美しきマリオネットは何を知るか?

花野 りり

第1話 美しいとは。①

 寂れた街中の路地裏に、洗いすぎてくたびれた服を着た子供がたまっている。肌寒くなってきた季節には痛々しい。ボクは王子様みたいな白いロングコートを着ている。だから暖かいけれど、彼等は上着すら身につけていない。靴もボロボロで、穴が空いているような子もいる。


 治安の悪いこの街を通って僕が目指す目的地に行くのは、孤児出身のボクには対して不快でも恐怖でもなかった。下手すればなつかしいとさえ思う。


 落ちたゴミに、ツンと鼻に付くアルコール臭。近くには酒場があり酔っ払いが昼間からお金のなさそうな身なりで若い女の子に絡んでいた。


「ねぇちゃん、そこ触らせてよぉ」


 呂律の回らない、女の子の胸元を見詰める酔っぱらい。フニャフニャな声はねっとりした気味の悪い下心が透けて聞こえた。


「えー、困る」


 絡みつくように手を伸ばす酔っ払いに、自然と身を仰け反らせ、顔を引き攣らせてお金のために愛想を振り撒く女の子から目を逸らす。


 排他的な雰囲気のあるその場所は、ほんのり生ごみの臭いがした。ゴミが落ちていたので、とりあえず拾っておく。ゴミ箱、街に作ればいいのに。それ以前になぜ道端にゴミを捨てるのかが理解できないけれど。


 ボクは仕事終わりに、ボンヤリとそんな路地裏をひとり接客用のヒラヒラした服を着て歩いていた。


 みんながボクを見てキャアキャア言っているけれど、それが日常だった。


 ただ立っているだけで視線を感じるのは、ボクの身長と見た目のせいだと、自覚はある。それでも気を抜けないので、どうしても人通りの少ない場所を好んでしまうのだけれど、それでもこの状態だ。


「やーい! デーブ」

「豚みたい、俺らと一緒に来んなよ。女の子に相手にされなくなる」


 子供が誰かにそう囃し立てるのを見て、ボクは振り向いた。


「ダメだよ、そんな事言ったら」


 きつめの口調でボクは言った。確かに少年はふっくらとしていたけれど、それで誰かに何か迷惑をかけているわけでもないように見える。服もサイズが合っていないので、丸いお腹が出ていて、僕は切ない気持ちになった。


「ドールが言うならやめる」

「ねー」


 ピタリ、と手を止める子供達。


 ボクより相手に謝るべきだと思うけれど、それを指摘すれば今度はあっちが庇われてズルいと反感が勝って、相手がまたターゲットになる面倒くささ。


「ありがとう」


 ボクは美しいらしい。孤児院で育っている最中は丸くて、そんな事も言われなかった。痩せた瞬間ボクは見た目だけで人に崇められ、持ち上げられるようになった。


 確かに身長は高いし、顔立ちはみんなが整っているとは言うけれど、だからなんなんだろう。そう思いながら、すがるようにお金を渡されて、一緒にいて欲しいと言われれば、断れば死なれそうなので従うしかない。


 普通の仕事がしたい。でも、そうしようとすると周りに摩擦が起きるので、色々な人と会話をしたり、絵のモデルをしたりして、その日暮らしをするしかなかった。


 誰かに入れ込めば、誰が嫉妬して、ボクはどうしていいかわからない気持ちになる。


「ドールは優しい。美しいだけじゃない」


 周りの村人の女の子がさっきの様子を見てウットリ言う。


 表層しか見ていないその言葉がボクに刺さることはない。いつものセリフだ。


 ボクには学はないけれど、成人もして、汚いことも考える普通の若者だ。欲はあるし、面倒だと言う気持ちも持っている。楽だってしたい。


 それでもボクの外見に求められることはそれではないからそう言う感情は無視して、聖人ならこうするんだろうな、と考えて生きている。自分の意思はない。


 髪の毛を少し伸ばして、フリルのついた服で着飾って、肌の手入れをして。


 それが周りの望む「ドール」だから。ボクの本名はドールじゃないけれど、もう誰も呼ばないから忘れてしまった。生きてくには稼がないといけない。そのために、自分の見た目が邪魔をするので、それを利用した仕事しかできなくて、なんだか複雑な環境になってしまった。


 ただ生まれつきの顔が恵まれていただけで、こんなにもチヤホヤされて楽に稼げるのは、なんとなく罪悪感も感じる。そこらへんに歩いている人と、ボクの命の価値は同じはずなのに、周りが勝手に天使だとか、綺麗すぎるとか持ち上げるから、自分らしさが何かわからなくなる。


 美しさって、なんだろう。大抵の人の美しさの定義にボクは当てはまっても、ボクはボクの生き方は美しくないと正直思っている。何も特別に頑張ってないし、この顔がついていれば、ボクじゃなくてもやれる仕事しかしていないから、たまに空虚感に襲われてしまう。


 ボクの本体は容姿じゃない。そう思えなくなる程に、周りは見た目を崇め、褒め倒し、拝むように熱のこもった視線を送ってくる。


 それでも周りが喜ぶし、ボクにはそれしかないから。


 望まれる性格で、求められる姿を維持して、それで生きていくしかなかった。


 今日も、とある屋敷に訪ねて、一緒に婦人とお茶をする。お金持ちの夫を持つ婦人は、娯楽感覚でよくボクにお金を払い、お茶に招いた。


 お金のかかった豪奢な屋敷は白い煉瓦造りで、バラ園もある。バラ園の中でお茶も飲めるし、庭師も雇っているような手入れの行き届いた裕福な家だ。白いレンガが白いままなのが、心の余裕も表している。ペルシャ猫も飼っていて、どこかの国から取り寄せた餌をあげているらしかった。多分、孤児のご飯より美味しくて、高級なものだ。


 婦人にはボクと会う、話すだけで簡単に大金を渡されて、最初は戸惑った。でも断れば攻撃的な言葉で何故ダメなのかと問い詰められた。怖かった。だから、受け入れるしかなかった。


 重い足取りで婦人の家に向かう。歩くだけで視線に刺されるのはもう慣れた。


 それでも、まるで常に監視されたような息苦しさがある。


 ボクは「ドール」だから。


 綺麗で可愛い操り人形。望まれたことを演じて、欲しがる言葉を返して、それで見返りをもらい生きていく。きっとそのうち年老いて食うに困るのだろうけれど。だから浪費もできないし、本当は手に職をつけたい。それでも、顔のせいでトラブルが起きる。


 自分でも現地人離れした顔立ちと身長は、どうしても人の目につくのはわかっている。顔ばかり見られる事に嫌気がして髪を伸ばせば、少しは顔が隠れるかと思ったら、中性的で素敵だと褒められてそのままにしている。たまにふんわりさせてみると、さらにもてはやれるし、美容院に髪を切りに行き美容師にしつこく絡まれるのも面倒なので、なすがままに手入れを自力でしながら伸ばしている。


 歩く人々が僕を見ている。


 値踏みされるように見られるのはなれた。


 それなら、少しでも自分に価値あるように見られたいと思うのは、人間として普通の事だろう。これから先を考えれば、ただスキルを伸ばさず可愛く笑っていてもいい年齢でもない。もう成人しているのだから、賢さがないと利用されるだけで終わるだろう。


 だからボクは静かに学べる読書が好きだ。知識をひとりで生きられる。お金以上の価値があると思うから、滅多に帰れない家にはほぼ本と水分と寝床しかない。


 婦人の家が見えてきた。やっぱり、ボクとは違う世界の人だな、と思う。三階建てで、広くて、庭があるなんて、ボクから見れば勿体無さすら感じる。最低限あればいいのに、なんのために部屋があるのかわからない部屋もあったはずだ。


「こんにちは、ドールです。お仕事に来ました」


 玄関のベルを鳴らして、響くようにハリのある大きな声を出す。


 ボクの声は本質的には低めなので、力まないと聞き取りにくいため、普段は少し甘えたように声を上擦らせて喋るようにしている。身長がある以上、声が低くなるのは普通ではあるけれど、仕事柄年上の女性に可愛いと思われた方が喜ばれるので、気がついたらそういう行動に出ていた。


「あら、ドール! 待っていたのよ」

「お待たせしました。キャンディさん」


 婦人の名前はキャンディと言った。あまりにもファンシーなその名前は、親の溺愛がよくわかる。実際お嬢様育ちで、実家以上のお金持ちの家にお見合いで嫁いで来た方だった。煌びやかで華やかなものが好きな、宝石に囲まれた生活をしているキャンディさんは年齢の割に幼い口調と声音で猫撫で声を出して喋る。


 まるでボクと同じ年頃の若い乙女のような顔をして、ウットリとした顔でボクを見つめては、ジットリとした熱のこもった視線で上から下までいつも眺めてはため息を吐いていく。ボクと同じ年頃の娘さんがいるらしいのだけれど、旦那さんはいつも外に働きに出ていて、娯楽がないのだという。


「もう、あたし、退屈でしょうがなかったの。ドールをずっと待ってたのよ」

「習い事は終わったんですか」

「とっくに。難しかったから、途中で飽きちゃって」


 努力する必要もなく生きていけるキャンディさんが、どこか別の世界の人間のように思えて、ボクは遠い目をした。世の中にはただ寝て起きてお風呂に入るだけで贅沢な暮らしが保証されている人間もいるのに、孤児は減る様子もない。


 ボクが稼いでお金の一部でいくら寄付をしても、所詮青年がひとり稼いだお金であって、孤児院全体を潤すほどの大金には化けなかった。


「あ、ごめんなさい、ドール。ちょっとお隣さんの家に取りにいくものがあって少し家で待っていてくれないかしら」

「構いませんよ」

「お給金は出すから、そこでさっき用意した紅茶でも飲んでいて」


 近くの化粧品棚から、薔薇色の口紅を慌てて手鏡で塗り直すキャンディさん。


 眉毛を書き足すまでもなく、しっかり作り込まれた顔なのに、話しながら顔に手を加えていく。正直差がわからない。口紅だって塗り直すほど落ちていた気配もないぐらいだ。


「わかりました」


 キャンディさんはドタバタと家を飛び出して行った。


 とりあえずバレないようにお手洗いを借りよう。この仕事だと、そういう人間らしさをさせるだけでガッカリさせることがあるので、時通り限界が来そうになる。


 ボクだって造形が人より整っているらしいだけの、どこにでもいるはずの人間なのに。ドールという名前通りの精密に作られた動く意思のある人形とでも思っているのかのように、みんなはボクを扱う。


 そもそもこの名前は、ボクがぬいぐるみみたいにフワフワと丸っこかったから孤児院でつけられた名前だ。要は嫌味だ。確かに当時の写真を見れば、手足なんかちぎりパンみたいだし、頬には綿もたっぷりと入ってそうだった。


 お手洗いを終えると、知らない部屋のから女の子らしき歌声が聞こえた。なんとなく音の先を追いかけるように歩くと、部屋の扉が少し開いている部屋があった。


「あのー。部屋、開けっぱなしになっていますよ」


 ボクはそう言って扉を開けた。そこには空な目をしたイチゴのような色をした髪の毛の長い女の子がいた。柔らかそうな天然の巻き毛に見える髪質に、同じ色をしたまつ毛が可愛らしかった。でもどこか視線はトロンとしていて、視点が定まっていない。


「あなた、綺麗な声ね」


 声? 彼女の方が可愛らしい声をしているけれど。鈴が転がるような、明るく甘い声。


「え」


 驚いた。


 ボクが褒められるのはよくある事だった。でも、いつもそれは見た目の事だった。


 彼女はそれを無視して、ボクの声の感想を伝えてきた。


「ごめんなさいね。私、目があまりはっきり見えなくて、扉を閉じたつもりでいたの。お母様には大切なお客様が来るから隠れてなさい、って言われていたのに」

「ボクがその客のドールです。キャンディさんの娘さんですか?」

「はい、ベリーと言います」

「とてもお似合いの名前だ」


 綺麗なイチゴ色の髪色によく似合っている。きっと由来はそれだろう。


「あなたも、歌ってみたい? 綺麗な声をしているから、きっと素敵な歌になるわ」

「え。歌? ……こんな感じ?」


 試しに孤児院で習った歌を歌ってみる。


 あの頃は、確かに拍手や歓声がもらえたけれど。


 ベリーは嬉しそうに静かに手を叩いた。質素だけれど黒いワンピースは綺麗な髪色の彼女が着るととても似合っていた。でも、キャンディさんの服と違って全くと言って良いほどお金がかけられていないように思えた。


「素敵。そういえば、あなたはお母様のところに戻らなくていいの?」

「あ」


 忘れていた。そろそろ隣の家からキャンディさんが帰ってくる頃だ。戻らないと。


 でも、本当はもっとベリーちゃんと喋っていたい。歌も、久しぶり歌えばとても気持ちよくて、スッキリした。伸びやかに上下する声のトーンを、自由に遊ばせて、子供のような気持ちで歌ったのは、かなり久しぶりだ。


 名残惜しい気持ちで、ボクはベリーちゃんを見た。部屋の中はあまりにも何もなくて、ベリーちゃんの服も洗ってはあるものの、薄汚れていてとてもこの裕福な家の娘には思えなかった。


「ボク、ベリーちゃんに挨拶してなかった」

「お母様がさせるわけない。私は恥だから」

「なんで?」

「目が良くないから、何にも役に立たないから、死ぬまでここでひっそり暮らしてほしいみたい。この家の価値が下がるって」

「何それ」


 あまりにも残酷で冷酷で非道な思想に、ボクは眉根を寄せる。


 目が悪いのはベリーちゃんがわざとやった事ではないし、そもそも恥ずかしい事だろうか。ボクは世間知らずだから、一般的な感覚はわからない。ただ、ボクから見れば軽蔑したくなるのはキャンディさんの方だった。目が悪いなら、サポートしてあげればいいのに、閉じ込めるなんて。


 ボクに払うお金を、ベリーちゃんに使えば、それだけで十分大体の人が満足がいく生活が送れるはずなのに。


 キャンディさんはお金があるのに、心が貧しい人だな、と思う。


 自分の娘より若い顔がいい男にお金を使って、そのボクには愛想を振り撒いて、みっともないとも思わないのだろうか。


 決めた。ボクはキャンディさんの家に来るたびに、ベリーちゃんと会おう。そうでもしていないと本音を言えばキャンディさんの家になんか、来る価値がない。


「またくるね、ベリーちゃん」





 ボクは、遅すぎる反抗期に入ることにした。

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