第15話 双子の村⑬

 約1500年前、まだイャザッタが地上に降り立ち人類を統治していた頃、彼女は突如として現れた。

 成績優秀。武術も学問も魔術さえも秀でていた彼女は、誰もが納得する形で聖女に選ばれた。

 だが――彼女はイャザッタに歯向かった。各地を巡る聖女の地位を利用し反乱分子を焚き付け、最終的にイャザッタを殺害したと言われている。

 聖典の成立過程で彼女の存在は都合が悪く、イャザッタ様の威権に関わるとし、抹消すべきとの議論もあったが、各地に残る伝承の爪痕は深く、そのすべてをなかったことにするのはすでに不可能であった。

 聖典にはただ2節だけ――

 “魔女がイャザッタと格闘した。”

 “ところが、魔女に勝てないとみて、地に伏した。”



「彼女に……比べれば……今までの……聖女など……聖女にあらず!」

 魔女はイャザッタ様を殺害しただけでなく、多くの禁術を用いた逸話が各地に残っている。恐らく、メレンゲが使っている禁術――記憶が正しければ《不死》も彼女から伝授されたものなのだろう。

 1500年、その長い間に歪んだ価値観を理解できるだろうか?

 いいや、それどころか情報を知れば知るほど理解できないことが理解できる。

(でも、1500年、魔女もすでに……)

 魔女はすでに死んでいる。だから、あなたが生きながらえる意味はない。悔い改めろ。これがどれほど楽観的な考えかはすぐに分かる。目の前にまさに魔女から禁術を教わり1500年間生きながらえて来た実例がいるのだ。魔女が生存していることは容易に想像が付く。

「そ、それはそうかも知れませんが……。あなたの慕う聖女様だってこんなことのために――」

「いいや……!聖女様は……血が……争いが……大好き……。私が……完全な……不死に……なるのも……待っている……!」

 話せば話すほど、価値観の違いをまざまざと感じる。私はあまりにも魔女に対して、教会の隠した歴史について知らなすぎる。

(なら、殴って言い聞かせれば良いんだ……)

(麻友さん!)

 いつの間にか麻友の意識が目覚めていた。

(分かったところで、説得できたところでどうする? 俺が悪かったーって村人の前で謝って、教会に自首するのか?……そうはならねぇだろ)

(で、でも……)

(そんなんだから“良い子ちゃん”なんだ。腹決めろ。説得を試みたところでセナも死ぬぞ)

 セナも死ぬ―― この言葉が不意に刺さる。恐らく麻友も同じ気持ちだ。

(あたしらが死ぬならまだ丸く収まる。あたしは嫌だがな。だが、セナが死ぬのはどうだ?今の状況、あたしたちだけの命じゃねぇんだぞ!)

 ジュウっ

 その時だった。

 メレンゲがゆっくりと近づいて来る。全身から滴る腐臭を放つ液体は床の石をも溶かす。

 動きは明らかに遅い。避けるのは簡単だが、避ければセナは犠牲になる。

「聖女様は……いえ、魔女さんは何でこんなことをしたのでしょうか……」

 ポツリと呟いた言葉にメレンゲが首を傾げる。

「解らないか……聖女様は……彼女は……人類の可能性を……求めている!……私は……選ばれたのだ!」

「そんな醜い姿で、大勢の人を傷つけ、騙し、それが人類の可能性なんですか!あなたは彼女の――魔女の何を崇拝してッ……!」

 ドロドロに溶けたメレンゲの顔に笑みが浮かぶ。

「彼女は……私を……選んでくださった……。私の肉体も魂も……1500年……彼女のために……ここまで来た……。あとは……完全な不死になるだけ……」

「完全な、不死……?」

「だから……あなたたちは……死ぬ。聖女様は……血が……争いが……大好き……。私が……不死に……なるのを……そして……人類文明を……押し上げるのを……待っている……!」

 壊れた論理。壊れた信仰。もはや彼は「誰かの意志」ではなく、「自分が信じた幻影」のために動いているだけだ。

(アフラ、こいつはもう駄目なのが分かっただろ)

 私の手が、自然に拳を握っていた。

(……でも、私は“優しい聖女”でいたかった。暴力から、遠い場所にいたかった)

「大切な人を――護るため」

 拳が、静かに熱を帯び始める。魔力でもない、祈りでもない。これは、意志だ。純甘香の、アフラ・フォーグナーの、そして誰かの命を守るための――。

「さあ……キスをしておくれぇ!」

 メレンゲが腕を広げて飛びかかってくる。

「殺されるつもりはありません。私は、生きるために、戦うだけです!」

 顔が近づいてくる。臭く、ぬめったその汁が私の身体へに飛び散った瞬間、皮膚が焼ける音がした。すぐに肉が崩れ、血が流れ出す。

 だけど、私は止まらない。

(痛い。怖い。けど――)

 その唇を拳で打ち抜き。そのまま胸まで貫いた。

「――ッッ!!」

「ぁアぅっ……!」

 拳がメレンゲの顎と胸骨を打ち砕く。

 骨が砕け、歯が飛び、ボロボロと肉が崩れ落ちる。

 心臓まで達した拳はそのまま背骨を突き崩し、風穴を開ける。

 右腕の肘から先は筋肉まで溶け始め、骨も見え隠れする。

 ただ、痛みよりも怪物とは言え、命を奪ったその実感が恐ろしかった。

 腕を引き抜くと、メレンゲだったモノが呟く。

「な……ぜ……聖女様……キスを……私を……置いて……」

 最後の言葉を残し、メレンゲの体は崩れ落ちた。

 骨と――人間には不要な、3つの心臓だけが、そこにはあった。

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