謝罪。

esquina

一話完結

斗真はベランダで、やめていたタバコに火を点け、深く吸い込んだ。冷たい冬の外気が、唇の隙間から入り込む。


「うまいな……」

暗い部屋を振り返ると、七海がうつ伏せのまま倒れていた。



七海とは結婚してまだ一年。新婚だった。

よく気が利いて、笑顔が愛らしかった。


斗真は彼女を心から愛していると思っていた。


――いや。ただの執着だったんだ。


以前からおかしいと感じていた。


親友の浩介が、家に来るたび忘れ物をしていく。

それを、七海は「夫がいない時」に返していた。


「七海。浩介と二人で会うな。忘れ物は俺が届ける」


「そうだよね。浩介にも言っといて」


斗真は、二本目のタバコに火を点けた。

ライターの火が揺れて、親指の爪を舐める。


――事実を知った時は、いきなり内臓が空っぽになった……生きたまま死んだ気分だった。


ベランダの向こうに広がる夜景を眺めながら、親友の言葉を思い出す。


「ごめん。実は、お前の奥さんと……」

「ふざけるな。それ、今じゃないだろ!」


――謝罪するタイミング弁えろ。


七海は、妊娠していた。


考えが追いつかなかった。

脳の処理能力が限界を迎えたように、斗真は頭を何度も振った。

ジジジッ。

耳の奥で何千もの蝉が鳴いているみたいだった。


「お前ら二人は、できてたってこと?」


妻を問い詰めながら、興奮のあまり、周囲が真っ白に光って見えた。


「答えろ!アイツが言ったことは本当なのか、言え!」


斗真は、吸っていたタバコのフィルターを強く噛んだ。

暗がりで、ベランダの手すりを掴むと、一瞬で歯が鳴るほどの冷たさだった。


七海も、歯を鳴らしていた。

俯いたまま、青くなっていた。

ゆっくり床に膝をつき、正座した。


――これまでも、そしてこれからも、こうして謝り続けます。


その姿は、そう言っているように見えて、窒息しそうだった。


「やめろ……」

 

怒りは、恐怖に変わった。

不可逆な現実が、一歩先に見えた。

首を垂れている妻の頭部だけが、フォーカスされた。


「ごめんなさい」

七海が両手をついて謝罪した。

その途端、胸の奥で、カタンと何かが落ちた。


「やめろ!謝るな!」


下腹部から、得体の知れない塊が、むくむくと湧き上がった。

頭の中がカッと熱くなり、何も見えなくなった。


「やめろ!」


斗真が前歯を緩めると、噛んでいたタバコが、足元に落ちた。


――なあ。

なぜ、逃げてくれなかった?

なぜ、謝った?


部屋から、七海の苦しそうなため息が聞こえた気がした。

 

振り向きもせず、サンダルで火を揉み消すと、涙が垂れた。

それが悲しみなのか、後悔なのか、彼には分からなかった。

ただ、夜景も涙も、七海のため息すらも、恐ろしくグロテスクに見えた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

謝罪。 esquina @esquina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る