 たまらず八尺様、サムズ・アップ(親指を立てる)。

 一方の口裂け女、

 「マニアックすぎるわ!」

 激怒の顔で、ハサミを八尺様の脳天に突き立てた。

 「痛ーっ! 何するんですか~!? せっかく仕上げてあげたのにー!」

 「ただの不潔な痴女じゃない!」

 「いや、人間の中でそういう波が来てるんです! 今はまだ一部かもしれませんが、すぐにマジョリティになります! 本当です! 信じてください!」

 「ウソつけー!」

 しかし、八尺様の言葉は正しかった。とりあえず口裂け女は八尺様のアドバイス通りの格好で活動を続けた。その結果、数年後にオリジナル同人業界で、次に「クリベ〇ンDUMA」「エンジェル倶〇部」「コミックM〇LF」の順番で題材に取り上げられた。そして202X年、再ブレイクと言っていい成功を収める。口裂け女は喜び、八尺様に礼を言いつつ、「本当に怖いのは、人間かもしれないわね」と語った。

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