プレイボールは、かからない
ぴすまる
第一話
剣も魔法もある世界で、
俺のそばには、
一本のバットがあった。
目を開けた瞬間、
胸の奥が、すっと冷えた。
ああ。
これ、たぶん――死んだな。
理由は、感覚だ。
痛みがない。
重さもない。
息はしているはずなのに、
胸は上下している感じがしなかった。
なのに、
意識だけが、やけにはっきりしている。
視界は、白。
壁でも、雲でもない。
説明しづらい白が、
どこまでも続いていた。
「……夢じゃ、ないよな」
声に出すと、
音が返ってくる。
反響。
静まり返った、
ドーム球場みたいな。
そのとき、気づいた。
白一色の世界に、
ベンチがあった。
ぽつんと、
一つだけ。
近づくと、
やけに、リアルだった。
木のささくれ。
ペンキの剥がれ。
背もたれの角度。
高校のとき、
何時間も座っていた。
あの、ベンチだ。
胸の奥が、
ちくりと、した。
「よう」
背後から、
間の抜けた声がした。
振り返ると、
ユニフォーム姿の男が立っていた。
白地に、細いストライプ。
胸の文字は【BASEBALL】。
「誰だ」
「神様。
野球の神様」
「……範囲、せまいな」
男は気にした様子もなく、
ベンチに腰を下ろした。
缶コーヒーを開ける。
その音が、
やけに現実的だった。
「もう一回、やらせてやる」
足元に、
一本のバットが転がった。
拾い上げる。
重い。
でも、嫌じゃない。
「剣も魔法もある世界だ。
でも――使うな」
「じゃあ、何で?」
神様は笑った。
「野球だけ、やれ」
それ以上、
説明はなかった。
白い世界が、
光に包まれる。
「プレイボールだ」
世界は、
思っていたよりも、普通だった。
青い空。
石造りの街。
人の声。
少し拍子抜けするくらい、
日常に近い。
剣と魔法に出会ったのは、
そのすぐあとだ。
火球が飛んできた。
熱。
光。
一直線。
――打てる。
体が、先に動いた。
振る。
芯に当たる。
火球は、
形を変えずに、
そのまま、返った。
爆ぜる音。
静まり返る広場。
勝った。
はずだった。
なのに、
胸の奥は、静かだった。
高揚も、悔しさもない。
勝っているのに、
俺だけ、
試合が始まっていなかった。
夜は、急に来た。
街道沿いに、
焚き火が並ぶ。
煙の匂いが、
低く漂っている。
俺は、
少し離れた石に腰を下ろした。
座るつもりは、なかった。
ただ、
立っている理由が、
なくなった。
バットを、膝に置く。
木の感触は、昼と同じ。
なのに、
重さが、違う。
矢が飛んできたのは、
不意だった。
反応が、遅れる。
振る。
芯を、外す。
手のひらが、痺れた。
嫌な残り方だった。
剣が迫る。
間に合わない。
そう思った瞬間、
体が前に出た。
防げた。
倒せた。
でも、
振らなかった。
理由は、分からない。
朝は、静かだった。
街は動いている。
それでも、
どこか薄い。
門を抜けると、
草原が広がっていた。
魔物と、
冒険者たち。
視線が集まる。
期待。
安堵。
計算。
――ああ。
これも、
そういう目だ。
魔物が突っ込んでくる。
見える。
打てる。
体が動きかけて――
止めた。
振らない。
風だけが、
通り過ぎる。
別の誰かの剣が当たり、
魔物は倒れた。
「……なんで?」
小さな声が聞こえた。
理由は、分からない。
ただ、
振らなかった。
宿に戻る。
部屋は、昨日と同じだ。
バットを、立てかける。
倒れない角度にして、
手を離す。
窓の外で、
子どもが走っている。
棒切れを振り回し、
何度も空振りする。
それでも、
楽しそうだった。
俺は、
バットから手を離す。
外へ出る。
空は、高い。
今日も、
世界は続いている。
俺は歩き出す。
振らないまま。
ただ――
ベンチには、
戻らない。
プレイボールは、かからない ぴすまる @Yuuto0121
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