サンタさんの贈り物

お肉にはワサビ

サンタさんの贈り物

 ことこと。窓枠が居眠りする深夜零時に、ワタシはこの子の部屋を訪れる。


「サンタさん? 来てくれたの?」


 どんな聖夜の星空だって、この子の瞳にはかなわない。ああだからか、嫉妬。昼過ぎからだんまりを決め込む厚い雨雲を見上げて、ワタシはくすっと笑みをこぼす。

 ぱたぱた、なびいたカーテンが泣く。


「キミはこれがサンタにみえるのかい?」


 窓ぎわのベッドに横たわる彼女に向かって両手を広げた。小さな体を起こして、彼女はワタシをじっとみつめる。


「だって今夜はイブだもの」

「よく見て。ワタシはなにいろをしてる?」

「まっ黒よ」

「まっ黒なサンタがいると思う?」

「ええ、いるわ、ここに」

「キミのサンタはもう来たじゃない」


 枕元を指さす。大きなラッピング袋を彼女はちらっと見た。


「これはパパとママからよ」


 ぱちり、ぱちり。窓枠が雨粒をはねさせる。今さらもう遅い。ワタシは中に入ってしまった。

 この子のパパとママのこと。数日前からずっとみていたワタシには分かる。パパとママはトイショップでいちばん大きなぬいぐるみを買った。この子がさびしくないようにと言って。

 その子の目はなおもワタシから離れない。名を聞かれるのを待っているかのように――それがどういうことか分かっているような、高潔な神秘のヴェールを纏って。ワタシは窓の外、雲の上の狡猾な月を仰いだ。


「ワタシが怖くないのかい」

「ちっとも」

「まっ黒なのに?」

「わたしには、白のほうがこわい」


 今度は彼女に促され、ぐるりと見回す。パパとママのいない部屋。白いカーテン、白いベッド、白いシーツ。ほんのりピンクのパジャマに、白い帽子。白い肌。白いチューブ。部屋の隅にクリスマスツリーがいるのは、“白”が聖夜の存在を許しているから。少女を思う優しい人々の、願いを込めたオーナメントのおかげだ。

 知っている、ワタシはここにいるべきではない。ワタシはこの部屋が最も忌むべき存在だ。


「キミのほしいものをもって来られた自信はないよ」

「いいえ。あなたはサンタさん」

「いいや。ワタシはなにもあげられない」

「でも、今日きてくれたわ」


 そうやって澄んだ目でみつめる彼女は。ざらざら、雨がさざめき立って彼女の毛布に染みていく。悔し涙に思えた。彼女がこわいと言ったのはこの部屋のほうだから。許さない、そんな無言の抗議。誰の? ワタシは窓際に腰かける。


「いかないで」

「行かないよ、キミに用があって来たのだから」

「じゃあやっぱりサンタさんでしょう、ね、わたしの願いをかなえて」


 ばらばら。開け放した窓から降り込む雨粒が、意志をもって彼女のベッドを濡らす。いっそ、少女に我が名を明け渡してしまったら、ワタシはサンタと名乗ることを許されるのだろうか?


「ワタシはサンタじゃない」

「わたしのほしいものをくれるんでしょう」

「そこにあるだろう」

「わたしはこんなのいらないの」

「そんなことを言ってはいけないよ」

「ほしくない、こんなのほしくない!」


 ぶつん、と、彼女のか細い手首から点滴の管が外

れた。床に落ちてしまったプレゼントを拾ってやると、彼女はパパ、ママといって抱きしめた。


 パパは遅くまで残業し、いやみな上司や取引先にも頭を下げた。ママはこの子の面倒をみたあと、深夜から早朝までレストランで働いた。クリスマス前の休日に呼び出されたパパは、院長にまた何度も頭を下げた。そしていっそう帰りが遅くなるパパと、からっぽの家でため息をつくママ。

 この子がお昼寝をしているとき、ママは持参した手作りチキンとパイとを看護師に見せて、今日だけはと食い下がった。そのときこの子が薄目を開けていたことを、ワタシだけが知っている。

 少女は吐いて食べられなかった。ママはごめんねと涙を流した。面会時間に間に合わなかったパパはまた主治医に頭を下げた。パパがそっとプレゼントを置いたとき、この子が薄目を開けていたことを、知っているのはワタシだけだ。


 ワタシにはこの家族がいちばんほしいものがわかる。だから、サンタになれない自分が憎い。窓をふさぐだけでは凍てつく冬の雨を防げない。窓ガラスのすみから降りてきた霜がぶるぶると震えた。


「パパとママを楽にしてあげたいの」


 嗚咽をこらえ、はっきりと言葉にする彼女にワタシは戦慄すら覚えた。そうだ、このまま逃げ帰ってしまいたい、そうすれば、ワタシはサンタになれるかもしれない――いや、そんなばかなこと。少女の頬を伝う涙を拭ってやることもできないワタシが、どうしてサンタになどなれようか。


「ワタシはキミの望むものを両親にはあげられないよ」

「どうして? サンタさんでしょう?」

「そうじゃないんだ」


 ワタシはサンタではない、そう言おうとしたが、やめた。パパとママはね、キミのことを……そう語りかけようとして、それもやめた。サンタなどではないのに善い者ぶろうという自身に嘲笑を浴びせかけてほしい。見渡した部屋は物憂げに沈黙を貫いていた。おお、と雨風が声を上げた。

 束の間ワタシと彼女を隔てたドレープの、湿った表情がいやみったらしい。彼女はワタシを見ている。呼吸する網膜、その奥の緩やかな命の炎に触れねばならぬと、ワタシの心が軋んでいる。触れたくない。触れたくない。サンタでいられたら、どれほどいいか。


「苦しいの? 先生を呼んであげましょうか」


 少女がワタシに触れようとしたので身を引いた――何故? なぜ、この期に及んで。

 この子がこんなふうだから、ワタシは惑わされるのだ。この子がこんなふうだから、両親は諦めきれない。この子がこんなふうだから、サンタは来られない。ワタシがこの子に思いやられるなどとは、聖なる夜のなんと残酷なことか。

 ぴた、ぴた、と、残った雫が窓に張りついて流れていった。憂鬱の箱を切り裂くように、ワタシは黒衣をはためかせてみせた。


「キミの病気も治せない先生を呼ぶって?」

「しかたないのよ。だからあなたが来てくれたんでしょう?」

「ワタシは名医じゃないよ」

「知ってるわよ。サンタさん。わたし知ってるの」


 鈴の音のような声はワタシに向けられ、闇より昏いワタシの姿をまっすぐ映してしまう、この子はかくも恐ろしい――恐れだと! そんなものを抱く自分が甚だ可笑しい。ワタシに火を消される寸前の人間がワタシの中に煌々と炎を灯けた、その無意味さのなんと愚かでまばゆいことか。ワタシは笑いながら彼女に言ってやった。


「パパとママにはキミの望むものをあげられない」

「なぜ? なぜなの?」

「サンタはおとなにプレゼントをしないってきまりなのさ」


 絞り出したワタシの声が一抹の風に消され、少女はこちらに身をのり出した。白い頭巾が人工毛髪ごと取れて、柔い頭皮があらわになった。ワタシの片方の掌に隠してしまえるな、そう思った。

 祈りよ、流星、この子の未来の輝き、炎よ、純白よ。ワタシを燃やし尽くせ、さもなくば、さもなくば。連れてゆくぞ。連れてゆくぞ。叶えてやろう、この子はワタシをワタシと知って、お願いをしたのだから。


 部屋は。なにも言わず眠りについた。雨上がりの曇天を見遣って、そこにいるはずの月と星にワタシは敬礼した。

 振り返り、少女に問いかける。


「ワタシはキミのサンタだよ。キミの名前を教えてくれるかい?」

「ダニエル」


 少女は白い歯を見せて笑った。ワタシも真っ黒な口を開けて笑った。もとより、涙をぬぐう必要はなかったのだ。


「いい子だ、ダニエル。さあ、おいで。プレゼントだよ」


 差し伸べたワタシのまっ黒な手を、小さなまっ白い手がきゅっと握った。


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