ブラック企業のサラリーマン、現代ダンジョンに挑む(続編)
塩塚 和人
第1話 自由の始まりと初心者ダンジョン
大阪の雑踏の中、遠藤紘一は肩の荷が軽くなったような感覚に包まれていた。昨日、ついに退職届を提出したのだ。あの終わらない残業、理不尽な上司、休日出勤……すべて過去のものになった。胸の奥にくすぶっていた怒りや疲労は、今や解放感と期待に変わっていた。
しかし、自由という名の選択肢の先には、想像もしなかった世界が待っていた。会社を出た直後、遠藤の目に飛び込んできたのは、街の片隅に突如として現れた光の柱――現代ダンジョンだった。地面から生えたかのように立ち上る光の柱。その周囲には警備員もおらず、通行人はただ呆然と見上げているだけだった。
「……まさか、これに挑めってことか?」
紘一は小さくつぶやいた。頭の片隅で、あの会社の理不尽な論理が顔を覗かせる。「休みを取るより、まずは手を動かせ」「無理してでも結果を出せ」。だが今は、誰の命令もなく、自分の意思で進む自由がある。胸の奥でわずかに高鳴る心拍を感じながら、彼はゆっくりとダンジョンの入口に足を踏み入れた。
最初に感じたのは、空気の冷たさだった。街の雑踏が遠のき、耳に入るのは自分の呼吸と足音だけ。目の前には低く垂れ下がった鉄製の扉。無骨で無機質なその扉は、ただの扉ではなく、異世界へのゲートであることを紘一は直感した。
入口に置かれた「探索者登録」の端末にカードを差し込み、名前を打ち込む。少し緊張しながらも、手が震えることはなかった。これもすべて、会社で何年も耐え続けた「手順どおりこなす能力」のおかげだ。
扉がゆっくりと開く。内部は暗く、湿った空気が漂う。遠藤は懐中電灯を取り出し、光を前方に向ける。見えるのは石造りの通路、ところどころに落ちた瓦礫。足元には不規則な影が揺れ、遠くでかすかに金属がぶつかる音が響く。
「……よし、まずは安全確認からだな」
紘一は社畜時代に培った冷静さで、足跡や落とし穴、微かな物音を察知する。入口から数メートル進むと、最初の敵が姿を現した。小型のモンスター――ゴブリンのような姿をしているが、現代風の装備を身につけている。手には錆びた書類カートのような盾と、スチール製の棒を持っていた。
「なるほど……これは戦闘訓練だな」
戦闘は短く、しかし手応えがあった。紘一は「怒り覚醒」を意識しつつ、社畜時代に培った耐久力とマルチタスク能力を駆使する。敵の攻撃を避けつつ反撃し、ゴブリンは倒れた。倒した瞬間、彼の胸に「探索者経験値」が流れ込む感覚があった。
「……なるほど、これがスキルの成長か」
先に進むと、通路は二手に分かれていた。左は暗く狭い通路、右は少し明るく広い空間。迷う間もなく、遠藤は左を選ぶ。狭い方が集中できる。かつて会社の会議室で、狭い空間で大量の書類に囲まれて耐え抜いた経験がここで役立つとは、少し皮肉な気分だった。
左の通路を進むと、小さな落とし穴が仕掛けられていた。足元のわずかな傾きに気づき、素早く飛び越す。冷静さは社畜時代の残業耐性と忍耐力から培われたものだ。これを思い出すたび、会社にいた日々の無駄は一切なかった、と胸の中で微笑む。
深く息を吸い、紘一はさらに奥へ進む。途中、ダンジョン内に設置された古い掲示板には「初心者ダンジョン」と書かれており、簡単なトラップや弱い敵の情報が図解されている。安心感と同時に、初めての冒険の緊張が紘一の体を震わせた。
「よし……ここからが本番だな」
薄暗い通路を進むうちに、彼の背中に微かな汗が伝う。しかし恐怖ではない。好奇心と自由への期待が、それを上回っていた。会社の拘束や上司の理不尽な指示から解放された今、紘一は自分の意志で行動している。これが自由というものか――。
最初の大部屋にたどり着くと、そこには小型のモンスターたちが数体待ち構えていた。紘一は構え、心を落ち着ける。「行こう、これが俺の、自由の第一歩だ」
懐中電灯の光が揺れ、影が壁を滑る。遠藤紘一、元社畜サラリーマンは、初めて本当に自分の力で戦い、生き抜く――探索者としての冒険を、ここに始めたのだった。
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