アンヌの謀略と韓信の第二秦王朝


 項羽を垓下に葬り、紀元前202年に漢王朝を樹立した劉邦は、最大の功臣である韓信を楚王に封じた。楚は項羽の故郷であり、項氏の残党や楚人の反漢感情が渦巻く土地である。


 韓信は「背水の陣」で趙を破り、「十面埋伏」で項羽を滅ぼした英雄だが、楚王就任は明らかに不利な配置だった。劉邦は単に功臣を遠ざけるためか、それとも張良の進言による「毒饅頭」だったのか。この封地の意図をまず考察し、ここから架空の「秦朝復興」シナリオへと展開する。


 劉邦が韓信を楚王とした意図は、史実から見れば二重の罠である。


 まず、項羽の故郷に韓信を置くことで、楚人の憎悪を韓信に集中させ、劉邦への忠誠を試す。韓信が楚で反乱を起こせば、「項羽の仇」として楚人が団結し、韓信は孤立する。


 逆に韓信が楚を平定すれば、劉邦は「功臣の専横」を理由に討伐できる。


 張良は『史記』淮陰侯列伝で「鳥尽き弓蔵う」と劉邦に進言しており、この封地はまさに「弓を蔵す」ための布石だった。


 韓信は関中の三秦を平定した実績から、楚の統治も可能と見なされたが、劉邦は韓信の軍事力を関中から遠ざけ、自身の大本営である長安に近づけない計算もあった。


 楚は彭城を拠点とし、長安から約800里(約400km)と遠く、韓信の機動力が封じられる。劉邦は意図的に「不利な土地」を与え、韓信の野心を牽制したのである。


 ここに架空の変数を導入する。


 韓信が、滅亡した秦の第二皇女で嬴政の異母妹、秦瑛と、その侍女で嬴政の従姉妹の娘である盧氏瑛を正妃・側妃として迎え、それぞれ男子をもうけたとする。


 秦瑛は始皇帝の血を引く正統な王女であり、盧氏瑛も嬴氏の傍流である。


 この二人の子は、劉邦が根絶やしにしたはずの秦王族の直系であり、「秦の正統」を体現する存在となる。


 史実では秦の王族は子嬰の殺害で断絶したが、この架空設定では、秦瑛が秦末の混乱で漢中に匿われ、韓信の後宮に入ったと仮定する。


 アンヌ(安女)は転生者として『史記』の結末、韓信の冤罪処刑(前196年)を知っている。


 楚王就任の命令を聞いた瞬間、彼女は劉邦の罠を看破する。「楚は項羽の故郷や。韓信様をそこで殺す気や!」と。


 彼女は「劉邦の命令に背きましょう。漢中・蜀・関中を奪取し、旧秦の領地で新たな秦を立て、天下二分の計を提示するのです」と韓信に進言した。


 韓信は当初躊躇するが、秦瑛と盧氏瑛の子、嬴韓(えいかん)と嬴盧(えいろ)を見て決意する。「秦の血を引く我が子のため、劉邦に膝を屈するわけにはいかん」


 歴史はここで分岐する。韓信は楚王就任を拒否し、漢中の兵3万を率いて咸陽へ急行する。


 蕭何は長安の守備を固めているが、韓信の「暗渡陳倉」の再現に驚愕する。


 韓信は関中の秦の旧民を「秦朝復興」の旗印で蜂起させ、わずか3ヶ月で長安を包囲した。


 劉邦は滎陽・成皐の持久戦を再現しようとするが、韓信は補給線を断ち、張良の謀略を逆手に取る。


 アンヌは五女忍隊を動かし、呂雉の後宮に潜入させ、劉邦の家族を人質に取る。劉邦は垓下の戦いを再現される前に降伏を余儀なくされ、漢王朝はわずか1年で崩壊する。


 新たな秦朝は咸陽を都とし、韓信が「秦王」として即位した。秦瑛が正后、盧氏瑛が貴妃となり、嬴韓が皇太子、嬴盧が楚王に封じられた。


 アンヌは「太政大臣」として実権を握り、秦の法家を緩和し、儒家を取り入れた「新秦法」を制定した。紙の製造技術(アンヌの現代知識)を導入し、行政文書を効率化した。関中の灌漑を整備し、農民の支持を得た。項羽の楚はすでに滅亡しており、韓信の新秦に抵抗する勢力は存在しない。中華は再び統一され、「第二秦王朝」が成立する。


 このシナリオの鍵は、「秦の正統性」と「劉邦の油断」である。


 史実では、劉邦は秦の王族を根絶やしにしたことで、正統性の競争相手を排除したが、架空の秦瑛・盧氏瑛の子は「秦の血」を復活させる。


 韓信は項羽を滅ぼした英雄であり、楚人の憎悪を恐れる必要はない。むしろ、関中の秦の旧民は「始皇帝の血筋」を支持し、韓信の新秦に帰順する。


 劉邦は韓信の軍事力を過小評価し、長安の守備を甘く見た。アンヌの転生知識が、韓信の機動戦をさらに加速させ、劉邦の持久戦戦略を無効化する。


 結論として、この架空の歴史は十分に現実的である。


 史実の楚漢戦争が4年で決着したように、軍事力と正統性の組み合わせは、短期間での王朝交代を可能にする。


 韓信が楚王を拒否し、関中を奪取する決断は、劉邦の罠を逆手に取る「背水の陣」の再現である。


 アンヌの謀略は、現代知識と歴史認識を武器に、劉邦の油断を突く。


 最終的に、韓信と秦瑛・盧氏瑛の二人の子が、新たな秦王朝の皇帝となる。


 歴史は「漢」ではなく「秦」の名で続き、咸陽は再び中華の中心となる。


 劉邦の漢は、わずか1年で終わりを迎え、歴史の教科書は「韓信の秦朝復興」を記すことになるだろう。

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