第7話 覚醒する怒り

ソロで中級ダンジョンに入る――

それがどれほど無謀かは、遠藤自身が一番分かっていた。


「……まあ、今さらやな」


入口の前で、軽く首を回す。

装備は相変わらず最低限。

鉄パイプ一本。


だが、胸の奥は、不思議と静かだった。


――あの時より、落ち着いてる。


企業チームを離脱した直後より、むしろ今の方が。


ダンジョンに足を踏み入れる。


空気が、重い。

足音が、やけに響く。


「……来るな」


気配が、四つ。


ゴブリン上位種。

連携してくるタイプだ。


普通なら、即撤退。


だが。


【感情変換:怒 待機状態】


怒りは、ある。

だが、噴き上がらない。


――制御、できてる。


遠藤は、壁際に寄り、呼吸を整える。


「一体ずつ、や」


突っ込まない。

引きつけて、分断。


営業時代、無理な案件を“小分け”して処理してきた感覚。


一体目が前に出る。


ゴブリンの刃をかわし、

鉄パイプを叩き込む。


鈍い衝撃。


――効いてる。


二体目が来る前に、距離を取る。


焦らない。

怒鳴られない。

詰められない。


――ああ。


遠藤は、はっきりと気づいた。


「……俺、今までずっと、

 怒る余裕もなかったんやな」


次の瞬間。


三体目が、背後から襲いかかる。


反射的に身体が動いた。


「っ!」


刃が、腕をかすめる。

痛み。


だが、意識は飛ばない。


【理不尽耐性:発動条件達成】


【社畜適応:進化】


視界に、文字が走る。


【社畜適応 → 理不尽耐性】


【精神攻撃・恐怖耐性:大幅上昇】

【状態異常耐性:上昇】


「……来たか」


恐怖が、さらに遠のいた。


ゴブリンの威圧。

殺気。

それらが、ただの情報になる。


「やかましいわ」


遠藤は、低く呟く。


鉄パイプを振るう。

一撃、一撃が、無駄なく当たる。


四体目が倒れた時、

膝が、少しだけ震えた。


――終わった。


息を整える。


怖かった。

だが、逃げなかった。


それは、会社ではできなかったことだ。


---


奥へ進む。


空間が、歪んでいる。

精神を削るタイプの魔物――

ウィスパー。


耳元で、声がする。


『無理だ』

『お前には無理』

『また失敗する』


聞き覚えのある言葉。


上司。

取引先。

自分自身。


だが。


【理不尽耐性:有効】


声が、弾かれる。


「……今さらやな」


遠藤は、前に進む。


ウィスパーが、形を崩す。


精神攻撃が、通らない。


――ブラック企業特効。


苦笑が漏れた。


---


ダンジョンから出た時、

遠藤は、しばらく動けなかった。


空を見上げる。


「……怒って、ええんやな」


怒りは、破壊じゃない。

方向を持てば、力になる。


【スキル取得】


【理不尽耐性(パッシブ)】


【自己肯定(微)】


「……微、て」


思わず笑った。


けれど、その小さな肯定が、

胸の奥を、確かに温めていた。


遠藤紘一は、理解した。


この世界で生きるために必要なのは、

強さでも、才能でもない。


――折れずに、怒りを使うこと。


会社に奪われていた感情を、

ようやく、取り戻したのだ。

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