年増

なご味噌

年増

 文芸部の窓からは薄暗い夕暮れが射し込む。ずいぶん日の入りが早くなった。気づけば部室には俺とOGの女しかいない。何だよ文芸部のOGって。社会不適合の大人気ない大人としか思えない。

 OGの女は鼻にかかった甘ったるい声で言った。

「ねぇ、こんなつまらない文芸部、抜け出さない?」

 セリフがテンプレ過ぎる。そもそも甘ったるい声で誘ったところで年増に価値はない。

「はぁ」

 思わず声が漏れてしまった。

「あれ? 反応悪ぅ。もしかして若木くん、部長にお熱なわけ? あんな野暮ったい子のどこがいいんだか」

 女はわざとらしく頬を膨らませる。女子中学生なら可愛らしいが、二十歳を遙か昔に過ぎた年増では萎える。それに、お熱なんて言葉は死語ではないだろうか。やはり年増は駄目だ。萎びている。

 かと言って文芸部の部長にも興味はない。部長もOGの女に負けず劣らず年増だから。

「年増には興味ありません」

 OGの女を放置して部室を出る。女は「若木く~ん、待ってぇっ」などと俺を呼ぶ。だが、振り返る価値はない。学校の敷地を出る頃には辺りは真っ暗になっていた。

 駄目だ。じきに文芸部は瓦解する。こんな年増が部室に入り浸る時点で終わりが見えている。


 年明け、文芸部員は激減した。絶対あの女のせいだ。俺以外の部員も唆していたのだろう。

 部長は機嫌悪そうに机を指先で叩いている。当たり前か。サークルクラッシャーじみた年増に部を潰されたのだから。

 顧問は頭を抱える。顧問は当然のように年増だがどうでもいい。

「どーすんだよ。部員三人ってギリギリだぞ」

 知るか。どうして年増同士の醜い派閥争いに巻き込まれなきゃならないんだ。

「先生、俺もいい加減に辞めたいっす」

 俺が挙手すると顧問はわざと眉を八の字に下げる。

「若木! そんな……。お前、先生を文学フリマに連れて行ってくれるって約束しただろ!」

 言ってない。顧問が一方的に「先生を文学フリマに連れて行って♡」と野球漫画の真似をしただけだ。

「次は京都なんでチャリ漕いで行ってください」

「ばか! 寒すぎて関ヶ原で死んじゃうだろ! 冬の関ヶ原ってすげー寒いんだぞ! 一緒に新幹線に乗ろうぜ! のぞみ乗ろうぜのぞみ!」

 のぞみなんて速過ぎて夢も情緒もない。そこは敢えてのこだまだろう。

 顧問は放置していいとして、問題は部長だ。

 文学少女を八丁味噌くらい熟成させた部長は黙したまま静かに怒りを滾らせている。

 いや、やっぱり静かじゃない。貧乏ゆすりが工事現場のドリルくらいうるさい。声をかけるにも覚悟が必要だ。しかし、顧問が声をかけてしまった。空気読めよ。

「部長はどうしたい? 春までは何とかすっけど、来年度は保証出来んぞ」

 部長は巨大な溜め息を吐いてから重い口を開いた。

「あのOGをしめたいところですね」

 しめるの表記が危ない気がした。多分絞め殺す方だ。

「とはいえ、現実的ではないので、ひとまず退部した部員を取り戻しましょうか」

 そこまで言って、部長はこちらを向いてにっこり微笑む。

「若木くん、辞めた子たちのアカウントはもれなく知っていますよね」

 背筋に寒気が走る。そうだ。部誌の編集の都合上、全員のアカウントを把握している。

「教えてくれますか? 裏垢や鍵垢も何もかも。親御さんの連絡先もご存知ならそちらも」

 部長の笑顔に圧がかかる。思わず仰け反る。

「ですが、個人情報保護の観点から」

「私は面白お姉さん気取りの年増から部員を奪い返さなくてはなりません。若木くん、わかりますね」

 その時の部長は鬼婆に見えた。震える手でアカウントリストを見せる。すると部長はいつも通りの穏やかな文学少女のなれの果てに戻った。

 翌日、辞めた部員は戻ってきた。なぜか全員の後頭部に長さ23cm程の赤い跡がついていた。部員は皆一様に「部長最高!」と喚く。部長は別に最高ではない。年増だから。

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年増 なご味噌 @nagomiso

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