【日常ホラー】あなたのための卵焼き

花田(ハナダ)

第1話

 土曜の朝、大荷物が届いた。


「これは何? もしかして新しい洗濯機?」


 朝ごはんを食べる手を止めて訊ねると、妻は「違うよ」と笑うだけだった。

 ダンボールは妻の胸の高さまである。少し重いらしく、妻一人ではとても運べないので配達の青年に家の中に入れてもらった。


「それで、これは何なの?」


 青年が帰ったあとにもう一度訊ねる。


「あなたのために買ったの」


 妻はビリビリと宛名を剥がし、ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。


「僕のため?」


 妻の作ったコンソメスープを啜りながら、僕は元カノの作った美味しい味噌汁のことを思い出していた。


「僕のために何を買ったの?」


「たまご」


「たまご?」


 おもわず首を傾げる。僕はたまごが欲しいなんて言ったことは一度もない。

 あっという間にダンボールは剥がされ、ビニールに包装され、白い緩衝材に守られた大きな球体が現れた。

 いや。球体というより楕円体であり、やはり卵の体をしている。


「想像以上に大きい」


 妻がしみじみと眺めて言った。


「一体何のたまごなんだい?」


「さあ」


「さあってなんだよ」


 やっぱり妻は笑っているだけで答えない。

 上機嫌のまま付属品を組み立て始めた。説明書を真剣に読みつつ、出来上がったのはまるで湯船のような大きなボウルと書道パフォーマンスで使う筆みたいに巨大な泡立て器だった。


「まさか、食用?」


 僕は眉を寄せる。


「うん。たまご焼きを作る」


「得体のしれないたまごで作ったたまご焼きなんて食べたくないよ」


「でも、たまご焼きが絶対に美味しくできるたまごよ。きっと」


 妻が真っ直ぐに僕を見つめた。獲物を捉えた猛禽類のように。


「あなたに美味しいたまご焼きを作りたくて」


 そう言われると、僕は何も言えなくなった。たまご焼きは元カノの作る料理の中で一番好きだった。

 言い返さない夫に満足したのか、妻は微笑んだあと、テキパキとダンボールを畳んで、ビニールや緩衝材を片付け始めた。


「そのたまごはどうやって割るの?」


 僕はダンボールを紐でまとめる妻に訊ねる。


「ちゃんと専用の工具がついてきている」


 調理しようというのに工具と言っている。そんな妻の手にはノミとハンマーが握られている。


「こんな感じかな」


 しっかりとノミをおさえて、ハンマーを振り下ろした。衝撃で白い粉が舞い散った。


「あれ?」


 妻はたまごの表面に顔を近づける。


「割れない」


「何回か叩きつけないと割れないんじゃない?」


「そうかも。やってみる」


 妻は再びハンマーを振りかざした。

 休日の朝、巨大なたまごを叩きわろうとする妻の背中を眺めながら、僕はコンソメスープを飲み干した。


「僕は出かけるからね」


 幸運なことに、今日は友だちと遊ぶ約束をしていた。その友だちの中には元カノもいるけれど、妻は知らない。


「うん。こっちは気にしないで」


 妻は一心不乱にたまごを割ろうとしている。

 たまご焼きが絶対に美味しくできるらしい、巨大なたまごを。


 ★


 僕が帰宅したのは日付も変わった頃だった。

 リビングのドアを開け、僕はおもわず立ちすくんだ。

 白い楕円体は、まだそこにいた。


(そうだ、たまごだ)


 割られることもなく、巨大たまごは家の中で静かに佇んでいる。周囲には新聞紙が敷かれ、散らばった白い粉を受け止めているようだ。

 そのすぐそばにパジャマ姿の妻が寝ている。傍らにはノミとハンマーが落ちている。

 どうやら妻は寝落ちしたらしい。一日かけてもたまごを割ることができず、とりあえず風呂に入って、また叩いている最中に疲れて寝てしまったのだろう。


(やめればいいのに)


 僕は妻の料理が好きではない。

 たまご焼きも下手くそだ。

 今、料理の練習中らしいが、練習につきあわされるのはシンドイものだ。レシピ本をいくつも買っても大して上達しない。金の無駄だ。

 そんな話を誰かにした。

 誰にだっけ?

 お酒のせいか思い出せない。

 明日は日曜日。僕も妻も予定のない休日。妻と二人だと時間を持て余してしまう。元カノ……友だちといるほうがずっと楽しい。何より朝も昼も夜も妻の美味しくない料理を食べなくてはいけない。だから、明日は外出をしよう。朝は仕方ないけれど、遠出をすれば、昼と夜は外食になる。運転に集中したいといえば、従順な妻は車内では話しかけてこない。


(妻も友だちでも作って休みの日くらいどこかへいけばいいのに)


 妻を起こさず、今夜はシャワーをしたら寝てしまうことにした。


 それにしても、たまごは返品できるだろうか。


 ★


 つぎの朝。リビングに入ると床がひんやりと冷たい。見ると、窓が開けっ放しだった。

 部屋の真ん中には割れたたまごの殻と、白い羽毛がふわふわと揺れている。


「割れたのか」


 しかし、そこに妻はいなかった。たまごの中身もなかった。大きなボウルには泡立て器と説明書の放り込まれ、殻の傍らに置かれている。


「おーい、どこいった?」


 僕は家中を探した。電話もかけた。しかし、トイレにもお風呂にもいない。台所には作りたてのたまご焼きが残されていたが、肝心の妻の姿は見つからない。それどころか、妻の洋服や鞄といった荷物がゴッソリ消えていた。


(何があったんだ?)


 ボウルの中の取り扱い説明書を拾い上げる。

 最後のページにはこう書いてあった。


※注意

 発送から12時間以上割れないと孵化する可能性があります。

 その際、孵化した雛は目の前の生物を連れ去る性質があるため、絶対に近づかないようにしてください。

 なお、弊社は商品購入後、何が起きても一切の責任をおわないものとします。

 

 「あなたのために買ったの」


 妻の声が蘇る。

 僕の望み通り妻はいなくなった。  

 いなくなって、胸にぽっかりと大きなあながあいた。僕はなんて勝手なのだろう。

 残ったのは台所のたまご焼きと、妻が買い溜めたレシピ本だけだった。

 

  


 

 


 

 

 

 

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