第9話 操り人形さん

突然声をかけられた。

「どこに行きたいんじゃ?」

 振り返ると、小さいおじさんがいた。身長が、オラウータンぐらいのおじさんだった。あたしより身体は小さいけども、顔や手のしわは、あたしよりずっと昔からこの世で生きていたことを想像させた。あたしは、いぶかしげに、小さいおじさんをじっと見つめ返した。

「聞こえんのか?」

 またおじさんをじっと見た。よくよく見ると、その小さなおじさんからは、身体の関節という関節から空に向かって、糸がぶらさがっているのが見えた。

「その糸は?」

「聞こえんのか?質問に答えろ。どこへ行きたいのじゃ?」

「安堵山です」

 と慌てて答えた。

「聞こえておるのじゃな」

「その糸は?」

 どうしても気になって、二度聞いた。

「これは、あんたには、一ミリも関係ない。安堵山に行きたいのじゃな?」

「あなたは誰ですか?」

 まだあたしの頭は、疑問から抜け出せずにいた。

「まず名乗る。それが人に質問するときの礼儀だと教わらなかったか?」

「ナリです。あなたは?」

「わしは、安堵山への水先案内人の操り人形と呼ばれている。その名には、わしには大いに不満があるがな」

「操り人形?」

「そうじゃ。わしは、神様に操られておるのじゃ」

「あの、あの、安堵山に行きたいのです」

「その旗はわしのじゃ。わしが、水先案内人じゃ。旗を取ってくれんか?昨日の強風でこんなところまで飛ばされたか。ちょっと今日は、調子が悪くてな。今から仕事を始めるところじゃ」

「その糸は、ずっとついて回るのですか?」

「そうじゃ。あんたには見えるのか?」

「はい。関節という関節から糸が見えます」

「そうか。あんたには見えるのか。感受性おばけには感受性おばけが、グルメにはグルメがわかるのさ。それと同じ原理で、この糸が見えないやつもおるのじゃ」

「あの、仕事というのは?」

「おっ、忘れるところじゃった。ちょっと待っておれ。まずその旗を取ってくれんか?」

 あたしは、近くに落ちていた旗を拾い上げ、操り人形さんに渡した。

 操り人形さんは、机と飛ばされていた旗をセットして、看板をどこからか持ってきた。あたしは、その看板に近づいて、消えそうなその文字を読むと、“安堵山への水先案内人”と書かれていた。そこには、駅の案内板で見たマークもあった。

「このマーク見ました」

「そうか。それはわしが考えたのじゃ」

「あなたが?」

 かなりがっかりした。魔女を示すマークではなかったのだ。

「わしは、ここで右も左もわからないやつらを相手に商売をすることを始めたのだ。他人と同じことをしていても、儲からないからな」

「そうですか」

 あたしのとてもがっかりした表情を見て、操り人形さんは言った。

「がっかりせんでもいい」

「あなたは何年前からここで商売を始めたのですか?」

「忘れた」

「何人を案内したのですか?」

「忘れた」

 都合の悪いことになると、操り人形さんは、目をつむって寝たふりをして、「忘れた」と言う。

「そうそう、水先案内人の役目を果たすためには、少々対価をいただくことになっておるが、あんたは金を持っていなさそうだな」

「はい」

「まっ、気にするな。では、こちらの質問に答えてもらおう」

 そう言って、操り人形さんは、ジャケットの胸のポケットからメモ帳を取り出して、何か書いている。

「安堵山を目指すからには、時間はあるんだろう?」

「はい」

「どこの国から来たんだ?」

「国ですか?」

 あたしが質問に素直に答えずにいると、操り人形さんは早口で言った。

「まぁ、いい。ブルーが青というのはわかるか?」

「つまり?」

「どれだけの言語を話せるか聞いておるのじゃ」

「ジャパニーズです」

「それでは、日本語と英語はわかるのだな」

「そーそー」

「わしをばかにするな」

「質問される意味がわからないので、ふざけてみました」

「わしは、安堵山へのチケットを手掛けておる。味方にしておいて、損はないと思うがな」

「安堵山にはチケットが必要なんですか?チケットを買えば、たどり着けるものなんですか?」

「あんたは、一筋縄ではいかなさそうだな」

 あたしは、突然の展開に頭がついていけずに、ぽっかーんとして、操り人形さんの話を聞いていると、操り人形さんが笑いながら言った。

「あの、あんた、口が開いたままになっているぞ」

「すいません。状況を把握するのに、考えすぎてしまいました」

「少しは整理できたか?」

「あの、目に入ってきたんですが、ここでは、安堵山だけでなく、挑戦が丘や夢の国へのチケットも同時発売されているんですか?」

「そうじゃ。よくそれに気づきなすった」

「なんでも売っているんですね?」

「そりゃそうじゃ。わしが初めて商売にしたんじゃ。まず、わしはそこにゴールテープを設置したのじゃ」

「あなたが勝手に?」

「そうじゃ。ゴールから旅がまた新たに始まるのじゃ。うまい商売じゃろ?テープ代だけで始められる。みな、行先に迷っておったのじゃ」

「あなたが始められたということは、あなた以前はないということですか?」

「そうじゃ。わしが最初の水先案内人だ。創業者なのじゃよ」

 操り人形さんは、胸を張って少し褒めて欲しそうだった。

「あなたの跡継ぎはいるんですか?」

「なんでそんなことが気になるのじゃ?」

「いや、なんとなくです。ゴールには終わりが来るのかと思っただけです」

 操り人形さんは、あたしと話しているとき、笑っているので楽しいのだと思った。久しぶりの話し相手なのかなと思った。

 話を飲み込むのに、時間がかかり、あたしはまたぽっかーんとした。

「あんたは勝手にゴールに入った」

 ぽっかーん。

「あんたは見込みがある。中身がない言葉には疑問を持つ。話が通じんやつとは、いくら話しても通じん。人は無駄なことはなるべくせんのじゃよ。あんたは、思考のセンスも持っておる。見込みがあるぞ。なんでもわかったふりをしているやつより、善良な証拠だ。その口が開けっ放しになるのは、どうかと思うがな」

 まだあたしは、ぽっかーんとしていた。

「そうじゃ。今日は風も強く、雨も降り出しそうじゃ、もう客も来ないだろう。わしの小屋で、あたたかいスープを飲みながら、今後について話さないか?」

 知らない人について行っていいだろうか?と口を開けたまま考えていると、

「わしは、悪いことはできない。見ればわかるじゃろ。わしは、神様の操り人形なのだからな」

 と操り人形さんが言った。あたしは、それをすごく自然に理解をして、ついていくことにした。人生は常に選択に迫られている。この人は信じられる人なのか、そうではないのか。はっきりとした答えは示されないことがほとんどだ。本当に危険だったら、逃げ出せばいいと思った。

 その人は信じちゃいけないよ、周りの人の忠告も、あたしへの言葉であるが、たった一部でしかない。あたしは、自分の頭で選択するのだ。誰のせいでもない。「ああしろ、こうしろ」も、やってみないとわからないことの方が多い。成功例をみんな欲しがるけど、失敗例からの方が多くのことを学べることもある。ママの言葉から逃げ出したあたしは、ここへ自分の意志でやってきた。そうだ、決めるのは、あたしだ。

 あたしが、すぐに操り人形さんの糸に気づいたことは、あたしが操り人形さんに気に入られるには十分の理由だったようだった。

 小屋に向かうときに、操り人形さんは、

「この糸は見えるか?これはどうじゃ?」

 とあたしを質問詰めにした。聞かれるたびに、正直に見えるか、見えないかを伝えた。全問正解だったらしく、さらに操り人形さんの機嫌がどんどん良くなった。

 案内された小屋は、決して大きな小屋ではなかった。それでも、手入れの行き届いた自分の好きな家具を並べて、丁寧に生きていることを想像させた。必要なものには、きちんとお金を使っているが、贅沢な暮らしぶりには見えなかった。必要最低限の心地の良い暮らしをしているようにあたしには見えた。

 定時になると、からくり時計が、よく働いた。あたしは、玉ねぎのよく煮込まれたオニオングラタンスープをいただきながら、疑問に思ったことを聞いた。

「神様からの糸は、みんなについているものなのですか?」

「あんたにはついておらん」

「同じような操り人形さんが他にもいらっしゃるわけなのですか?」

「忘れた」

 嘘をつこうとしているのではない。忘れたのだ。記憶の中に答えがないのだ。

 あまりに深いことを知りたがるあたしを時々、嫌がりながら、それでも答えてくれた。

「こんな田舎でずっと一人ですか?」

「悪いか」

 あたしは、率直すぎる質問も臆せずに聞いた。あたしも不安だったのだ。少しでも一緒にいる操り人形さんのことを知りたかった。

 あたしには、もう選択肢があまりなかった。操り人形さんを信じるのか、また一から安堵山への手がかりを探すのか。この小屋を出るのか。野宿するのか。誰も守ってくれない。

 オニオングラタンスープのフランスパンをスプーンで浸しながら、

「あったかい」

 とあたしが言うと、

「そうだろ?わしはあったかいのだ」

 と操り人形さんが言った。あたしは、スープのことだけどなと思ったが、口には出さなかった。余計なことを言うのは、大事なことだけでいい。

「ところであんた、その大きなリュックには何が入っておるんじゃ?」

「いろいろ入っています」

 あたしがそう答えると、操り人形さんは、にやりと笑って、こう言った。

「わしと取引せんか?」

「えっ?」

 そろそろあたしが、スープの具になってしまうピンチかと思って驚いた。

「あんた、金はないだろ?」

「ありません」

 決意を持って言った。もうどうとでもなれだ。

「その中のものをわしに見せてくれないか?」

「いいですけど」

 あたしは、命を取られるよりましだと思って、リュックの中のものを一つ一つ床に並べると、

「随分、詰め込んだものじゃの」

 と今度は操り人形さんが驚きながら言った。

 あたしが、リュックの中のものを全部取り出し終えると、操り人形さんは、

「あんた、懐中電灯を持っているじゃないか?」

 と指差しながら言った。

「持っていますけど、電池が入っていません」

「じゃ、なんで持ってきた?」

「なんとなく」

 操り人形さんは訳が分からないという表情をしながら、あたしを見た。

「そんな調子で、安堵山に行けると思っておったんか?」

 そう言われると、あたしの計画には計画性が全くなかった。安堵山のマークだけを目指してここまでやってきた。

「ここにまだ使っていない乾電池がある。この使われることを待っておった乾電池と懐中電灯が、今、出会った」

「そうですね」

 あたしには、それはとてもいいことのように思えた。

「その懐中電灯で手を打とう。その懐中電灯をわしにくれないか?」

「交換条件は可能ですか?」

「あんたもタダでは起きないようじゃな」

「はい」

「わしが、安堵山まであんたを連れて行ってやるという条件でどうじゃ?」

「そんなことまで懐中電灯と交換可能なんですか?」

「わしがいいと言えばそれでいい」

「どうぞ、どうぞ、懐中電灯を差し上げます」

「交渉成立じゃの」

「そうですね」

 操り人形さんとあたしは、互いに満足したようにうなずいた。

 そして、操り人形さんは、自分に言い聞かせるように、

「東へ西へ、どこに行くのも神様の仕業さ」

 とぶつぶつと独り言を言っていた。

 あたしは、操り人形さんが淹れてくれたホットレモンティーを飲みながら、聞こえないふりをした。

 操り人形さんは、突然思い出したようにあたしに言った。

「旅では、ばかなふりをするのじゃ。あんたのぽかんとした表情はとてもいい」

 あたしは笑い出した。

「そんなこと言われたのは、初めてです」

 操り人形さんもあたしにつられて笑った。

 いよいよ安堵山への道のりが動き出すとなったら、急に不安になって、寒気が襲い、ぶるぶると震えていると、操り人形さんは言った。

「隣にわしがおっても、全ての心配が消えてなくなるというもんではない。不安など誰にもあるのじゃ。わしにもある。震えるのが悪いことではない。震えが教えてくれることもあるのじゃ。安全な道を歩むだけではわからん道があるのじゃ。不安と戦う方法は、いろいろあるのじゃ。あんたは、それをこれから学ぶのじゃよ」

 操り人形さんは、そう言い終えると、チョコをあたしにくれた。あたしは、操り人形さんを信じ始めていた。

 どうして操り人形さんは、あたしと安堵山に行ってくれるんだろう?

 そのことを操り人形さんが敷いてくれた布団の中で、考えていたけど、近くの水車の音が心地よく規則的なリズムを刻んでいるのを聞いていたら、知らぬ間に寝てしまっていた。

 ベーコンの焼けるいい匂いで目が覚めた。操り人形さんは、朝食の準備をしていた。テーブルに二つずつお皿があるので、あたしの分もあるのだと思った。操り人形さんは、あたしが起きたのを確認すると、

「食べるだろ?」

 と聞いた。あたしは、思いっきりうなずきながら、

「はい。いただきます」

 と声を弾ませた。

「わしはいいやつだな」

 と言うので、大きな声で、

「はい!」

 と元気よく答えたら、操り人形さんは、わっはっはっはっはと高笑いをした。どうもあたしは、本当に操り人形さんに相当気に入られたらしかった。

 あたしは、すぐに出発する準備が整ったが、操り人形さんは、出かけたり、電話をかけたり、なかなか出発する気配がないので、家の中に操り人形さんが作ったと思われるぶらんこで、ぶら~ん、ぶら~んと操り人形さんの準備が整うのを待っていた。

 操り人形さんの準備は大変そうだった。

「本当についてきてくれるんですか?」

 とあたしが聞くと、操り人形さんが早口で答えた。

「ちょっと待ってろ。急に決まったからな。わしにも付き合いってやつがあるのじゃ。ここに長いこといたからな。定住したことでできた関係というのがあるからな」

 これからどうなるだろうな。うまくいくかな。不安の風に吹かれそうになると、操り人形さんは、

「ばかになるのじゃ」

 とこちらの方を向いて、アドバイスしてくれた。そうだ。

「出たとこ勝負だ」

 とあたしが声を出すと、操り人形さんはこちらを振り返り、こくんとうなずいた。もう後戻りのできない旅だとあたしは思った。命まで取られることはないだろう。たぶん。

 操り人形さんが、鞄にナイフを入れているのを見て驚いた。

「ナイフが必要なんですか?」

「何を言っておるんじゃ。これから安堵山に行くつもりじゃろ?ナイフは、護身用にも、肉を切るにも、糸を切るのにも、必要じゃろ?」

「そうですけど、そんなに危険な場所なんですか?すぐ着くんじゃないんですか?」

「今更何を言うのじゃ。危険な旅ではないと思ったのか?近いと思っておったんか?」

 操り人形さんは、呆れた表情であたしを見た。

「そんな覚悟か?」

 あたしの目をしっかりと見据え、操り人形さんは続けた。

「覚悟するのか。行かないか。さぁ、どうするんじゃ。今なら引き返せるぞ」

 とあたしに意見を求めた。あたしは、震える身体をおさめようとしながら、ふぅっと息を吐いて言った。

「行きます」

 ママがいたなら、

「やめておきなさい」

 と怒るだろうなと思ったら、あたしは、逆のことがしたかった。あたしは、ママから独立するためにここにいるのだ。誰かに指図された道ではない。自分の意志だけがそこにあった。自由よ、意志よ、行動よ、退路はないとあたしは覚悟を決めた。行くしかないのだ。

 操り人形さんは、小屋に鍵をかけ終えると言った。

「共犯関係じゃ。旅を一緒にするというのはそういうことじゃ。旅は道連れ。何があっても助け合う。わかったか?」

「もちろんです」

 とても真剣な目をしてあたしを見た操り人形さんをあたしは信じた。信じるものがなかったからじゃない。操り人形さんの真剣さに胸を打たれた。共犯関係の成立だ。

 操り人形さんと歩き始めると、一つの問題が浮かび上がった。操り人形さんは、とても歩みがのろかった。小さな体の操り人形さんとあたしは、油断するとすぐに距離が離れてしまった。

「なぜ生き急ぐんだ?」

 と自分のことを棚に上げて、あたしに妥協を要求してきた。田舎でのんびり生活してきた操り人形さんと、都会ですぐ電車やバスの来る環境で暮らしていたあたしは、時間に対する感覚が違っているようだった。

 仕方なくあたしは、操り人形さんのペースに合わせて、操り人形さんの後ろをついていくことにした。

「わしにはわかっておる。あんたが愚痴を溜め込んでいるのもな」

 たまらずあたしは言った。

「それじゃー、早く歩いてくれませんか?だって歩みがのろい上に、すぐ休憩するじゃないですか?」

「あんたにわしの苦労はわからんじゃろ?わしがあんたの苦労がわかんようにな」

 と言われたので、あたしは、少し立ち止まって、ぽっかーんとした。

「そうじゃ、ばかになるのじゃ」

 と言って、操り人形さんは笑い出した。

 あたしは、別なことを考えようと思って、トキに出す手紙について考えることにした。

「おとなしくなったようじゃが?」

 と操り人形さんが話しかけてきても、

「今、考え事をしています」

 と答えた。

 すると、操り人形さんは、ハミングしながら、歩き始めた。互いに心地の良い距離感を取りながら、つかず離れずに協力できる関係に次第になっていった。

 それでも歩みが遅いことを悪いと思ったのか、操り人形さんは、あたしの言うことをよく聞いてくれるようになった。あたしが、疲れた様子を見せると、すぐにチョコをくれた。

 何十億人という人が生活するこの地球で、目の前の人のことばかり考えている必要があるだろうか。目の前の人のことしか目が入らないとしたら、それは不幸だ。目の前の人が、完璧に同じ考えを持つ人である可能性は限りなく少ないから、やがて苦しくなる。

 あたしが旅に出た理由は、自分の居場所を見つけるためのものであったはずなのに、ここにきてまた同じようなことで悩むのか。それはもったいないと思った。新しく学ぶことができないというのは、不自由になることだから。

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