第5話《淀む煙の家と、猫耳の少女が語る冬の記憶》

1.薪運びと、近すぎる指


この村での生活にも、少しずつ「型」ができてきた。 俺の役目は、当面は力仕事の手伝いだ。 日本で機械設計の図面を引いていた頃には想像もできない、全身の筋肉が軋むような毎日である。


「トモヤ、次、あっちの家」


リュミアが、空になった籠を揺らしながら歩く。 チャコールグレーの猫耳が、周囲の音を拾うように小刻みに動いていた。


「……了解。意外と、薪の消費って激しいんだな」


俺は籠を背負い直し、彼女の後に続く。 18歳の体に戻ったとはいえ、不慣れな山道での運搬はやっぱり息が切れる。


「冬が近いから。みんな、火を絶やさないようにしてる」


リュミアが振り返り、俺の足元を指差した。


「待って。足元、危ない……! そっち行かないで!」


濡れた草に足を取られ、俺の体が大きく傾く。


「おっと……!」


咄嗟にリュミアが横から俺の腕を掴んだ。 細い指が、俺の前腕にぎゅっと食い込む。


(……近いな)


作業の熱気のせいだろうか。 リュミアのうなじがわずかに上気し、透き通るような肌に汗が滲んでいる。 ふわりと鼻をくすぐる、どこか甘い、野草のような匂い。


(……いかん、心臓に悪い)


「……助かった」


「……別に。トモヤが倒れたら、薪が運べなくなるから」


彼女はそう言ってすぐに手を離したが、耳の縁がほんの少し赤くなっていた。


2.豊満な帳簿係と、数字に宿る煙


村の「備蓄」を管理する集会所へ向かうと、そこで一人の女性に出会った。 小型猫系の耳を持った、おっとりとした雰囲気の女性だ。


「うん。ちゃんと見ておくね。えへへ」


彼女はエルナ。村の帳簿係だという。 ふわふわした柔らかそうな毛並みに、小さめの猫耳。 おっとりした声色とは裏腹に、その身体のラインは服の上からでもはっきりと分かるほど、豊満だった。


(……お姉さん系か。いや、身体の線が……目のやり場に困るな)


「智也くん、だよね? 噂、聞いてるよ〜」


彼女がのんびりと板を抱え直すと、身体の曲線が強調され、俺は慌てて視線を逸らした。


「エルナさん。各家庭の薪の消費量、見せてもらってもいいでしょうか」


「いいよ〜。はい、これ。えへへ、熱心だね」


エルナが指差した帳簿には、薪の支給記録がびっしりと書かれていた。 冬を越すために火を焚けば焚くほど、家の中に煙が溜まっていく。 その残酷な『数字』が、そこにはあった。


(……獣人たちは頑丈だから、この煙も「当たり前」で済ませている。 けど、あのお母さんにとっては、これは明確な毒だ)


3.「息を吸う袋」と、立ち昇る一筋の線


その日の夜、リュミアの家に戻った俺は、かまどの前に座り込んだ。 火の明かりが、母親の寝顔を赤く、柔らかく照らしている。


「ちょっと、聞いてもいいかな。お母さんのこと」


俺の問いに、リュミアが不安げに聞き返してくる。


「……怖いこと?」


「できれば、怖くない方がいい。でも、知らないと、どうしていいか分からないこともあるから」


俺は一呼吸置いて、核心に触れた。


「リュミア。……お母さん、昔さ。すごく高い熱が出て、息をするのも苦しそうだったこと……ないかな?」


リュミアの瞳が、ふっと開いた。


「……どうして、それを」


彼女は膝の上で爪を握りしめ、遠い冬の夜をたどるように、ポツリポツリと話し始めた。


「……あった。わたしがまだ、ずっと小さかった頃。外は雪がひどくて、お母さん、熱で真っ赤な顔をして、呼吸をするたびに胸の奥でヒューヒューって……笛みたいな音が鳴ってた」


彼女の声が、微かに震える。


「生きた心地がしなかった。息が止まったら、もう二度と起きないんじゃないかって……」


「……そうだったんだな。辛いことを思い出させて悪かった」


俺は家の隅にあった布袋を手に取り、指でつまんで皺を寄せた。


「お母さんの胸には、目に見えない『息を吸う袋』がいくつもあると思ってほしいんだ。 袋が病気で一度傷つくと、前より破れやすくなる。 そこに煙という『火の粉』が降り注ぎ続ければ、いつかまた、壊れてしまう」


リュミアは、俺の手の中の袋をじっと見つめている。


「だから、この家を少し作り変えたいんだ。 煙が部屋に溜まらないように、屋根まで突き抜ける通り道……『煙突(えんとつ)』を作りたい。 温まった空気が昇る力を利用すれば、煙は自分から外へ逃げていく。 ……リュミア。お母さんのために、やらせてもらえないかな?」


リュミアは、俺が描いた図面と、眠る母親の姿を交互に見つめた。 やがて、彼女は迷いのない目で俺を見た。


「……うん。お母さんが楽になるなら、お願いしたい。 トモヤ。……やっぱり、あなたは、すごい人だと思う」


(すごい、なんて言える立場じゃない。俺はただ、知っているだけだ……)


翌日、族長の息子・ガルドが様子を見に来た。


「ガルドさん。屋根の梁を避けて穴を開けたいんですが、この木の節が硬くて、今の俺の力じゃ刃が立たないんです」


「……ふん。分かったよ、今だけだぞ」


ガルドが太い腕を材に当て、喉の奥で唸る。 彼の『土魔法』の振動が、一時的に木材の繊維を驚くほど脆く緩めた。


(……魔法、便利すぎるだろ)


「助かります!」


俺はその隙に、一気に木枠を組み込んだ。 魔法に頼るのは、この一点だけだ。 あとは石と枝束、そして粘土を練り合わせたもので『勾配』を作り、雨を避けつつ煙だけを効率よく逃がす構造に整えていく。


(……よし。これで、空気の流れは『設計』通りだ)


外では冬の足音が聞こえ始めていたが。 小さな家の中から、真っ直ぐな一筋の煙が、藍色の空へと吸い込まれていった。

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