「返事をしてください」

アケビ

「返事をしてください」

白石 恒一は、夜になると通知音を切る。

理由は単純で、眠りが浅いからだ。


その夜も、当然だが、スマートフォンは机の上で沈黙していた。

部屋は暗く、時計の秒針だけが動いている。


——トン。


音は、天井からした。


ネズミだろう。古いアパートだ。

珍しいことでもない。

そう考えて目を閉じた。


——トン、トン。


規則正しく、続けて二回。落下音や何かの足音ではない。

何かが、軽く叩いている。


白石は布団の中で耳を澄ませた。

天井の向こうに、人がいるはずはない。上の階は空室だ。


音が止んだ。


胸をなでおろした途端、今度は壁から聞こえた。


——トン。


距離が近い。


白石は起き上がり、電気をつけた。

壁には何もない。シミも、穴も、異常は見当たらない。

隣の部屋からだろうか。


なんだか、胸の奥がざわつく。

電気を消す気になれず、そのまま布団に戻る。


しばらくして、スマートフォンが震えた。


通知は切っているはずだ。

画面を確認すると、見覚えのないアプリが開いていた。


表示は、短い一文だけ。


「返事をしてください」


白石は指を止めた。

誰に? 何の?


——トン、トン、トン……


今度は、布団のすぐ横。

そこには硬質な床も壁もない。もはやこれが何の音だかわからなかった。


白石は画面に視線を落としたまま、息を潜める。

震える指で、文字を打った。


「誰ですか」


送信された瞬間、音が消えた。


画面に、すぐ返事が来る。


「近くにいます」


背後で、畳がわずかに軋んだ。


翌日。職場に彼の姿はなかった。

それを心配した同僚が連絡を取ろうとしたが、メールにも電話にも応答がない。

警察に相談したところ、警察官が大家に合鍵をもらって部屋に入ることになった。


会社にいる誰もがどうせ明日には戻ってくる、大げさだと言ったが

そうした者たちもそれから白石を見ることはなかった。


警察が四、五回ほど声をかけてから立ち入った白石の部屋は静かだった。

荒らされてもいないし、事件性を感じさせる要素はどこを探してもない。


家にはいないはずだが、机の上にはスマートフォンが置いてある。


警察官の一人が電源ボタンを押すと、以外にもロックがかかっていなかった。

アプリが開かれていて、未送信の下書きが一つ残っている。


「静かにしてください」

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「返事をしてください」 アケビ @saku35

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