プレゼントをあなたに

みそ

第1話

かつては僕もクリスマスの主役だった。

枕元には一番大きな靴下をうやうやしく置いて、期待に胸を膨らませて眠りについた。そして翌朝には靴下にはとうてい入りきらない大きさの、きらびやかなプレゼントの包みが聖夜を祝福してくれた。

やがてサンタさんの正体を知ってからもクリスマスのお祝いはしばらく続き、中学生になると反抗期も重なって不機嫌な顔でごちそうを食べて、高校生になると完全に途絶えた。

母子ふたりで祝うクリスマスに、重荷を感じていた。

今にして思えば母さんは多少の無理をしてでもクリスマスを祝ってくれていた。チキンやピザやケーキといったごちそうに、とっておきのプレゼントを用意してくれていた。

でも疲れた笑顔で渡されるそれらは、年々どこか粘り気を持つ鬱陶しいものになっていき、ついには拒絶してしまった。母さんのあまりにも疲れた笑顔を、見ているのが辛かった。どうして笑ってんだよって、突っぱねてしまった。

母さんには自分のために何か別のものを買って、自分をねぎらってほしかった。でもそれを伝えられるほど、僕は大人じゃなかった。

と言ってもそれで仲違いしたとかではないし、今では普通に話したり連絡を取り合ったりしている。誕生日や母の日にはプレゼントを渡しているし、都合がつけば実家に帰ってお祝いだってする。

それでもまだ、クリスマスは遠ざけてしまっている。


今の僕はクリスマスの脇役だ。

暖房が効きすぎてちょっと暑いくらいのコンビニ店内。クリスマスだからと言って、やたらもこもこしたサンタのコスプレをさせられるのはたまったものではない。何時間も突っ立っているとそれだけで汗が滲んでくる。

「いらっしゃいませー、ありがとうございましたー」

それでも笑顔は忘れずに接客。予約したクリスマスケーキやごちそうを取りに来たお客さんたち。世の中にはこんなにもクリスマスを心待ちにしている人がいるのかと、家族連れやカップルの笑顔に打ちのめされる。

成人式なんかもうとっくに過ぎて、ぶらぶらとフリーターなんかしてる身の僕にはクリスマスなんて無縁だ。意地でしている一人暮らしのせいで生活はだいたいカツカツ。そんな状態でクリスマスを祝う余裕はないし、そもそも一緒に祝う彼女ができる余地がない。

大学も出ていなくて、ろくな資格も持っていない人間に世間の風は世知辛い。

脇役はただクリスマスを彩る街の一部になって、主役にごちそうを売り渡し、貼り付けた笑顔で送り出すだけだ。クリスマスを回すための歯車のひとつになって、ただ黙々と売りさばくだけ。

クリスマスを拒絶する自由があったあのころが、遠い昔のように感じられる。


怒涛のピークを過ぎてそろそろ夜勤の人と交代の時間になったころ、パンツスーツにコートを羽織った女の人が入店してきた。

切羽詰まったような顔でキョロキョロと店内を見回し、さっきまでたくさんのケーキが並んでいたスイーツコーナーに足早に向かう。

ケーキ目当てなのだろうか。それなら予約しとけばよかったのに。とちょっと意地悪な気持ちで思ってしまう自分に、ジワリと嫌な気持ちが湧いた。

女の人は隅々まで店内を捜索すると手ぶらでレジまで来た。僕より少し年上に見える彼女は、間近で見るとどことなく疲れた感じがして顔色もあまりよくなかった。疲労の滲んだその顔に母さんの顔が重なり、僕は作り笑顔で打ち消した。

「いらっしゃいませー」

「あの、ケーキありませんか」

「申し訳ございません。当日分はもう売り切れてしまいました」

「そうですか…」

女の人は明らかに肩を落とした様子で店を出ていった。

クリスマス当日になって急にケーキが必要になったのだろうか。急に彼氏と会えるようになったとか、そういうハッピーな理由で。ちっ、リア充め。まあ、なんにせよ僕の知ったこっちゃないな。と考えて、また自分が嫌になった。

クリスマスという日は、年々自己嫌悪を降り積もらせる日になっていく。


退勤する僕の手にはケーキの箱。クリスマスなのに一人で過ごすと思われるのが嫌で、見栄で予約までして買ってしまったやつ。

彼女と食べるんだと言った僕の言葉を、いったい何人が信じてくれたことか。

みみっちい自分にため息が漏れて、びゅうと吹きすさぶ冷たい夜風にくしゃみ。

鬱々とした思いを振り払い、寒空の下を最寄り駅へと歩いた。駅に近づくに連れて幸せそうな二人連れが増えて、イルミネーションは一人でいる寂しい人間をあぶり出すかのようにきらびやか。

そんな中でも僕は堂々と歩ける。なんせケーキの箱を持っているから。待ってる人がいる家に買えるんですよ、って顔をしながら歩ける。

ケーキの箱は印籠か免罪符か、そんな効果があるように思えてきた。

クリスマスの街を一人で堂々と歩くための、惨めさから守ってくれるアイテム。

いったい何に対して感じなきゃいけない惨めさなのかよくわからないけど、表面的には守ってくれている。内心はもう、鬱屈とした気持ちで崩れたチョコケーキみたいにドロドロしているのに。

駅前には待ち合わせと思しき人やカップルで溢れていた。人待ちをしている人は見ているとなんとなくわかる。そわそわしていたり、うきうきしていたりして。

これから一人で家に帰り、一人でケーキを食べるのは僕くらいなもんじゃないかと思えてくる。

はあ、寒いな。早く帰ろう。

駅構内に入ろうとすると、横手にあるコンビニから人が出てくるのが見えた。さっきケーキがあるか聞いてきた女の人。

また空振りだったのか、疲れた肩にぶら下がった重そうなカバン以外の荷物は見当たらない。

顔をうつむけて出てきたその人は今にも泣き出しそうに見えて、目をそむけると手に持ったケーキの箱が何かを訴えているかのようにキラリと光を反射した。

どうせ一人で食べるよりは、あの人にあげた方がこのケーキも喜ぶんじゃないか。

そんな馬鹿な。ケーキに感情なんてあるわけがない。よしんばあげたとしても、どうせカップルで食べるのだろう。そして彼女の口から美談として僕のことが語られて、聖夜をふたりで盛り上がる餌になるだけだ。

僕はそんなことのためにこのケーキを買ったんじゃない。じゃあなんのために買ったんだっけ。バイト先の人にクリスマスを一人で過ごす、惨めで寂しいやつと思われたくないから。

なんだよ、くだらない。それならこのケーキはもう、その役割を果たしているんじゃないのか。人にあげても、問題はないはずだ。

それなのに僕は、このケーキを手放せないのがわかっていて、すっと冷たい風がコートの隙間を縫って吹き込んできたような心地がした。

「きゃっ」

か細い声に目を向けると、女の人が尻もちをついていた。

顔をうつむけていたから、目の前を歩いていた男に気が付かずにぶつかってしまったらしい。ガタイのいい男は舌打ちすると手も貸さず声もかけずに、スタスタと歩いて行った。

僕は彼女に歩み寄り、ズボンでこすってから手を差し出した。

「大丈夫ですか?」

まだこれくらいの親切はできることに、安堵しながら。


女の人は軽く足をひねってしまっていたので、肩を支えて近くのバス待ちのベンチに座らせた。この時間にもうバスは来ないし、誰かの邪魔になることもないだろう。

「あ、あの、ありがとうございました」

「い、いえ…」

このまま立ち去っていいものか考えていたら、返事がもたついてしまった。

「さっきの店員さん、ですよね?コンビニの」

「あっ、はい。そうです」

覚えていてくれたのかと、ちょっと嬉しくなった。

「ケーキ、まだあったんですね」

その目が無表情にケーキの箱を見つめている。

「あっ、いえ!これは違うんです!僕が予約してたやつなので、店売りのはもうほんとになくて…」

しどろもどろに言い訳する僕に、女の人は白いため息を吐き出した。

「ごめんなさい、親切にしてもらったのに責めるようなこと言っちゃって。そうですよね、店員さんだってクリスマスのお祝いしますよね」

「あっ、いえ…」

そんなんじゃないけど、本当のことは惨めすぎて言えなかった。

「すっかり忘れちゃってたんですよね、今日がクリスマスだって。まだ先だと思ってて」

疲れ切った目の下には化粧で隠せないくらいの濃いクマができていた。まだ若く見えるのに、ところどころには白髪も光っている。

「娘が楽しみにしていたのに、忙しくて忙しくてそんな気も回らなくて」

恋人と食べるのじゃなくて、娘さんへのケーキだったのか。でも。

「あの、それならお父さんの方が準備したりとか」

「あっ、うちシングルマザーなんです。こんなふうに、全然ちゃんとできてないですけど」

自嘲する女の人が、女手ひとつで僕を育ててくれた母の姿と重なった。そんな話を聞かされてはもう、僕は見栄を張ることをやめるしかなかった。ついでにちょっと高かった分不相応なケーキも、諦めることにした。

「それならこれ、持っていってください」

「そんな、いただけません」

「いいんです。僕には必要ないものですから」

赤裸々な事情を打ち明けると女の人は目を丸くして、僕から顔を背けて口元に手をやり、やがて我慢しきれなくなったのか大きな笑い声を上げた。

僕もそれにつられてゲラゲラと笑った。久しぶりに、心の底から。ゲラゲラと。

「ご、ごめんなさい、笑っちゃって。でもほんとにそんなマンガみたいな人、いるなんて」

「いるんです、ここに」

顔を見合わせて笑ってケーキを渡すと、今度は素直に受け取ってもらえた。

「あっ、お金…」

「ああー、いいですいいです。クリスマスプレゼント、ってことで」

あれ、なんだろうな。プレゼントってもらうよりも、あげるほうが嬉しいものなのかもしれない。

「メリークリスマス」

だってこんなに、しあわせそうな顔になってくれるのだから。それだけでこんなにも、満たされた気持ちになるのだから。失っているはずなのに、その何倍もほかのところが満たされる。

子どもにプレゼントをあげるサンタさんが、いつもニコニコ笑顔で描かれている理由がわかった。そして母さんがどうしてクリスマスに笑顔でいられたのかも、ようやくわかった。

「ありがとう。メリークリスマス」

イルミネーションよりも華やかで、鮮やかに咲いた笑顔。こんな素敵なプレゼント、ほかにない。

家に帰ったら、久しぶりに母さんに電話をしよう。メリークリスマスって、遅くなっちゃったけど伝えよう。

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