〖お題フェス「卵」〗小説家の卵と🥚評論家の猫と🐾シャケを叫ぶ鳥🐥 ~お題「卵」なのに、なぜイクラが飛んでくる!?~

月影 流詩亜

第1話 その卵、腐ってませんか?


 ​この作品はフィクションです。

 ─ 実際の人物・団体・事件・地名・他の創作(自作以外)ドラマには一切関係ありません ──



 ​ 12月28日、深夜二時。


関東平野の片隅にある、築三十年の木造アパート「月見荘」


 師走の寒風が隙間風となって入り込む六畳間で、一人の男がうめいていた。

 ​ 筆名、ペンネーム月影つきかげ

 本業は某和食処のしがない調理師、五十◌歳、独身。

 彼は充血した目でスマートフォンの画面を睨み続けている。


「……書けん。卵……卵か……」


 ​ 画面に映るのは、Web小説サイト『カクヨム』の執筆ページ。

 現在開催中の『カクヨムコンテスト11』、創作フェスのお題は『卵』。締切はあと二日。


「大賞なんて高望みはしない。書籍化なんて夢のまた夢だ……。でも、せめて『奨励賞』……! アマギフと、選評という名の『生きた証』が欲しい……!」


 ​ 月影は自らを「小説家の卵」と呼ぶ。

 だが、五十を過ぎてその自称は痛々しいと自覚もしている。

 だからこそ、中間選考を突破し、片隅の賞に引っかかりたい。

 その一心で、仕事終わりの老体に鞭打ち、フリック入力を続けてきた。


 ​ だが、今回の筆の進まなさは致命的だった。

 プロットは『本能寺の変、信長が愛した幻の卵焼き』

 自称得意の時代小説と料理知識を掛け合わせた勝負作だが、何かが足りない。


​「ニャ~ン」


 ​ 煮詰まった空気を破るように、窓の隙間から愛猫の三毛猫、さくら・・・が帰ってきた。


「おう、さくら。おかえり」


 ​ 月影が迎え入れようとすると、さくらの背後から、もう一匹。闇夜を切り取ったような黒猫が、音もなく侵入してきた。

 その瞳は、宝石のサファイアのように鋭く輝いている。


「ん? 友達か?」


 ​ 月影が手を伸ばすと、黒猫はひらりと身をかわし、あろうことか月影の聖域である執筆机(ちゃぶ台)の上に飛び乗った。

 そして、月影を見下ろして鼻を鳴らした。


『おやおや、この部屋は随分と湿気しけてやがるねぇ。夢の死骸の匂いがプンプンするよ』


​「……はっ?」


 ​ 月影は硬直した。猫が、喋った?


『なんだい、その間の抜けた顔は。猫魈ねこしょうを見るのは初めてかい?』


 ​(お兄ちゃん! この子はサファイアちゃん! すごいんだよ、お話ができるんだよ!)


 ​ さくらが足元でスリスリと甘えてくるが、月影には「にゃ~ん」としか聞こえない……どうやら誇らしげに紹介しているようだ。


 サファイアと名乗った黒猫は、月影のスマホ画面を覗き込み、肉球で器用にスクロールさせた。


『……プッ』


 ​ 嘲笑だった。


『「信長は卵焼きを口にし、その黄金色の輝きに天下を見た」……? なんだいこの古臭い文体は。カビが生えてるよ』


​「なっ! それは格調高いと言え! 俺はこれでも『小説家の卵』なんだぞ!」


 ​ 月影の反論を聞いた瞬間、サファイアは金色の瞳を細めた。


『小説家の卵、ねぇ……』


 ​ 彼女は冷徹な声で言い放つ。


​『その「小説家の卵」、何時かえるの? 奨励賞狙いで縮こまってる時点で、殻の中で暖めすぎて中身が腐っていないといいねぇ~?』


​「き、貴様ぁ……! 腐ってなどいない! 俺は熟成されているんだ!」


 ​ プライドを傷つけられた月影は立ち上がった。

 言葉で勝てないなら、実力で黙らせるしかない。


「いいだろう。俺の『卵』の実力を見せてやる」


 ​ 月影は台所へ向かい、冷蔵庫から特売の卵を取り出した。

 ボウルに卵を割り入れ、一番出汁、薄口醤油、砂糖少々。箸で切るように混ぜ、熱した銅製の卵焼き器へ。


 ​ ジュワアアアア……!


 ​ 香ばしい出汁の香りが六畳間に広がる。

 月影の手つきは鮮やかだ。半熟を見極め、手首のスナップで巻き上げる。それは熟練の職人の舞だった。


「食ってみろ。これが俺の『卵』だ」


 ​ ちゃぶ台に置かれた、黄金色の『だし巻き卵』


 サファイアは躊躇ちゅうちょなく齧り付いた。


『…………』


​「どうだ」


 ​ サファイアは口元を拭うと、不本意そうに目を逸らした。


『……悔しいけど、美味いね。焼き加減は完璧、出汁の比率も絶妙だ。一流の仕事だよ』


 ​(わぁ! お兄ちゃんの卵焼きは、世界一ぃ~! ぼくも大好き!)


 ​ さくらも嬉しそうに食べている。月影は胸を張った。


​「分かればいいんだ。俺は腐ってなどいない」


​『ああ、そうだね』


 ​ サファイアは冷ややかにトドメを刺した。


​『料理の腕は一流だ。……でも、さっきの小説は三流以下だね。料理に向けられる情熱と技術が、文章には欠片も乗っていない。ただの文字の羅列だ』


​「なっ……!?」


​『卵は孵るだけが能じゃない。美味い料理になる卵だってある。……アンタの小説に必要なのは、「孵化ふか」することじゃなくて、「調理」することなんじゃないのかい?』


 ​ ガツン、と頭を殴られたような衝撃だった。


 になることばかりに固執して、肝心のを忘れていたのではないか。


​「……調理、か」


 ​ 月影は再びスマホを手に取る。


「……やってやる。俺の料理の腕を、全部文章に叩き込んでやる。見てろよ、この毒舌猫」


『フン、お手並み拝見といこうか』


 ​ 月影のリライトが始まった。


 だが彼はまだ知らない。


 この後、さらなる『災害』……あの聖夜の悪夢が、再び舞い降りようとしていることを。


 ​ 窓の外で、風の音が変わった気がした。



 ​ ── 続く ──


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る