第4話 異世界で、エヴリンと灯す光

学園長室から戻ってきた俺が救護室の扉を開けると、金髪の少女はまだベッドの上で静かに眠っていた。

あたりを見回したが、セシリア先生の姿はない。


「まだ起きてないのか……」


あまりにも穏やかな寝顔に、ふと不安がよぎる。

もしかして、このまま目を覚まさないなんてことは──いや、さっきまで息はあったはずだ、と頭を振る。


しばらく窓の外を眺めた。

遠くに見える塔や城壁の輪郭が、現実感のない異世界の光景として目に焼きつく。


「これからは、ここで生活していくんだよな……」


少し前まで、俺は普通に学校で部活動をしていた。

それが今は、魔法学園だの竜禍だのといった言葉が当たり前に飛び交う世界にいる。

異世界に迷い込んだ実感は、まだ体のどこかでふわふわ浮いているようだった。


ギシッ──。


ベッドが軋む音がして、思わず振り返る。

そこには、ベッドの上で上体を起こそうとしている金髪の少女──淡い紫の瞳が、まだ眠たそうに瞬いていた。


「あ……起きたんですね。よかった」


思わず声が出る。

少女はまだ状況を飲み込めていないのか、きょろきょろとあたりを見回していた。


「そうか、私は……あのまま気絶して」


かすれた声でつぶやき、ゆっくりと記憶をたどっているらしい。

やがて、何かを思い出したように、ぱちりと目を見開いた。


俺はベッドのそばへ駆け寄る。


「よかった……本当に……よかった」


心の底からの安堵が、そのまま口からこぼれた。


「あなたは……あっ、あの時の森の」


どうやら俺のことも思い出してくれたらしい。

すると彼女は、まっすぐこちらを見て、いきなり頭を下げた。


「すみません。本来なら、私一人で対処できるはずでした。あなたのことを巻き込んでしまって」


まさかの謝罪だった。


「いやいやいや、謝らなきゃいけないのは俺のほうだから! 俺が転ばなかったら、君が怪我することもなかったし」


あの場で、彼女がいなければ、間違いなく俺は死んでいた。

謝るべきなのは、どう考えてもこっちだ。


「俺のせいで怪我までさせちゃって。本当にすみませんでした」


俺も頭を下げる。


「気にしないでください。このくらいの怪我なら大丈夫です。今は……お互い無事だったことを喜びましょう」


柔らかい笑みとともに告げられたその言葉が、胸にじんと染みた。


「ところで、あなたのその右手……あの時はよく見えませんでしたが、一瞬だけ、竜のように見えた気が」


そこまで言いかけたところで、救護室の扉が開いた。


「おっ! ついに目覚めたね」


セシリア先生がひょいっと入ってきて、その後ろから学園長も続く。


「蓮君、突然で悪いが、彼女と少し話がしたい。しばらく席を外してもらえるかね?」


断れる雰囲気でもない。

俺は素直に「はい」と答え、救護室を出た。


* * *


いったい何の話をしているのだろうか。

気にはなるが、立ち聞きする勇気もないので、俺はおとなしく廊下の壁にもたれて待つことにした。


どれくらい時間が経っただろうか。


「入ってきなさい」


学園長の声が中から響き、俺は再び救護室に足を踏み入れた。


「彼女に君のことを説明していてな。君がこの学園に入学することになったことも伝えたよ」


学園長がそう言うと、少女がこちらを向いた。


「学園長から聞きました。あなたは、異世界から来た人なんですね」


どうやら、俺がこの世界の人間じゃないことも既に伝わっているらしい。


「私もびっくりしちゃったよ。変わった服だなーとは思ってたけど、まさか異世界からの子だったとはね」


セシリア先生が、肩をすくめて笑う。


それはそうだ。

異世界から人が迷い込むなんて話、俺だって聞いたことがない。

まさか自分がその「迷い人」枠になるとは、想像すらしていなかったけど。


「君のことは、彼女に任せることにした。さっき了承も取ったよ」


学園長がそう言うと、彼女は、胸の前に手をあて、丁寧に頭を下げた。


「これも何かの縁ですから。よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


俺も慌てて頭を下げる。


「彼女はとても優秀な生徒だ。きっと君の力になってくれるだろう」


学園長は満足げに頷くと、今度はセシリア先生のほうを向いた。


「では、蓮君に学園を案内してほしいのだが、先生、もう動いても問題ないのかな?」


「そうね。歩いて学園を回るくらいなら、大丈夫だと思いますよ、学園長」


「では、決まりだ」


そうして、俺と金髪の少女、二人での学園案内が始まった。


* * *


救護室を出て、しばらく石畳の廊下を歩く。

並んで歩く彼女の長い金髪が、石畳からの風を受けてふわりと揺れる。軍服めいた青い制服が、そのきっちりした性格をそのまま形にしたみたいだった。


並んで歩いているのに、なんとなく気まずい沈黙が続いた。


「……あ、その、改めて」

 我慢できずに俺は口を開く。

「俺、星宮蓮っていいます」


彼女は一瞬きょとんとしたあと、すぐに柔らかく微笑んだ。


「私はエヴリン・ロウェナ・エバーナイトです。皆からはエヴリンと呼ばれています。あなたも、そう呼んでください」


「エヴリンさん──」


「エヴリンでいいです」


「エヴリン、だね。えっと、その……さっきは、本当にありがとうございました」


「こちらこそ。あなたがいてくれて、助かりましたから」


少しだけ距離が縮まった気がして、胸のあたりがふっと軽くなった。


石畳の廊下を抜けると、アーチの先に一面の光が広がった。


「わぁ……」


思わず声が漏れる。


そこは中庭だった。

高くそびえる尖塔、壁一面を彩る紋章入りのステンドグラス、行き交う制服姿の生徒たち。

中央の噴水には、見たことのない魔道具のような器具が取り付けられており、水が空中に浮かぶように流れ落ちている。


俺が今まで知っていた学校とは、何もかもが違っていた。


「ここが、アストレギアの中庭です。行事の時には、ここにたくさんの生徒が集まります」


エヴリンが横で説明を続ける。


「正面の建物には座学教室と職員室、それから学園長室があります。右に行けば訓練場、左に行けば図書館と食堂ですね」


「あの塔みたいなのが図書館?」


「はい。蔵書が多いので、どうしても上に伸びてしまうんです」


冗談めかして笑うエヴリンに、俺も少し笑ってしまう。


「午前は座学、午後は実技が基本です。ここでは魔術の基礎から、この国の歴史、竜禍のことまで、一通り学びます」


学園長の部屋でも聞いた単語──竜禍。

どうやらこの世界では、避けて通れないものらしい。


「次は訓練場に行きましょう。実際に魔術を見てみたほうが、イメージがつきやすいと思います」


俺たちは訓練場へ向かった。


訓練場はいくつかの区画に分かれていて、それぞれのエリアで数人ずつ授業が行われていた。

木製のダミーや標的の石柱が並び、その前で生徒たちが次々と魔術を放っている。


炎が生まれ、風が渦を巻き、水が形を変える。

ゲームやアニメで見てきた「魔法」が、今、目の前の現実として展開されていた。


「すげぇ……」


思わず声が出る。

画面の向こうじゃない。

熱も風圧も、水しぶきも、全部本物だ。


その時、標的を逸れた魔術の光が、こちら側へ飛んでくるのが見えた。


(やばっ!)


反射的にしゃがみ込む。

だが、その光が俺に届くことはなかった。


「ここには結界が張られているので、魔術が外に漏れることはないんですよ」


エヴリンの説明を聞いた瞬間、張りつめていた体の力が一気に抜けて、俺はその場にぺたんと座り込んでしまった。


「今のは一年生の授業ですね。あなたも、すぐにこれくらいはできるようになりますよ」


「本当に……? 正直、あんまり自信ないんですけど」


目の前で起きている現象が現実離れしすぎていて、自分もあれをできるようになる姿が想像できない。


「大丈夫ですよ。見ていてください」


そう言って、エヴリンは自分の掌を俺に見えるように差し出した。


《炎よ、我が掌に宿りたまえ》


短い詠唱とともに、彼女の手のひらに赤い火の玉がぽっと灯る。

掌にすっぽり収まるくらいの、小さな炎。

でも、その熱と光は紛れもなく本物だった。


エヴリンは、そっと指を握り込み、火を消す。


「ね、簡単でしょう?」


「……本当に、魔法、なんだ」


言葉にすると、じわじわと実感が追いついてくる。


これから俺も、あの世界に立つことになるんだろうか──。


俺は、そんなことを考えていた。

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花霞の月、僕は異世界の生徒になった 霧原シュウ @Shuu06

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