火鳥愛

木枝茂間

120点の取り方

「初めまして。転校生の火鳥愛ひとりあいです。よろしくお願いいたします。」

桜もまだ散りきらない四月十日、その転校生は現れた。教師になってから十年になる私にとっても、初めての出来事だった。

「先生ー、その子は本当に転校生なんですか?」

唐突な転校生にざわめく中、ある一人の生徒が私に質問してきた。私だって聞きたい。この子は何者ですかって。

「えー。転校生です。学校が始まって日も浅いとは思いますが、皆さん仲良くしてくださいね。」

「はーい。」

どうにか、先生として正しい受け答えができた。今の時代、どこから来たのなんて転校生に他の生徒の前で聞いた瞬間、生徒のプライバシーを配慮できない教師なんてSNSに書かれて学校を追い出されてしまう。窮屈な時代になったものだ。そんなことを考えながら、その転校生の方に向き合った。

「あなたの席はあの窓側の一番奥の席です。五月になれば席替えはするけども、もし黒板が見にくかったら言ってね。」

「わかりました。私の視力は一・五なので、問題はありません。」

そう言って転校生の火鳥さんは、クラスの好奇の目を一身に受けながら席に向かった。正直な子そうでひとまず安心した。



「それでは、そろそろ皆さんもクラスに馴染んできたことですし、学級委員を決めましょうか。」

火鳥さんが転校してから一週間後のホームルーム。火鳥さんもクラスに馴染んでいるだろうと見計らって私は言った。

「学級委員になりたいって人はいますか?」

見渡す限り、静まり返った海面のごとし。誰も手をあげない。今の風潮というやつか。私が生徒の頃は我こそはっていう奴らばかりで喧嘩にすらなったものだが、今の子達はそういうリーダーの責任とかいうものがどうも嫌いらしい。ようし、では次はこれだ。

「では、この人が学級委員になってくれたらいいな、という人はいませんか?」

これはテキメンだろう。そろそろクラスの中にもグループが形成される頃だ。きっとグループのリーダーとかが名前に挙げられて、仕方ないなあと言いつつ心では喜んでリーダーが学級委員に立候補する形であっという間に決まっていくのだ。そういうリーダーが学級委員になった方が、先生としても動きやすい。あれ、でも……。

「い、いませんか?」

これはまずい。クラスの雰囲気が完全に冷え切って、海面どころか氷面になろうとしている。今の子ってこんな感じなの?ジェネレーションギャップ、恐るべし。

「誰もあげてくれないと、先生、困っちゃうなー……。」

先生として情けないが、必殺、同情作戦!どうだ?うーん、効果は今ひとつのようだ。絶対零度が教室中を駆け回っている。

「先生、僕は火鳥愛さんがいいと思います。」

おお、お前は確か男子のグループでリーダーっぽいやつ!確か、名前は一札碧ひとふだあおいだっけ?よく言った!まさに救世主!……うん?なんだって?

「私も賛成ー。愛ちゃんなんでも知ってるし、普通の優等生っぽいもん。」

「そうそう!それに優しいしー、今はもう慣れたしいいんじゃない?」

「えぇ……。」

私の困惑の声をよそに、女子からも賛成の声が上がる。どうやら、すでに火鳥さんは女子のグループに馴染めているようだ。ただ、お前ら、それでいいのか?火鳥さんに学級委員って。自主性がないというかなんていうか。いや、まあ。とりあえず本人に意思を聞いてみるか。あるかわからないけど。

「じゃ、じゃあ、火鳥さん。クラスの皆はこのように言っているけど、どう?」

「わかりました。皆さんのためになるなら、私が学級委員になります。」

「おお……じゃあ、火鳥さん。受けてくれてありがとう。では他の委員の任命は学級委員の火鳥さんに任せるから、よろしくね。」

決まったものは仕方ない。この学校は自主性を重んじるはずで、その一環で体育委員、文化委員などの学級委員以外の委員は、学級委員が主導して決めるのだが、その学級委員がただのなすりつけで決まってしまった。先生として不甲斐ないものだ。

無様を晒した私は教室の隅にさっさと退散して、それと入れ替わりに教壇に上った火鳥さんがテキパキと他の委員を決めていく。私のやり方とは違い、誰も手をあげない委員があれば、このような点で適性があるからと説明した上でさっと指名しておしまいだ。誰も異論を唱えず粛々と受け入れていく。これが今の子達なのかとしみじみと感じることしかできなかった。



季節は桜の花はすっかり落ち、葉っぱが青々こんもりと生い茂る初夏になった。そろそろそうめんが食いたいなと頭でたわいないことを考えながら、昼休みに職員室で書類を片付けていると、火鳥さんがドアでぴょことお辞儀したあと私の前にやってきた。

「先生、ご相談したいことがあるのですが。」

「なんだい。火鳥さんはいつも学級委員として頑張ってくれるし、なんでも聞くよ。」

「この前の中間テストにおいて、私たちA組の平均点が学年最下位だった件についてなのですが、よろしいですか?」

「……よく知ってるね。」

確かに中間テストの点数は、どの教科もA組はボロクソだった。他の組の先生からは運が悪かったんだねと慰められたが、心の中ではほくそ笑んでいることなどわかりきったことだった。唯一の救いは今目の前にいる火鳥さんだけが全教科満点を取ったことだけだった。

「今の学力状況はA組の皆さんにとって大変よくないと私は思います。」

「そうだね。」

「そこで、私は先週から毎日授業が始まる前に、私が作成した小テストを皆さんに実施しております。」

「す、すごいね。本来そういうのは私の仕事のはずなのだが……、とにかくありがとう。」

「しかし、その小テストにおきましても成績が芳しくなりません。小テストの後、私がどんなに丁寧に解説しても、です。」

「ほう……。」

そこまでやっても上がらないのか。A組のことを深く理解しているはずの火鳥さんでこうなのだ。ならば、私がやったところで変わらないだろう。下手をすれば、A組の反感を買って余計に点数が下がる可能性すらある。もしかしたら本当に今年の私は運がないのかもしれない。

「そこで、今度の期末テストにおきましては、学力向上のためモールス信号の使用許可をお願いし……。」

「待て待て待て!カンニング行為の実施を先生の前で堂々と宣言するな!一瞬納得しかけちゃったじゃないか、全く」

「すみません。では、他の方向性で考えます。」

「モールス信号以外の未知の言語を作りますとかじゃないだろうな?」

「……流石にないですよ、時間もかかりますし。」

嘘つけ。口元は緩ませていても目が全然笑ってないぞ。本気で考えただろ。

「はあ……。とりあえず、この件は私に任せなさい。君はあくまで生徒だ。先生がなんとかしよう。」

「いえ、私は私で努力させていただきます。これもA組のためですから。」

「ああ、そう。じゃあ、お互い頑張っていこうな。」

「はい、よろしくお願いいたします。」

そういうと、火鳥さんは職員室を去っていった。火鳥さんが動いているとなると、これは一大事だ。本格的になんとかしなければならない。



「で、僕が面談になったってわけですか。」

そう不満の声を上げたのは学級委員の時に決め手となった声を上げた一札君だ。体育委員にも指名されている。問題が発生した時には、まずは生徒の声を聞こうという私の中のポリシーに従ってとりあえず生徒指導室に呼び出してみた、というわけだ。

「いやあ、忙しいのに呼び出して申し訳ないね。成績のことをとやかく責め立てるわけじゃないんだ。君は入学当初は小テストとかでもかなり成績が良かったじゃないか。にもかかわらず、今回成績を落としているみたいだから、どうしたんだろうと思ってね。最近何かあったのかい?」

「いや、特にこれといった問題はないです。自分の中の問題なので。」

これだ。最近の子は特にこれだ。他人の大人を心から信用しない。自分の中で片付けられるなら、今のお前みたいな苦しい顔を浮かべたりしないんだってば。

「問題を抱えているんだね。それって教えてもらうことってできないかな?」

「いやあ、わざわざ先生に言うほどのことでも……。」

「おいおい、先生はそんなに頼りないか?小さいことでもいいんだ。笑ったりしないから教えてくれよ。」

ここはフランクに行こう。こうすると徐々に生徒も話しやすくなってくる。

「本当ですか?」

「ああ、笑ったりしない。言ってみて。」

「……愛ちゃんが完璧すぎるんです。」

「……はあ。」

一札君が絞り出した声に、私はため息のような変な声を返すことしかできなかった。

「そっか。火鳥さんが完璧すぎると。」

「異次元なのはわかってるんです。でも、愛ちゃんはどんどん先に行っちゃって……もうついていけません。」

「ついていけない?」

おや、これはまずい予感がする。生徒間の対立というやつかもしれない。これはとことん聞かなければ。

「それは……火鳥さんのことが嫌いということかな?」

「いえ、火鳥さんは優しいし、カリスマなところもあって、むしろ好きです。だから、火鳥さんが悪いわけじゃないんです。」

「なるほどね……?」

よくわからない。学校は社会の縮図とはよく言われる。社会の進歩に伴って学校の問題も怒れば終わるみたいな問題ではなくなってきた。だが、これは何か今まで私が対処してきた問題とは違うような気がする。

「じゃあ、何がいけないの?」

「愛ちゃんの存在がすごすぎて、もう頑張れる気がしないんです。なんというか、もう愛ちゃんに全部任せればいいじゃん、みたいな。」

「存在が良すぎるってなんだよ。優等生なのは認めるけど、だからこそ超えてやろうとかはないの?」

「ないですね。もう本当に異次元すぎて。成績も学年一位どころか全教科満点、体育も運動神経抜群だし、歌も上手いしもうどうしようもないというか。ライバルというかもう神様と戦ってる気分です。」

そこまで言い切ると一札君はハアとため息をついた。額には深いしわが刻み込まれている。もう負けて悔しいとか通り越して絶望しているのだろうか。勝てない状態を事実として受け入れてしまい、もう反抗する気力もない。そんな感じみたいだ。

「なるほどね。それは…大変だったね。」

「僕だけじゃないんです。他の人もそんな感じで……。火鳥さんもなんとかしようと頑張ってくれてるみたいですけど、本人がねぇ……みたいな。なんかもうやる気が起こらないというか。」

「なるほどなあ……。」

どうしたらいいのだろう。次の期末テストでは火鳥さんにわざと間違えてもらおうか?そうしたら、中間の時に火鳥さんが全教科満点だったのは奇跡だったって言い訳ができる。いや、それは違うな。流石にそれはできない。それをすれば先生失格だ。

「わかった。大体どういうことかはわかった。他に何かある?」

「いえ、他にはないです。」

「オッケー。じゃあ、今日の面談はおしまいだ。教えてくれてありがとうね。」

「ありがとうございました。では失礼します。」

一札君はゆっくり礼をすると去っていった。やれやれ。どうしたものかなあ……。そうだ。これならどうかな。



「お疲れ様です、先生。」

私が学校の裏で煙草を吸っていると、聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえてきた。

「ああ、火鳥さんか。もう夜だし、早く家に帰りなさい。」

「こんな遅くにすみません。今晩のうちに先生とお話しすることがありまして。」

「そっか。」

会話が途切れる。ふと上を見上げると満天の夏の星空が見えた。学校の裏は電灯がなく、暗い分よく夜空が見える。まるで文明という砂漠の真ん中にある小さなオアシスだ。そんな雰囲気が好きでよくここに来ては煙草を燻らせる。そんなほのかな幸せを噛み締めている中、火鳥さんが口を開いた。

「先生、今回の期末テストは大成功でしたね。」

「ああ。無事、平均点が学年のどん底から真ん中くらいに戻った。本当によかった。……もっとも、私が担当している数学だけだけど。」

「まさか、あんな方法で成績が上がるなんて思いませんでした。私は百点でしたが、百点を超える人が五人も出てきました。人とは本当に度し難いものなのですね。」

「本当は、こんな方法は取るべきではないとはわかっていたのだがな。仕方なかったってやつさ。」

私は先生としては正しいことをした、と思う。先生とは生徒を教え、導き、希望を抱いたまま社会に送り出す職業だ。社会に絶望させたまま、生徒を社会に送り出してはならない。それは先生としての私の敗北であり、学校の敗北であり、ひいては社会の敗北だ。

だから、私は人としては間違えたことをした。『先生が素晴らしいと思った独創的な解法で解いた答案にはさらに二十点を与える』なんて、平等も公平もあったものじゃない。でも、こうしないとクラスの皆は火鳥さんに絶望したまま、社会に出てまた『火鳥さん』を本来超えなければならない壁に見出してしまう。だから、今のうちに火鳥さんにも勝てる分野があるという希望をどうかクラスの皆に持って欲しかった。

「ところで、先生。私はどうでしたか?」

「どうって……。あの授業前の小テストのことかい?」

「はい。あれは間違ったやり方でしたか?」

「いいや、あの方法は間違っていなかった。ただ、……君がやるべきではなかったのかもしれないな。」

「そうですか。やはり支配は簡単ですが、統率は難しいですね。」

「それが君の本心というやつなのかな?」

「いえ、これは使命です。A組をより良い未来に導く。これがA組における私の使命。そのために私は常に最適な選択をしていたつもりでした。でも、先生の選択の方がより良い未来になりました。今回は私の完敗です。」

そう言い切った火鳥さんはすがすがしい顔をしていた。負けたと認めているのに、どこか満足したような顔。表情は他人に向ける感情表現に過ぎないというのに、その可愛らしい顔は夜空も相まって幻想的に思えた。

「先生。今晩はありがとうございました。私はそろそろ帰りますね。」

「ああ、そうしなさい。私もこれから残業だから、そろそろ学校に戻るよ。」

「大変ですね。お疲れ様です。では、さようなら。」

「さようなら。」

去っていく火鳥さんの後ろ姿がゆっくりと小さくなっていく。私が吸っていた煙草はいつの間にか燃え尽きて、ただの吸い殻と化していた。もう一本吸おうかと思ったがまあいいかと思い直して、吸い殻入れに入れて学校の方に戻ろうとしていた時だった。

「先生!」

火鳥さんが走って戻ってきた。何かあったのだろうか。

「どうしたんだい?」

「これで最後の質問です。もう一つ聞かせてください。」

「うん。いいよ。」

「私は……次のテストでは百二十点を取ることができるようになると思いますか?」

火鳥さんに嘘は通じない。仮に嘘をついても表情とか仕草とかですぐに見抜かれて、必ず本心がバレてしまう。だから、目を閉じて大きく深呼吸をし、再び真っ直ぐ火鳥さんを見て答えた。

「無理だね。火鳥さんにはできないよ。火鳥さんが火鳥さんである限りはね。」

「そうですか。残念です。」

そういうと一瞬目を伏せた。でも、すぐに私と目線を合わせるとニコッと笑った。

「でも、いつか取ってみせますよ。人間についてもっと知ればいつかきっと取れます。なぜなら、私は火鳥愛(ひとりあい)。人間と同じ、一人のAIですから。」

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