人鳥温泉街のクリスマス・イブ
高橋志歩
人鳥温泉街のクリスマス・イブ
人鳥温泉街のマスコットペンギンの大福は、鏡を覗き込んだ。
今日は12月24日、人鳥温泉街はクリスマスのイベントで盛り上がる予定だ。人気者の大福も、ふわふわの白い襟がついた赤色のケープを羽織り、緑色のとんがり帽子をかぶってクリスマス仕様の服装だ。大福は賢いペンギンだ。クリスマスの意味は良くわからなくても、人間たちが張り切って楽しそうだから精一杯手伝おうと思っている。
大福の世話係で人鳥土産物屋の店長、海田も笑顔で大福の首元に金色の柔らかいリボンを巻いてくれる。
「よし、似合うぞ大福。さすがギュンターだな、ペンギン衣装もお手の物だ」
少し離れた場所に立ってこちらを見ているギュンターは、無言でうなずいた。数日前から人鳥土産物屋に泊まり込んでいるギュンターは、赤毛の巨体だ。顔にヒゲを生やし手も大きい。海田の知り合いで、年末のイベントで外出の多い海田の代わりに店番を務めている。恐ろしく無口だが海田とは仲が良いようだ。だから大福もこの人間が好きだった。何より、丁寧に大福の身体を計測して素早くこの衣装を作ってくれたのだから。
打ち合わせをしている人間たちの側には行かず、大福はもう一度鏡を見た。
この特別に華やかな自分の姿を、月にある月面都市動物園にいるメスペンギン、
メスペンギンの杏は、大福の恋人だ。いずれお嫁さんとして地球にやって来る予定で、「
杏とはお見合いで知り合い、意気投合もして仲良しだ。けれど地球と月は遠く、ディスプレイに映る映像経由で時々しか会えない。
海田から、人間は今頃の季節に親しい人と贈り物の交換をする。だから杏のための贈り物を大福名義で月まで送ってやろうか、と提案されて大福は喜んで張り切った。大福の好物のマカロンは無理なので、プリザーブドフラワーの小さな花束と大福をモデルにしたペンギンのぬいぐるみを選んで箱に詰め、海田が輸送の手続きをしてくれた。
地球と月は遠いけれど、何日か前に月面動物園の杏の元に届けられたはずだった。
けれど、杏からは何の返事も無い。
月から映像が届けば、海田が大福に見せてくれるはずだ。けれど海田は何も言わない。温泉街の店長として、忙しくクリスマスの準備のために走り回っている。
杏は、大福からの贈り物が気に入らなかったのだろうか。もしかして嫌われたのだろうか。
――鏡の前で少ししょんぼりしている大福を横目で見ながら、海田はギュンターと小声で話し合っていた。
やがてギュンターに店を任せると、荷物を抱えた海田と大福は中央広場に向かった。今日は人鳥温泉街主催で様々なクリスマスイベントが行われて、夕刻にはキャンドル行列もある。大福にとっても忙しい一日になりそうだった。
海田がケーキ屋「スチームライジング」に店長に頼まれていたクリスマス小物を届けるというので、大福もテトテトとついていった。けれど大好きな店長の真由美さんは店先におらず、夫のガストンが海田を出迎えた。ガストンの目の下は黒くなっていて、頬もやつれて表情も虚ろだ。大丈夫かな、と大福はガストンの大きな体を見上げて心配した。海田が特製スノードームを幾つか店内の飾り棚に並べて店を出てから、大福に説明してくれた。
「今の時期はな、ガストンや真由美さんのようなケーキ職人はクリスマスケーキのために一年で一番忙しいんだよ。特に真由美さんのケーキは人気があるからな」
そうなのか、と大福は納得した。クリスマスが終わって暇になれば、また真由美さんのマカロンが食べられるだろう。
中央広場に立てられた大きなクリスマスツリーの飾りが輝き、クリスマスソングが鳴り響く。ペンギンの大福も大人気で、観光客に取り囲まれて一緒に写真に納まった。マスコミの取材ドローンも辺りを飛び回り、長いテーブルに並べられたお菓子や特産品をの物販コーナーも盛況でみんなが楽しそうだった。大福も頑張って愛想を振っていたけれど、人間の男女が仲良く歩いているのを見るたびに、杏を思い出してしまう。
やがて夕刻になり、キャンドル行列が始まった。大福はペンギンなのでロウソクは持たず大きな鈴を鳴らしながら行列の先頭をテトテトと歩く。しばらくして濃紺の空に、無数の輝くドローンによるショーが始まった。人間たちは見上げて歓声を上げているけど、大福は空の端っこに見える細い三日月を眺めていた。いつもより月が遠くにあるような気がして、周囲は賑やかなのにとても寂しかった。
キャンドル行列が終わり、駅前広場で一旦解散してから、海田は大福を連れて何やら大急ぎで人鳥土産物屋に戻った。店は既にシャッターが降りている。横手の出入り口から店内に入ると、海田は大福を置いてさっさと2階に上がってしまった。大福は疲れていたし、お腹も空いていた。なのに海田にほったらかしにされてギュンターもいない。2階から話し声はするけれど。大福は元気のない足取りで、店舗の奥に置かれた大福のための小屋に潜り込んだ。マットの上に座って、壁に海田が貼ってくれた杏の写真を見る。大福はペンギンだから泣かないけれども、うつむいてじっとしていた。
その時、バタバタと足音がして小屋の外から海田の呼び声がした。
「大福、月の杏さんからメッセージが届いたぞ。早く出て来い」
杏から!? 大福は急いで飛び出した。しゃがんだ海田の手のひらに銀色の丸い円形の物が置かれている。海田がすっと撫でると、ペンギンの杏の立体映像が浮かび上がった。
大福は興奮して羽をパタパタさせた。杏が抱えているのは、大福が贈った花束とペンギンのぬいぐるみだった。声は聞こえないけど、杏が嘴を動かして何か話しているのはわかった。海田が言った。
「すまんな。もっと早くに見せてやるつもりだったが、月でトラブルがあってようやく映像だけが届いた。音声も近いうちに受信できるから、そうしたらこの立体映像機で杏さんの声も聞こえるようになるからな」
でも大福にはわかった。声は聞こえなくても、杏が『ありがとう』と言ってくれているのが。
海田が箱の上に置いてくれた立体映像を、大福は何度も何度も再生した。杏が喜んでくれたというのが何よりも嬉しかった。
――――
深夜になって、海田は真っ暗な店の中を歩き、大福の薄暗い小屋の中をそっと覗いた。大福は立体映像機を枕元に置いてぐっすり眠っている。
杏のメッセージを見てから大福ははしゃぎ、特別のご馳走をたくさん食べた。ここ数日、元気が無かったので心配していたが良かった、と海田は安堵した。
海田は月面都市動物園の杏の飼育員と前もって打ち合わせをしていて、大福から杏への贈り物が届いたら立体映像を撮影してもらい、地球の海田まで送信する手筈になっていた。そして立体映像機に組み込んで大福に見せてやる計画だったが、月面都市で大規模な停電事故が起こり、データの送受信が不可能になってしまった。徐々に復旧はしているが、まだ混乱は続いている。それでも何とか映像の受信を完了したとギュンターから連絡が来たので、大急ぎで立体映像機を完成させたのだった。
思いがけず大好きな杏からのクリスマスプレゼントになったな……と思いつつ枕元にマカロンなど大福の好物を詰め込んだ袋を置いてやった。朝起きて驚く大福に、サンタクロースが届けてくれたんだよと話してやろう。海田は微笑んだ。
星が輝く人鳥温泉街の夜空を、巨大な宇宙船が赤や緑のランプを点滅させながらゆっくりと通過していく。それはまるで人鳥温泉街を祝福しているようだった。
人鳥温泉街のクリスマス・イブ 高橋志歩 @sasacat11
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