処刑台から失礼します。冷徹皇帝の心の声が「愛してる」と叫んでいるのですが、もしかして私、死刑回避できますか?

夜桜 灯

第2話 「首を洗って待っていろ」と言われたのでお風呂に入っていたら、最高級のドレスとケーキが届きました

 ゴトゴトと、車輪が石畳を跳ねる音が響く。

 私は今、皇宮へと向かう皇帝専用の馬車の中にいた。

 

 向かいの席には、皇帝クラウス陛下が座っている。

 彼は腕を組み、足を組み、彫像のように微動だにせず私を凝視していた。

 その深紅の瞳は、獲物を前にした猛獣のように鋭い。車内の空気がピリピリと張り詰め、護衛の騎士でさえ息を潜めているのがわかる。


 ……普通なら、恐怖で失神していただろう。

 もし、私の頭の中に「うるさい本音」が響いていなければ。

 断罪の魔石は、暴走すると触れた者の魔力回路に“聞き取り”の刻印を残すらしい――私の耳奥には、まだその余熱が残っていた。


(ああ、だめだ。直視できない。狭い馬車の中にエリーゼと二人きりとか、心臓が爆発しそうだ。手足が震えていないか? 大丈夫か俺?)


 陛下の表情は「絶対零度」のままだが、内心はパニック状態らしい。


(隣に座りたい。いや、向かい合って顔を見ている今の配置も悪くない。膝が少し触れそうだ。……触れていいか? いやダメだ、俺の甲冑は硬いから彼女の柔らかい肌を傷つけてしまうかもしれない。クッションになりたい)


 私は気まずさに視線を逸らした。

 一国の皇帝が、心の中で「クッションになりたい」と願わないでほしい。威厳が台無しである。


 馬車はやがて城門をくぐり、皇宮の奥深くにある「皇帝の居住区」へと到着した。ここは選ばれた側近と王族しか立ち入れない聖域だ。

 馬車を降りると、陛下は私を見下ろし、低い声で告げた。


「……ついてこい」


 連れて行かれたのは、地下牢――ではなく、皇帝の私室のすぐ隣にある、広大な客室だった。

 部屋の前には、青ざめた顔のメイドたちが一列に並んで震えている。

 陛下は彼女たちを一瞥すると、私に向かって冷酷に言い放った。


「旅の汚れを落とせ。……首を洗って待っていろ。夜には俺が部屋へ行く」


 ヒッ、とメイドたちが息を飲む音が聞こえた。

 「首を洗って待っていろ」。

 それは通常、処刑や過酷な尋問、あるいは処女を散らす前の脅し文句として使われる言葉だ。

 メイドたちの目には同情と恐怖の色が浮かんでいる。「ああ、この可哀想な令嬢は、今夜陛下に……」と思っているに違いない。


 しかし、今の私には「翻訳」が聞こえている。


(最高級の薔薇風呂を用意させた! 美容効果が高い希少な精油も入れたぞ! 旅の疲れを癒してほしい。あと、風呂上がりには帝都で一番人気のパティスリー『銀の匙』の季節限定モンブランを用意してある! 俺が食べたかったけど我慢したんだ! 食べてくれるかな!?)


 ……情報の温度差が激しい。

 私は引きつりそうになる頬を必死に抑え、淑女の礼をとった。


「……謹んで、命に従います」


「フン。……逃げられると思うなよ」


 陛下はマントを翻して去っていった。

 去り際に(今のカーテシー、角度が完璧だった。絵画にして飾りたい)という熱烈な感想を残して。


          ◇


「……こちらへどうぞ、エリーゼ様」


 メイド長らしき年配の女性が、涙目で私を浴室へ案内してくれた。

 浴室は、私の実家の居間よりも広かった。

 白大理石の浴槽には、陛下の心の声通り、視界を埋め尽くすほどの真紅の薔薇が浮かんでいる。湯気からは、うっとりするような甘い香りが漂っていた。


「……陛下は、その、手加減を知らないお方ですから」


 私の背中を流しながら、若いメイドがポツリと言った。


「せめて、お体だけは入念に磨かせていただきますね。少しでも……苦痛が少ないように」


 彼女たちの誤解を解くべきだろうか。

 いや、無理だ。「実は陛下、モンブランを一緒に食べたいだけらしいの」なんて言っても、誰が信じるだろう。

 私はされるがまま、全身を磨き上げられた。高級なオイルを塗られ、髪には香油を馴染ませられる。まるで生贄の儀式のようだが、肌は驚くほどツヤツヤになった。


 風呂から上がると、寝室には数着のドレスが並べられていた。

 どれも目の飛び出るような一級品ばかりだ。最新流行のレースをふんだんに使ったものから、シックな夜会用のものまで。

 

「……陛下からの『命令』です。お好きなものに着替えて待つように、と」


 メイドの声が震えている。彼女たちは「事後に破り捨てられる用のドレス」だと思っているのかもしれない。

 私は、一番動きやすそうで、かつ肌の露出が少ない淡いブルーのドレスを選んだ。


 着替えが終わると、メイドたちは逃げるように下がっていった。

 広い部屋に一人。

 窓の外はすでに夜の帳が下りている。


 コンコン、と扉がノックされた。

 返事をする間もなく、重厚な扉が開かれる。


「……支度は済んだか」


 風呂上がりのクラウス陛下が入ってきた。

 昼間の軍服姿とは違い、ラフな白いシャツに黒いズボンという姿だ。前髪が少し濡れていて、破壊的な色気を放っている。

 彼は無言で部屋に入ると、扉に鍵をかけた。

 カチャリ、という金属音が静寂に響く。


 ゆっくりと、陛下が私に近づいてくる。

 私はごくりと喉を鳴らして後ずさった。わかっていても、この威圧感は怖い。身長差がありすぎて、彼が目の前に立つと壁が迫ってくるようだ。


 彼は私の顎に指をかけ、くい、と強引に上を向かせた。

 至近距離で赤い瞳が私を射抜く。


「……そのドレスを選んだか」


 低い声。

 値踏みするような視線が、私の全身を舐めるように動く。


(可愛い。死ぬ。ブルーを選んでくれた! 俺の瞳の色と対になる色だ! わかってるなぁ! 清楚な雰囲気だけど鎖骨のラインが綺麗すぎて直視できない! いや見るけど! ガン見するけど!!)


 心の声がうるさい。

 私は「ありがとうございます」と言うべきか迷ったが、表向きは囚われの身なので黙っておくことにした。

 陛下は私の顎から手を離すと、部屋の中央にあるテーブルを顎でしゃくった。


「座れ」


 言われるままにソファに座る。

 すると陛下は、どこから取り出したのか、銀色のプレートをテーブルに置いた。

 そこには、宝石のように美しいモンブランと、湯気を立てる紅茶が二つ。


「……食え。毒など入っていない」


 陛下は私の向かいにドカッと座り、腕を組んで私を睨みつけた。

 まるで「吐け、すべてを自白しろ」と言わんばかりの威圧的なポーズだ。


(早く食べてくれ。その店、予約三ヶ月待ちなんだぞ。一番美味しいところをエリーゼに食べてほしくて、公務を早回しして買いに行ったんだ。美味しいって言ってくれるかな。笑顔が見たいな……)


 ……公務の合間に自分で買いに行ったんですか、陛下。

 私は毒見をするような緊張感で、フォークを手に取った。

 栗のクリームを一口すくい、口に運ぶ。


 ――美味しい。

 濃厚な栗の甘みと、洋酒の香りが口いっぱいに広がる。さすが帝都一と噂される名店の味だ。処刑台の緊張と疲れが一気に溶けていくようだ。

 私は思わず、ほう、と息を吐いて頬を緩めてしまった。


「……おいしいです」


 素直な感想が口をついて出た。

 その瞬間。

 ガタッ! と陛下が立ち上がった。


 私はビクッとして身構える。

 陛下は口元を手で覆い、窓の方を向いて震えていた。


「……そうか。なら、全部食え」


 声は不機嫌そうだが、心の中はフェスティバル状態だった。


(天使だ……! 今、微笑んだ! 俺に向かって! いやケーキに向かってだけど、実質俺への微笑みだろこれ! 可愛い、無理、尊い。城の地下にある国庫を開放してやりたい。このまま一生ここで餌付けしていたい!)


 私はモンブランを食べ進めながら、冷静に現状を分析した。

 この皇帝陛下、見た目は魔王だが、中身はただの「私の強火ファン」だ。

 害はない。むしろ、これほど安全な場所はないかもしれない。

 

 ……しかし。

 私はフォークを置き、意を決して陛下を見上げた。

 ただ愛でられて一生を終えるわけにはいかない。私には、確認しなければならないことがある。


「陛下。……あの処刑騒ぎの『真相』について、お話をさせていただけませんか」


 私が切り出すと、陛下の背中がピクリと止まった。

 ゆっくりと振り返った彼の顔からは、先ほどのデレた空気は消え失せ、冷徹な皇帝の仮面が戻っていた。


「……ほう。命拾いした分際で、余計な詮索をするつもりか?」


 部屋の空気が凍る。

 けれど、私はもう知っている。

 その氷の仮面の下で、(やべっ、真面目な話になっちゃった。もっとケーキの話とか天気の話とかしたいのに)と焦っていることを。


 私はまっすぐに彼の目を見て言った。

 

「聖女マリアのことです。陛下はご存知なのですよね? 彼女が『黒幕』と繋がっていることを」


 陛下の目が、わずかに見開かれた。

 

(……なぜだ? なぜエリーゼがそこまで知っている? 俺の心でも読めるのか? ……いや、まさかな。彼女は賢い。聡明な彼女のことだ、独自に調査していたのかもしれない。くそっ、かっこいいな!)


 バレてはいなかった。

 私は心の声というカンニングペーパーをフル活用し、この「冷徹皇帝」との交渉を開始した。



   *  *  *


 本日は三話公開します。 この後すぐ!

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