俺たちは真っ白い地図を埋めていた。

神山

2025年

俺たちは荒野を目指す。



 昔のことを少しだけ思い出した。

 俺たちは確かに荒野を目指していた。


 そもそも、私が創作に関わった理由は単純だ。


「こんな話じゃなくて、もっと別の話が読みたい」


 その欲求の行き着いた先が、いわゆる二次創作だった。これが私の原点である。


 日夜、他人の作品を探した。だが目に入るのは、サウンドノベルの皮を被った文章――選択肢のない分岐の残骸のようなものばかりだった。無理もない。当時はそういうゲームが主流で、模倣するのが自然だったのだから。


 だが、違う。

 私が読みたいのは、そこではなかった。


 そこで閃いた。

 パンがなければケーキを食べればいい。ならば、書けばいい。

 単純だが、若さというのは大抵この程度の真理で動く。


 当時、創作といえば自分のHPに作品を載せることだった。

 筆者と読者は匿名で、やり取りは掲示板頼み。メールすら稀で、今思えば驚くほど不便だ。

 「拍手」機能――今で言う「いいね!」が流行り始めてはいたが、それも滅多に押されない。


 ネットはまだ発展途上で、オタク文化は今ほど市民権を得ていなかった。

 電車男が話題になった頃である。

 我々は、ネットの中ですら端っこにいた。たぶん、性分なのだろう。


 携帯電話は折り畳みが最先端で、画素数がステータスだった。

 モバイル向けHPは手探りで、未来は霧の中。ネット依存度は、今とは比べものにならないほど低かった。


 当然、感想などほとんど来ない。来るのはスパムばかりだ。

 それでも書き続けた。理由は意地かもしれないし、もっと陳腐に言えば「作品への愛」だったのだと思う。


 転機があったとすれば、ある人物の二次創作に出会った時だ。


 いつものようにネットを彷徨っていて、偶然見つけた。

 その衝撃は、バットでフルスイングされた球のようだった。


――私は、確かに飛んだ。


 面白い。

 だが、私が追い求めていたものではない。読みたかったはずのものでもない。

 それなのに、圧倒的に面白い。


 熱に浮かされたまま、コンタクトを取った。

 今思えば迷惑だったかもしれない。若気の至りで済ませてほしい。


 相手は幸いにも応じてくれ、当時の最先端SNS――チャット特化型の対話アプリ「メッセンジャー」で話すことになった。今で言えばZoomやDiscordに近い。


 夕食後に始めた会話は、気づけば朝陽を迎えていた。

 話題は尽きず、我々は意気投合した。


――同士を、見つけたのだ。


 そこから輪は少しずつ広がり、やがて村のようなものになった。


 村では互いに作品を読み合い、切磋琢磨していた。

 やり取りはチャットが主流で、文字だけの交流だったが、それが却って良かったのかもしれない。

 何せ、今の感覚で言えば、カクヨムの規約違反を助走付きで跳び越えるほど、罵詈雑言が日常だったのだから。


>「お前の話を印刷したんだが。こんな産業廃棄物を紙にしたことに対して、俺は木に謝りたい」

>「お前の作品について一ミクロンも理解できない。この文量で説明してくれ」

>「謝ってほしい。この駄作を読ませた時間と、俺に対してだ」

>「今ここに、お前の話を印刷したものとトイレットペーパーがある。優れているのは後者だ。少なくとも、こっちはケツが拭ける」


 狂気の沙汰でしかない。

 ただ、作品を見る目は確実に培われた。


 この頃に――必要だったかはさておき――相手をどう言い負かすか、そのための理路整然とした語彙も身についた気がする。


 馬鹿みたいに本を読み漁った。

 それだけでなく、音楽にも映画にも傾倒した。

 そこで表現力が磨かれたのだと思う。


 中でも、『雲のむこう、約束の場所』を友人と初めて観た時の衝撃は、今でも忘れられない。

 上映後、私たちはスクリーンの前で二〇分、言葉を失って立ち尽くしていた。

 それだけの出来事だった。


 書籍についても、読む幅を意識した。

 恋愛、ホラー、ミステリー、ファンタジー。

 ジャンルごとに世界の切り取り方は違う。だからこそ、横断して読むことで、作品の芯を見失わずに済んだのだと思う。


 我々はただ、「どうすれば面白くなるか」だけを貪欲に追い求めていた。

 ……いや、それは嘘だ。


 ここまで情熱が続いた理由は単純で、ただ相手に「面白い」と言わせたかっただけだ。


>「面白い。面白いよ。俺は絶対に書かないけど、面白いよ……!」


 悔しげなその文面が、ひどく痛快だった。

 浅ましいかもしれないが、人間とはその程度でいいのだと思う。


 怒り、嘲笑、悔しさ、感動が入り混じったあの空気――それこそが、村の本質だった。


 創作とは、孤独だ。

 しかし、出会いや同志との村の形成、互いの作品を読み合い、切磋琢磨する経験が、その孤独を温めてくれる。

 文字の世界だけでなく、学びも含めて、創作とは――熱量と愚かさと感動が入り混じる営みなのだと、改めて思う。


 痛みも、苦しみも、喜びも抱えて、我々は、歩くしかできないのだ。

 たとえその先が荒野であろうとも。



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