神の卵

ぷにこ

神の卵

「神の卵? はっ、バカじゃないの!?」


 毎朝のルーティン。

 嘲笑を漏らしながらマグカップを机に置くと、思いの外大きな乾いた音を立てたカップからは、甘いココアの香りが立ち上る。


 キャスター付きのオフィスチェアに乱暴に腰を下ろせば、目の前、強化ガラスケースの中では淡く光る人間大の物体——『神の卵』と世界が呼ぶソレが、今日も変わらずそこにあった。


「ハッハッハッ。そんなこと言わずに、今日も観測よろしく頼むよ、香苗」


 肩を叩きながらベタベタと身体を触ってくるこの男は、研究主任のマイケル。

 これもまた毎朝のルーティン。そして、私の機嫌が悪い原因の一つ。


(いったい、何度セクハラと訴えれば止めるのだか)


 今年の初め、全世界の主要宗教団体のトップに突如齎された啓示。そこに示された、人類の審判者を生み出す物質——神の卵。

 そんなものが、何故か日本の、私の大学のそばの神社に出現しやがった。


 そして、出現から半年経った現在。

 紆余曲折を経た私は、この不可思議物体を研究する世界最先端の研究室——と呼ばれるあばら屋で、日がな一日、卵を眺める仕事に従事している。

 まるで、例の化粧品会社の品質チェックみたいに。



 ココアを啜る。

 舌に広がる甘さ、身体に染み渡る温もり。

 今の私に残された、ささやかな喜び。



 神の卵—— このオカルトまみれの物質は、現在世界の科学、政治、宗教の中心となっている。

 当然、投入されている人も、機材も最先端。

 できれば建物も最先端と言ってもらいたかったが、そこは建築物を建てるための物理的時間が原因で無理だったらしい。

 そんな最先端の真ん中でドモホルン◯ンクルしている私も、世界に名を馳せる天才か? といえばそうではない。


 親、親類もなく天涯孤独。友達も少なく恋人とは別れたばかりのペラッペラな身の上。ついでに、生物の卵生について研究している。

 狙ったような属性の人間が近場の大学の研究室にいた、と、半ば拉致のような形で招聘され、監禁に近い形でこのあばら屋に住まわされている。

 世界の大事を前に、個人の権利なんて無いにも等しいものらしいが、正直私にはどうでもいい、迷惑極まりない話だ。


「香苗、クッキーはどうだい?食べさせてあげるよ」


 黙れセクハラ野郎。


 こんなでもこの男、何度も科学誌に名前が取り上げられるエリート中のエリート。

 初めて会った時に抱いた、私の感動を返して欲しい。


 そんなエリート様が毎日セクハラに勤しむ背景も理解はできる。

 成果皆無による苛立ち、上からのプレッシャー。


 まぁそもそも、あらゆる計測機器が反応せず、カメラにすら映らない。

 しかし、人間には見えて触れられる謎物体。

 そんなものに対して何か成果を出せと言う方が無理というもの。

 マイケルが哀れであるのは確かだが……。


 暇を持て余した同僚の噂話からは、すでにフェーズは政治や宗教間での対立に発展しているらしい。

 どうでもいいが、さっさと結論を出して、私を平穏な生活へと戻して欲しいものだ。


 神の卵を眺めながら、ココアを啜る私のささやかな願いは、しかし、叶うことはなかった——


 光。

 音。

 熱。

 衝撃。


 前触れもなく起こったソレは、爆発・・となり、私の今の環境と意識を、いともたやすく吹き飛ばしていった。


 ………………

 …………

 ……


(……うぅ)


 瞼の裏にはLED照明とは違う、柔らかな光の刺激。

 横たわった身体と全身を包む倦怠感。


(夢オチ……ってワケにはいかないよね)


 バカな事を考えてしまう。


 目を開くと、仰向けになっていた私の目には青空が広がっていた。

 のどかな、雲ひとつない青空。


(ははっ、なんか……ムカつく)


 身体は動きそうにないため、首だけで周囲を確認すると、散乱する瓦礫、バラバラになった同僚たちだったもの。なかにはマイケルらしきものもある。


(はっ、ざまあみろ)


 そんな感想を抱くのも、きっとこの現実感のなさからだ。

 爆発で耳をやられたのか、音のない世界で見る光景は、ただのスライドショーと変わらない。

 そう、ただのスライドショー。

 出来の悪い午睡の夢だ。


 だが——


(ううぅぅぅ、痛い痛い痛い痛いっ!)


 全身を包む倦怠感は、締め付けるような圧迫感、そして、今まで感じたことのないような複合的な痛みに変わる。


(嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。これは夢だッ!)


 だが、そんな現実を肯定するかのように、胸元に何か厳かな温もりを感じる。

 神の卵―― 。

 人間ほどの大きさがあるくせに重みを感じさせず、人の心の隙間に入り込むような温もりと、微かな胎動。

 まるで生きているかのような、気持ち悪い感触。

 そもそもなんでココにあるんだ? あのケースは私が開けれるようには出来ていないし、聞いた話ではこの程度の爆発ではビクともしないはず。

 正直、気持ち悪かった。

 この期に及んでも、これは私の理解の及ばない、得体のしれないオカルトだ。

 なんでそんなものを、私が守るように抱き締めているんだ。


 恐怖心に囚われ始めていた私に、スッと影が差す。


 目の前には、映画などで見る、軍の部隊員のような装備の覆面達。

 私に銃を突き付けながら、なにかモゴモゴ口を動かしている。

 生憎と私はいま耳が聞こえないんだ。

 だが、その仕草から、この卵を狙ってきたのは容易に想像できる。


 私には、渡すという選択肢もおそらくはあったのだろう。


 だが――


 腹が立った。


 こんなよく分からないモノのために、私はかつての居場所を奪われ、今の居場所を吹き飛ばされ、短い付き合いの同僚とセクハラ上司を殺され、そして……


 この神の卵が世界の希望なのか絶望なのかは知らない。


 だけど、こんなもの為に私は全てを奪われ、そして今、血と熱とそして臓物を垂れ流しながら命を失っていくことが許せなかった。



 ふっと、笑いが漏れた。



 私は震える腕で卵を掴む。

 温かい。

 半年間、毎日眺めてきたこの卵を。


(こんなもののために……!)


 渾身の力で、地面に叩きつける。


 乾いた音。

 意外なほど、あっさりと殻は砕け、破片が転がる。

 中身は——


 何もない。

 空っぽだ。


 笑いがこみ上げ、喉が震えた。


 バカみたいだ。

 全部、なにもかも。



 目の前のテロリストたちが狼狽えている。

 頭を抱え、周囲を見回し、何かを叫んでいるようだ。

 私には聞こえない——音なのか、声なのか、それとも何なのか。


 ふと、テロリストたちの背後に目をやると空に、何かが広がっていた。


 巨大な影。


 黒く、禍々しく、全てを呑み込むような——何か。


 それは、私が卵を割ったのが悪かったのか、卵を守らなかったの悪かったのか、卵を巡って争ったのが悪かったのか、はたまた、人類のこれまでの歴史が悪かったのか。


 とにかく、あまりよい未来を想像できる光景ではなかった。

 おそらく、今後も人類が継続することが出来るのならば、今日という日はこう呼ばれるのだろう―― 審判の日、と。


 ただ、死に行く私にはどうでも良い事だが。



 ― END ―

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