聖夜の告白

壱単位

聖夜の告白


 違うんですよ、刑事さん。

 そんなもんじゃないんです。


 原因は、直接の動機は、なんて、簡単に括れるもんじゃない。

 いえ、確かにあります。ありますけれども、これが決め手になった、なんてひとつに絞れるものではないんです。

 刑事さんもご結婚、されてるんですよね。失礼ですが……三十代前半、というところですか。お若い。いまの俺くらい、そう、定年ほどの年齢になればきっとわかっていただけますよ。

 長い時間のなかで、夫婦のあいだの空気というものがどんなふうに変質するのか。その変質がひとの気持ちにどう干渉してゆくのか、そうして変ってゆく自分の気持ちをずっと抱えながら過ごす時間が、どれだけ重いものなのか。


 でも、そうですね。

 あはは、俺も自分の人生でこんな言葉を使うことになるとは思わなかったけど。

 魔が差した。そうとしか言えないですね。

 気持ちが器からあふれそうになったそのときに、それ、が目の前にあった。

 だから掴んだ。掴んで、そうしたらもう、止められなかった。

 その気持ちのまんま、あいつのところに行っちまったんですよ。


 その瞬間の、あれを突き付けたときの、あいつの顔。

 忘れられないでしょうね、これから一生。

 驚きと戸惑いで、くしゃりと歪んで。

 どれだけの時間が俺に残されてるかなんてわからないけど。ずっと背負い続けるんだろうと思います。解放されることなんてない。わかってます。目を瞑るたびに思い出すんでしょうね。風呂に浸かるたびに、飯を掻き込むたびに、そうして……こうやって、あいつのことを話すたびに。


 刑事さん。

 愛情って、愛してる、って、どんなことだと思いますか。あなたは奥さんを、愛してるって、言えますか。言い切れますか。

 若いころ、結婚する前はきっと、胸を張って言えたでしょうね。俺だってそうです。仕事してても何してても、あいつに会いたくて会いたくて堪らなかった。走って会いに行きました。休みがとれるたびに。抱きしめて髪の匂いを嗅ぐたびに、絶対に離さねえって、心の底から思いました。

 でも、ね。それってきっと、欲なんですよ。性欲でもあるし、支配欲でもある。人並みに結婚してみたいという見栄もある。要するに自分の勝手な都合ですよ。

 だから、ずっと一緒にいるようになって、時間が経てば、わからなくなる。とんがった思いが削れて削れてまるくなって、最初の形がわからなくなる。見えなくなる。そうすれば、どんどん疎ましくなる。なんで一緒にいるのかわからなくなる。

 そんな、もんです。

 

 後悔ですか。

 して……いません。しません。することはない。

 あの時の俺は、どうかしてた。でもね、さっき言ったでしょう。とんがっていた、若い時の気持ち。あれが戻ってきたんです。その時に、ね。きっかけなんてどうでもいい。

 俺、戻りたかったんですよ。きっと。

 昔に。あのころに。


 ……ねえ。刑事さん。

 そろそろ、終わりにしましょうか。

 早く帰ってあげてください。家では可愛い奥さんが待っているんでしょう。俺なんかに関わっていていい夜じゃない。大事にしてあげてください。

 そうじゃないと、俺みたいになっちまいますよ。


 だから。


 うう。もう勘弁してくださいってば。

 アドバイスなんてもらうんじゃなかったよ。まったく。


 ええ、そうですよ。まっすぐ家に帰る勇気、なかったんです。

 女房と喧嘩して街に出て、でもやっぱり俺が悪いよなあってなって、そしたら見ちまって。あの、ぬいぐるみ。あいつが若いころ大好きだって言ってた、くまのやつ。

 でも、どんな顔して持って帰ったらいいかわからなくて、なんて言って渡せばいいかわからなくて。何十年ぶりのクリスマスプレゼント。

 それでなんとなく行きつけのこのバーに寄ったら、常連のあなたがいて。


 さすが刑事さん、口がうまいよね。いい感じの言葉たくさん教えてもらったはいいけど、まさかの交換条件にもう一度戻ってきて報告しろだもんなあ。とほほ。完全に酒の肴じゃないですか。いや、俺もなんだか照れ臭かったから逃げたかったんだけどさ。

 あいつ、あんなに泣いちゃうとは思わなかったから。


 でも、せっかくいい感じになったんだから、日付またがないうちに帰らないと……って、なんでもう一本開けてるんです! え、俺のツケ! だめですってば!



 <了>


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖夜の告白 壱単位 @ichitan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画