イケおじですが、何か? ~残念エリート商社マンの婚活迷走記~ 

@ito_ne

第1話 お見合いアリジゴク

「申し訳ございません、佐伯様。お相手の方からお断りのお返事がありました」


開口一番、結婚相談所の担当者は実に申し訳なさそうに頭を下げた。

自分が何を聞かされたのか理解できていない男は、鳩が豆鉄砲を食らったような面持ちで聞き返す。


「……あの、どういう意味でしょうか……?」

「そのままの意味でございます。この度のお話は見送らせていただきたい、と」


顧客の機嫌を損ねないよう、笑顔を絶やさずなんとかこの場を凌ごうと必死の様子が痛々しい。


「ちょ、ちょっと待ってください。この間の顔合わせはものすごくいい感触で……」

「先方様より、『佐伯様には自分よりもっと良い方がおられるのでは』とのご伝言を承っております」

「そんなはずはない!第一まだ一度しか会っていないのに……」

「えぇ、ご自分にはもったいないお方だと」

食い下がろうとする男の言葉に対し、食い入り気味で返答する担当者。

ここまでわかりやすい日本語が通じないのか、この男、と言わんばかりである。


「……ずいぶん謙虚な方だ」

前のめりになりかけていた身体をソファに沈ませ、男はため息をつく。

ため息をつきたいのは、担当者の方であろうことは、その場にいた者は全員が理解している。


この日本という国には『様式美』というものが存在する。

お見合いにおいて「自分にはもったいない」という返事は、要するに「はい、さようなら」の意である。


この顧客の男、この流れを理解せずに『ずいぶん謙虚な方だ』ときた。

『ずいぶん自信家な方だ』と、担当者は皮肉の一つも言ってやりたかったに違いない。


「……まぁ、そんな気の小さい方では仕方がないな。では、他の方を」


そこで担当者が待ったをかける。

「それなんですけれども。次回は少しお相手の年齢層を広げてみてはいかが、と」


━━ よし、言えた!

だいたいが四十六歳のおじさんの婚活で、対象年齢が二十五~三十五歳ってあり得ないから。確かにイケメンだし三高かもだけど、一回り以上年の離れた女子からしたら、ただのおっさんでしかないって理解してくれ!


そんな気の毒な担当者の心の声も虚しく、男はにこやかにこう言い放った。

「いえ、子供が欲しいとも思っていますから、そこは譲れません」


がっくり首を垂れた担当者の言葉は、

「……はぁ、そうですか……。では、当たってみますが……あまり自信は……」

と、どんどん語尾が小さくなってゆく。


「え、何か仰いました?」

「い、いえ、頑張ります…」

「よろしくお願い致します、野々宮さん」


頑張れ、野々宮‼ ━━



***



「あれから四年かぁ、アンタまだ再婚諦めてなかったんだ」

向かいの女性がコーヒーを飲みながら、しみじみとそう呟いた。

「それはもう!だって子供が欲しいじゃないか」

「……ま、いいけど。で、担当さん、今度で何人目だって?」

「……八人目」

「……それで諦めないって、アンタも相当おめでたい人ね」


佐伯圭吾・四十九歳、バツイチ、子なし。

向かいの席から辛辣な言葉を投げかけているのは、元妻・滝上静香。

この四年間、佐伯が婚活に失敗するたびに愚痴を聞かされている気の毒な女性である。


「なんつーか……。その年で二十代女子に選ばれると思い込める、その図太さだけは褒めてあげるわよ」

「そうか! そうだよな、やっぱり粘り強さは大事だよな!」

「……は?」

「静香、やっぱり君はオレの理解者だ!」

「……ごめん、やっぱ無理」

「何が?」

「嫌味ぐらい察しなさいよ!」

「え? 君がオレに嫌味とか、言うわけないじゃないか」

「そーゆーとこが無理だっつの‼」


お察しの通り、離婚の原因は、あまりにも嚙み合わない会話だ。

佐伯自身は全く気が付いていないところが、悲劇であり、喜劇でもある。


「まぁ、でも……、上手くいくといいわね。担当の方には同情するけど」

静香はため息と共に席を立つ。

「ありがとう、やっぱりいい女だな。君以上の女性はなかなか現れない」

「そりゃどーも。じゃあね」


振り返ることもなく手を振りつつ店を出る静香を見送りながら、さて、次の女性は…とスマホを取り出す佐伯であった。



***


それから二週間後。

奇跡的にお見合いを了承してくれた女性とのお見合い当日である。

場所はホテルのロビーラウンジ。

佐伯は紺の三つ揃えを着こなし、意気揚々と待ち合わせ場所にいた。


「お待たせして申し訳ございません」

と時間よりも早めに現れた女性は、とても立ち居振る舞いの美しい人であった。


「初めまして、佐伯圭吾と申します」

立ち上がって頭を下げる佐伯は、担当者からもらったプロフィールの年齢よりずっと若く見え、しかもハンサムである。女性はひとまず及第点をくれたようだ。

にっこりと微笑み、「森下しおりです」と挨拶をし、佐伯に促されて席に座る。


━━ よし、いい流れだぞ。


実は、佐伯的には一つだけ不満があった。

年齢が、希望枠より一歳上の三十六歳なのだ。


気にするとこ、そこ⁉

というのは、事情を知る人はほぼ満場一致で思うことである。


それでも何とか滞りなく自己紹介を済ませ、色々話をして互いの情報を交換し、距離を縮めていこうかという段階で、おそらく歴代担当者が最も恐れていた事態となってしまったのだった。


「森下さんは、現在お仕事をされているということですが」

「はい、雇われですけれども、ブティックを任されております」

「退職はいつ頃をお考えですか?」

「……はい?」


怪訝そうな問い返しをものともせず、佐伯は言葉を続ける。

「結婚となると家庭に入られるでしょう?」

「あぁ、そういう……。そうですね、いつかはそう考えることもあるかもしれませんが、今は仕事を辞めるつもりはないんです」


次に佐伯が発した言葉は、相手の思考を止めるのに十分な威力だった。

「でも、出産を考えるのであれば、森下さんはあまり余裕がないでしょう?」


「……」

笑顔が張り付いたまま固まった表情。

普通であれば、ここで自分が言葉のチョイスを間違ったと気付くものだ。

気付くものなのだが……。


「あれ? そういうことには無頓着な方ですか?」

張り付いていた笑顔がうっすら消えかけている。

担当者がいれば、間違いなくここでタオルが投げられたはずであるが、残念ながら救世主は今ここにいない。


結局、その後の時間はほぼ一方的に佐伯が話すだけとなってしまった。

上機嫌だったのは佐伯だけである。



***



「待て、予算の見直しだと? 前回の会議で了承されたはずだろう!」

「営業側で報告漏れの見積もりがあっただろうが。それを踏まえたうえで数字を出し直せって言ってるだけだ。何も理不尽なことは言ってない」

「くっ……! で、提出期限はいつまでだ」

「そうだな、今週中」

「おまっ……! 今、木曜日の十六時だぞ? 実質一日ないじゃないか‼」

「じゃ、そういうことで」

「おい、ちょっと待て! 榊原、待てって‼」


プロジェクト予算をめぐっての攻防の最中に、佐伯の携帯が鳴る。

企画部の同期である榊原の腕を逃げられないように掴みながら、電話に出た佐伯の耳には、さらなる悲劇が待っていた。


『佐伯様。大変残念ではございますが、先日の森下様より、お断りのご連絡がございました』


━━ 何でこのタイミングなんだよ‼

「……そうですか、またよろしくお願い致します……」


「……どうした、この世の終わりみたいな顔してるぞ」

榊原の問いに顔を上げた佐伯は、

「……また断られた」

とだけ呟いた。


何の話だ、と聞き返しそうになった榊原であったが、一部で噂になっている佐伯の「婚活」の話を思い出した。


さりげなく掴まれた佐伯の手を放しながら、「まぁ、頑張れ」とだけ言い残し、去っていく。

「あ、締め切りはビタ一秒まからんぞー」

振り返りもせず手をひらひらさせる榊原の後ろ姿に、佐伯の怒りが木霊する。

「え? あ、ちょっ……! 榊原、このクソやろー‼」


━━ あれ、でも待て。

アイツ、他人のプライベートに「頑張れ」とかいうヤツだったっけ?


一瞬首を傾げたが、榊原に課された宿題に現実へと引き戻される佐伯であった。

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