魔女の福音 ~ウィッチズ・カース~

いろは

第0話 青い空

時は西暦1600年。


歴史の転換点は、その日に訪れた。


欧州の広場。当時、世界は寒冷化による飢饉と、宗教戦争の真っ只中にあった。人々は救いを求め、そして同時に、不安の捌け口を求めていた。


その標的となったのが、『始祖』と呼ばれる十人の魔女たちだ。


彼女たちは強大な力を持ちながらも、人間との共存を望んでいたといわれる。だが、時代はそれを許さなかった。「魔女を狩れば、太陽は戻る」そんな妄信と、統治者たちの政治的な思惑により、彼女たちは処刑台へと送られた。


そして、最後の一人が処刑された瞬間。  世界は一変した。


ドォォォォン……。


彼女達の亡骸から噴き出したのは、赤い血ではなく、天を衝くほどの『青い光』だった。  


それは瞬く間に成層圏まで広がり、地球を覆っていた分厚い灰色の雲を吹き飛ばした。光の粒子は風に乗り、雨に溶け、海を渡り、世界中へ降り注いだ。


『魔女の因子』の拡散である。


人々は、呆然と空を見上げた。見たこともないほど澄み渡った、鮮烈な青空。

その空気を吸い込んだ瞬間、人類の遺伝子に眠る「何か」が目覚めた。


それは、人類が「魔法」という名の新しい火を手に入れた日。


そして、魔女という種が滅び、全人類が「魔女の子供」へと生まれ変わった日でもあり、同時に、生態系そのものが塗り替えられ、終わりのない生存競争が始まった日でもあった。


それから約400年後


時は流れ、現代。


生態系の変化から生まれた魔物は駆逐されるべき恐怖の対象から、

日常的な脅威――言わば災害の一種として社会に定着していた。

人類は魔法を駆使し、結界で都市を守り、魔物に対抗するための力を体系化させた。


400年という歳月は、異常を日常へと変えるには十分すぎた。


日本のビル群にそびえ立つ、巨大な城郭都市のごとき学び舎――『国立継承院高等魔術学校』。その最上階にある執務室で、一人の老婆が窓の外を眺めていた。  『結界の魔女』と呼ばれる校長だ。


「……今日も、空が青いわね」


彼女が愛おしそうに見つめるその「青」は、400年前のあの日から変わらない、魔女因子の輝きだ。現代の子供たちにとって、魔法は生まれた時からそこにある「当たり前」のもの。歴史の授業で「魔女狩り」を習っても、それは遠い昔のおとぎ話に過ぎない。


「校長、新入生の最終リストです」


教頭が入室し、タブレットを差し出す。そこに並ぶのは、新しい時代を担う子供たちのデータだ。


魔女の膂力を色濃く受け継いだ突然変異。

雷と光の複合魔術を持つもの。


その他にも、青い炎を宿す名家の麒麟児や、規格外の治癒能力者など、錚々たる顔ぶれが並ぶ。


「400年の交配と進化……。因子の適応度は、過去最高レベルね」


老婆は目を細める。かつての悲劇は風化した。だが、因子そのものは消えていない。  平和な日常の裏で、魔女の遺産を野望の道具として冷徹に利用する謎の結社『パンドラ』の影も見え隠れしている。


「彼らが、この美しくも危うい世界をどう守り、どう変えていくのか」


老婆は静かに笑い、カップを置いた。


「楽しみだわ。さあ、始めましょうか。彼らの『継承』の物語を」


チャイムが鳴り響く。  青い空の下、若き魔術師たちの青春が、今まさに幕を開けようとしていた。

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