孵らない卵

Bamse_TKE

孵らない卵

―今日もいるわね―


 私のマンションから丸見えの一軒家、そのリビングルームで今日も女はロッキングチェアに揺られている。膨らんだように見えるお腹に赤と黒を基調としたチェック柄のブランケットを乗せて。そのブランケットの下にある物を愛おしむように、彼女はそのふくらみを撫でさする。おそらく私と年のころは一緒、女性として適齢期だけどパートナーとは一緒に住んでいないみたい。


 別に覗きたくて見ているわけじゃないんだけど、私の部屋からちょうど見える位置にその家があるものだから。つい、気になって見ちゃうのよね。あんまり見ているものだから、時々目が合うことがあるわけ。そのたびにニコリとしてくれているから、嫌がられてはいないようね。


 実は私は知っているの。彼女が何を大事に抱えているのか。そりゃあこれだけ見てるわけだから。彼女が抱いて温めているのは、大きな卵。卵型の何かかもしれないけど、オフホワイトの大きな卵。初めは私も妊婦さんだと思っていたから、初めて見た時はそりゃ驚いたわよ。彼女ずっとリビングルームの窓際で、親鳥が卵を温めるみたいに、ずっと大きな卵を温めてるの。そして時々、大きな卵に耳を当てたり、なにやら呟いてみたり。作り物にしてはリアルな卵だけど、もしかして孵化するとでも思っているのかしら?


 もしもあの卵が本物だとしても、孵化するわけがないじゃない。人間は鳥とは違うし、四六時中抱いているわけでもないんだから。私は不思議な彼女を微笑ましく眺めながらも、無駄なことをしているなぁという呆れた気持ちも持っていた。


―ああ、いけない―


 彼女を見つめている暇なんかない。私はマンションの外廊下を歩き始めた。今日はジムに行かなくちゃ。最近何だか淡白な彼を夢中にさせる、愛されボディを作り上げるために。


**


 今日も彼女は卵を抱いている。愛おしそうに、それを慈しむように両の掌を乗せている。幸せそうなほほえみとともに。


―無駄なことを続けるなぁ、飽きもせず―


 そんなことを考えながら、私は足を急がせた。今日はエステに行かなくちゃ、最近何だかそっけない、彼を夢中にさせないと。


**


 クリスマスも近づいてきた、それでも彼女はロッキングチェアで卵を抱いている。時々卵に耳を当てながら。


―本当に卵がかえると思っているのかしら?―


 相変わらず無意味にしか見えない彼女の行動を見ながら、私は歩みを早めた。今日はネイルサロン、彼がよそ見をしないように、おしゃれなネイルで気を引かないと。


**


 今夜はクリスマスイブ、彼とのディナー直前に美容院で綺麗にしてもらわないと。彼と最高のクリスマスを過ごすために。


―本当に飽きないわね、その努力が報われることも無いでしょうに―


 卵を大事に温める彼女を見ながら、私は美容院への歩を進めていた。彼との甘いクリスマスパーティーはこれから、素敵な聖夜が私を待っているのよ。


**


 

――けれど。そんな期待は彼の一言で打ち砕かれた。


「好きな子が出来たから、別れて欲しい」


―それがクリスマスイブにいう言葉?―


 ショックのあまりに目の前が真っ暗になる。私は今まで何のために、自分を磨いてきたのだろう。何のために自分を美しく仕上げてきたのだろう。何のために私は努力していたのだろう。


**


 失意のあまりどうやってマンションに帰ってきたかは覚えていない。ため息をつきながら部屋の前に辿り着いた。


「ヒッ」


 私は思わず声を上げて後ずさった。部屋の前には彼女が抱いていたのと同じ、卵が一つ無造作に置かれていたから。


 でもなぜだろう、私は惹かれるようにその卵を拾い上げた。そして視線が無意識に彼女の家へと向かう。彼女はこちらを向いて微笑んでいた。いつも通りに卵を大事そうに抱えながら。私はその微笑みを見つめながら、自分が抱きかかえた卵に胎動のような蠢きを感じていた。

 


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孵らない卵 Bamse_TKE @Bamse_the_knight-errant

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