母はゆでたまごが大好きで

かたなかひろしげ

ゆでたまご

 「ゆでたまごがかわいいのじゃ」


 最近の母は養護施設に様子を見に行くと、相好を崩し、決まってそう言っていた。冷蔵庫を開けると大量のゆで卵がストックされており、どうやら自分でせっせと卵を茹でているらしい。


 この手の養護施設で集団生活を送っているお年寄りの流行り廃りというものは、外で暮らしている人間には、およそ察することができないものがある。なにせ人の行き来が制限されている都合上、殆ど世間とは隔離されている。だからこそホーム内の入居者同士の些細な会話内容がきっかけで、それがそのまま小さなコミュニティ内のブームとなってしまうのだ。


 例えば誰かが、「今年のりんごは旨い」と適当なことを言ったことで、りんごがブームになったりする。今回はそれがたまたま「たまご」だったのかもしれない。



 ───母と私の関係は複雑だ。いや、複雑なのは、私からだけかもしれないが。


 その一方、父と母の関係は、非常に簡単。

 私が出来たことで結婚をし、私が生まれてすぐに、母は父に体よく捨てられた。


 何も知らない人がその事実だけ聞けば、父が原因だと思われるかもしれない。

 しかし真相としては、おおよそ父からしてみれば「子供が出来たので同居してみたら、想像以上にやばい女だった」となったのだろう。それは容易に想像がつく。


 それぐらい母はかなり独善的な性格をしており、父が逃げた後は、当然のようにその理由を私だと頭から決めつけた。まだ幼少の私にしてみれば、なにせ心当たりのない話ではあったが、子供の頃のことでもあり、私はそのいわれもない非難をひたすら受け止め続けるしかなかった。


 物心がつく年頃になってからは、およそその叱責のようなものが、母の他責思考からの八つ当たりであることは理解できるようになっていた。私は当然のように、一体いつこの家から逃げられるか、脱出することができるか、ただそれだけを毎日考えるようになっていた。


 ちょうど多感な年頃である。ああいった気の強い理不尽なところに、若い頃の父は惹かれたのかな?とか、なんで振られた男の事を何年も娘に八つ当たりしているのか、などとそれはもう幾夜も、色々考えてはみたものの、ろくな答えは出ない。心の中でどれだけ悩んでみても、いつも私の結論は、「やはり母が悪い」だった。


 日々の理不尽な暴力で、私の身体に増えていく痣の数だけ、私は心の中の「母が悪い」のカウントを順調に増やしていったが、1000を超えたところで数えるのはやめてしまった。その頃にはもう、今更確認する必要もなく、「母が悪い」が当然の事実だと自分の中で確立したのだと思う。


 その後の私は、高卒後すぐさま就職活動をして、適当な地元企業に転がり込んだ。選択基準にろくこころざしなどない。「適当」な唯一の会社選択基準は「社員寮にげるばしょがあること」であった。



 ───かくして私はようやく母の虐待から、なんとか逃れることが出来た。


 今まで制限された生活を送っていたところから、急に自由を手に入れたこともあり、その後の私は控えめにいっても少々浮かれていた。会社の営業の男に早々にひっかかり、独身寮でこっそりと同棲をしはじめたところで、会社にそれがバレ、寮から追い出される羽目になった。


 男との相性は良かった。その証拠に程なく子供が出来てしまい、私はその男と結婚し、今に至る。彼は入社したばかりの右も左もわからない女子を、軽く口説いてそのまま付き合ってしまうような軽い男ではあったが、さして性格に問題などない、単純で善良な人だった。まあ、母より性格の悪い人など、会ったこともないのだが。


 結婚の報告は母に入れていなかったが(そもそも連絡すら全然していなかったし)、どこから耳に入ったのか私に子供が出来たことを聞きつけると、ある日、目ざとく家に現れた。


 私の場合、中高生の時点で既に友達からは、「普通の母親は痣が残るまで子供を殴ったりしない」と聞いていた。だから自分の子供には決して手をあげることは無かったし、勿論、優しい彼だってそうだ。


 とはいえ、そんなことお構い無しの母である。それ以降、呼んでもいないのに時折我が家に押しかけては、相変わらず私をなじり、時には感情が高まると暴力を振るうことがあった。彼には見逃してやってくれ、と言っていたので我慢してくれていたが、こと、その矛先に私達の娘が絡むと話は別であった。


「お前も産まなければ良かったと思ってるんだろ?」


 と、娘のいる前で私をなじり始めた時、私への暴力はなんとか我慢してくれいた彼も、遂に本気で怒り、母を文字通り、家から蹴り飛ばした。後にも先にも彼があんなに怒ったのは、見たことが無い。その時は、母の身体の心配より、数十年の鬱憤うっぷんが少し晴れたような感情の方が大きかったのは言うまでも無い。


 それから後、母を我が家に入れることはなかった。


 そこからもう早20年近くは経つ。それは流石にあの母だって齢をとるわけだ。

 不摂生による高血圧から心臓疾患を患い、足元が覚束おぼつかなくなったのを好機に、厄介払いよろしく養護施設に放り込んだ。一体いつどこから稼いだのか、不相応な貯金を溜め込んでいたので、費用はありがたく本人に払って貰えばいいのはまだ救いだ。


 養護施設の入居条件には、「定期的に家族が訪問すること」というものがある。

 母が入っているのもそのタイプであり、いわば、家族が健在であることを何等かの担保として捉えているのだろう。相場より少し格安なのも、きっとそのおかげなのかもしれない。



 ───その為、四半期に1度は、施設をわざわざ訪問する必要があった。


 齢を重ねてあの激しい気質も少しはまるくなったのか、感情が高ぶると物にあたることはあっても、職員に直接の暴力を振るうことはないそうだ。相手をみて暴力を振るうかどうか決めているのは、昔と相変わらずしたたかで、なんとも腹立たしい。


 「ゆでたまごがかわいいのじゃ」


 一体いつから、あの苛烈な母がこんな口調になったのかは知らないが、集団生活というものは、かくも人の振る舞いを変えるものらしい。子供の頃の私だって、それなりに人並みのかわいい顔をしていたハズだが、容赦なく灰皿で殴られていた。ゆで卵は殴られていないに違いないから、母の中で、私はゆで卵以下の扱いというわけである。


 母と私の眼の造作はよく似ている。母は、幼少の私の眼に、自分の眼を見ていたのかもしれない。男に1年足らず付き合っただけで、愛想をつかされ捨てられた女の眼を。齢を重ねて、あの時の母の年齢に近くなった今なら、それも少しわかる気がする。娘は私のこんな陰湿な気質を、少なからず継いでしまっている気がするからだ。


 幸い、娘の眼は彼によく似て、綺麗な二重だ。もう誰にも恨まれる心配はないだろう。いつぞや母も「お前に似ていなくてよかった」などと失礼なことを言っていたので間違いない。


 ───しかし先週はそんな風に卵を愛でていた母が、今ではこうして、病院のICUで人工呼吸器を付けているのだから、年寄の病変というのは足が速い。高血圧から心臓を悪くしていた母が、養護施設の栄養管理された飯で生活することで、幾ばくかは体質改善されるのではないか、とも思ったが、そうではなかったらしい。


 思えば、母の個室の冷蔵庫の中は、ゆで卵で一杯だった。

 あれが原因なのではないだろうか? と、ふと思いつく。そういえば冷蔵庫のドアのポケットにはマヨネーズも大量に入れてあった。今思えば、あれは少々食べ過ぎだったのではないか? 個室の中での食事については、施設の管理の及ばないところだろうから、致し方がないのかもしれないが。


 ICUの控室は、昼でも尚、薄暗い。綺麗な睫毛が暗い照明の中、ゆっくりと揺れる。伏せ目がちに微笑みながら、今日はICUに付き添ってくれた娘が、遠慮がちな笑顔でぼそっとつぶやいた。


「なかなか死なないね?」


 娘は、私が母に殴られているのを、何度となく見ている為、母のことを蛇蝎だかつのごとく嫌っている。私も、もう大人になった娘のそんな言動を否定はしないので、娘も屈託なく公然と母のことを悪く言うようになっていた。


「母さんも、婆さんに保険沢山かけてるの、知ってるよ」


 娘が何処でそれを知ったのかは知らないが、確かに私は母に大量の生命保険をかけていた。半分は、母がこうして病気になった時に、自分の金をかけたくない為、もう半分は散々迷惑かけた母からお金ぐらい貰っても良いだろう、という悪心からである。受取人は私だ。


 勿論、掛け金は母自身の口座から引いている。あの人は一度、病に倒れてから病気を怖がるようになった。嫌われている娘の私が、「老後の面倒はみないよ?」と少々驚かせば、自ら進んで保険に入れさせるのは至極容易な話だった。



 ICUに入った翌朝、治療の甲斐なくそのまま母はそっと息を引き取った。心臓疾患による病死だ。


 数日後、私は養護施設に一人で母の荷物を取りに行った。簡単な書類を職員に渡すと、母の私物として手荷物の入った小さな段ボールを渡してくれた。母のここ数年のすべてが、こんなに小さな箱の中に収まっている。


「冷蔵庫に入っていた、なまものはこちらで処分しました。お母様、濃いマヨネーズがお好きだったのですね」

「いやいや。高血圧で何度も倒れていますから、マヨネーズは控えていたはずだったのですが……」


 私は先日の違和感を思い返していた。大量のゆで卵とマヨネーズは、血中コレステロール値を大きく上げたに違いない。


「娘さんが良く訪問に来られていましたから、その際に差し入れられてたのかもしれませんね。よく、他の入居者様にも自慢されてましたよ」


 職員は優しく微笑みながら話を続けた。娘がこの養護施設を訪問しているなど、私は一度も聞いたことはなかった。先日のICU控室で、娘が伏せ目がちに見せた笑顔の意味に、ようやく私は気がついた。


 職員は業務的な笑顔を維持しながら、言葉を続けた。


「茹でた孫がかわいい。って」

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