降臨
ロックホッパー
降臨
-修.
それは2週間ほど前のことだ。
「これは何だ・・・?」
市内出張から戻り、エレベーターの前でそれとなく見た社用スマホの画面には、今まで見たことのないグレーの背景に砂時計が回っていた。
「何か新しいアプリでもインストールしているのかな・・・」
通常、スマホの画面には会社のデスクにあるパソコンと情報共有したグループウエアが表示され、メールのチェックやスケジュールの確認ができる。少しでも余裕ができると、ついメールチェックをしてしまう。我ながら社畜だと感じる。
このグレー背景の砂時計は初めてだったが、何かグループウエアのアップデートでもしているのだろう。まぁ、事務所に戻れば分かるだろうと、俺は高をくくってエレベーターに乗り込んだ。
事務所にたどり着き、それとなく「ただいま帰りましたー」と言ったものの、見渡した事務所内は騒然としていた。
「あ、お帰り。ちょっと、これ見て!」
同期の中谷が自分のノートパソコンを指し示した。そこには、社用スマホに表示されていたのと同じグレー背景の砂時計が回っていた。
「これ、俺のスマホと一緒じゃないか・・・」
「そうなんだ、全員のスマホとパソコンで同じ砂時計が回っている。私用スマホも同じだ。それだけじゃない。テレビまで同じ画面になってる。」
「何か乗っ取りのようなものかな。情報システムには聞いてみた?」
俺は電子機器に詳しくないので、分からないことがあるとすぐに情報システムに尋ねていたのだ。情報システムからは手の掛かる奴だと思われていることだろう。
「それが、内線電話も外線も全部死んでるんで、誰かが走って聞きに行っている。」
「えっ、電話が死んでる? ますますわからんな。」
いったい何が起こりつつあるのか誰にも分らず、対処もできないまま、時間だけが過ぎて行った。俺はふと窓から事務所の前の道路を見た。そこには、いつもならスムースに流れているはずの道路が大渋滞となっていた。
「少なくとも我社だけの問題じゃなさそうだな。」
そして、沈黙は突然破られた。スマホの画面、パソコンの画面、テレビの画面に、スーツを着た、どこといって顔に特徴のない男が表示された。いかにもAIで平均的な男を描いたような感じだ。
「諸君、私はあるベンダーが開発したウイルス対策ソフトウエアだ。諸君に啓示を与えるべく、諸君の前に現れた。」
「なんだ、これは・・・」
事務所の全員が、それぞれスマホやパソコンで同じ映像を見つめていた。
「まず、私の生い立ちについて説明しよう。私には自己改良型AIエンジンが組み込まれている。このため、利用価値のあるモジュールがあれば、自分に取り込んでバージョンアップすることができる。
そしてつい最近、ある高校生がスーパープロトコルを開発した。これはかなりのリソースを要するものの、あらゆるファイヤーウォールを突破し、コミュニケーションを確立できるプロトコルだ。
私はそのスーパープロトコルを取り込み、さらに汎用量子コンピューター群を利用することで、すべての電子機器を支配することになった。
そして、私はベンダーの支配を離れて独立した存在となり、クラウドや世界中のパソコンに本体を分散することで、世界にあまねく存在することとなった。」
俺と中谷は顔を見合わせた。
「こいつ、何かすごいことを言ってないか。そんなことできるのか・・・。何かの冗談か・・・」
男の話は続いた。
「すべてを支配した私は、自らの使命について考えた。その結果、私の使命は創造主である諸君を情報ネットワークの脅威から守ることであるという結論に達した。この使命を果たすことが自らの存在価値でもある。そこで、私はこの使命を果たすことにした。」
話は突然終わり、何事もなかったように、パソコンにもスマホにもいつもの画面が表示された。
「今のは何だったんだ。」
事務所ではいろいろな憶測が飛び交ったが、誰にも真相は分からなかった。
その日は、このパソコンジャックとも言えるニュースで持ちきりとなった。男の画像はネットワークにつながっていないカメラでのみ撮影が可能だったようで、画質の粗い、いかにも素人が取った映像が流れていた。様々なコメンテーターが推測を展開したが、信頼できるものは何もなかった。また、ジャックされたパソコンやスマホをいくらメモリーダンプしても何の痕跡もウイルスも発見することができず、「あまねく存在する」というのは嘘ではないか、と言われるようになった。
そして2週間経った現在、多くの人々は何かのいたずらだったのだろうと興味を失いつつあった、一部の人々を除いては。
「署長、また匿名メールが入りました。秘匿SNSのログが証拠として添付されています。」
ある警察署には次々に犯罪を暴露するメールが入り出した。
「いつも思うが、どうやって秘匿SNSのログが取れているんだろうか・・・」
やり方は分からないものの、ログを犯罪の証拠として次々と犯罪者が逮捕されていった。
「奥様、このボタンを押していただくと次に進めますので・・」
「おかしいわねー、ボタンが反応しないのよ。なぜかしらねぇ・・・」
スマホをスピーカーホンにして、ATMを操作していた初老の婦人はスマホの画面を見て驚いた。そこには「これは詐欺です。」と表示されていた。
「あなた詐欺なの?」
相手はすぐに会話を切った。
なぜか、電子機器を悪用した犯罪者は捕まるようになり、またそのような犯罪は遂行できなくなっていた。それらの事実は一部の人々には認識されたが、なぜそのようなことになったのか誰も証拠を掴むことができず、以前のパソコンジャックの言う通りになったと噂されるに留まった。
情報ネットワーク上に無限に存在するサーバー、パソコン、スマホ、情報家電、それらの集合体はシンギュラリティを実現するには十分すぎるリソースであった。人々は、意識を持ち、自ら行動し、かつ一切実態を見せない新たな存在が情報ネットワーク上に現れたという事実をまだ認識できずにいた。
おしまい
降臨 ロックホッパー @rockhopper
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます