聖女のスカートの中には、祈りよりも重い鉄がある III ~戦場に「卵」は孵らない~

すまげんちゃんねる

第1話 極寒のオムレツ・ミッション

 視界の全てが暴力的なまでの白一色に染まっていた。

 吹き荒れる暴風雪。体感温度は氷点下二〇度を下回っているだろう。

 吐き出す息は瞬時に凍りつき、睫毛には霜が降りる。


(……クソッたれ。なんて寒さだ)


 俺こと元ヴォルガ帝国軍遊撃隊長ヴォルフガング・シュタイン(享年四十八)は、この国で一番尊い『第1聖女』セレスティアの肉体の中で盛大に歯の根をガチガチと鳴らしていた。

 硝子細工のような温室育ちの肢体に、北方の国境地帯『白龍の尾根』の極寒はあまりにも過酷だ。


 ドレスの上に防寒用の厚手マントを羽織ってはいるが、スカートの下は絶対領域ニーソックスだ。寒風が容赦なく素肌を撫で上げ、太腿の感覚を奪っていく。


「……あぁ、寒いです。……温かいものが頂きたいですね」


 俺の脳裏に浮かぶのは湯気の立つ暖炉と、そして皿の上の黄金色だ。

 バターをたっぷりと溶かし、新鮮な卵を三つ使ってふわとろに焼き上げたプレーンオムレツ。

 ナイフを入れると半熟の中身がとろりと溢れ出すやつだ。そこに熱いブラックコーヒーがあれば悪魔に魂を売ってもいい。


「聖女様……。お、お寒くありませんか……?」


 隣を歩く騎士団長リーゼロッテが、ガションガションと重たい足音を立てながら問いかけてくる。

 彼女の顔色は青を通り越して土気色だ。無理もない。全身を鋼鉄の甲冑フルプレートで覆っているのだ。あれは今の気温では着用者を閉じ込める「冷凍庫」に等しい。


「……平気ですよ、リーゼロッテ。貴女こそ鼻水が凍っていますよ」

「も、申し訳ありませっ、へくちっ!」


 くしゃみと共に彼女の兜から氷の粒が飛び散る。

 一方で暗殺メイドのセツナは平然とした顔で、新雪の上を体重がないかのように歩いている。

 そして最後尾の魔女ヴェロニカに至っては自身に熱遮断の結界を張り、一人だけ優雅に煙管をふかしていた。


「あらあら。お寒いのが苦手なら私と一緒に結界に入りますか?お嬢ちゃん《デーヴァチカ》」

「……お断りします。貴女の紫煙の中で窒息するのは御免です」


 俺は憎まれ口を叩きながら、スカートの中の愛杖――可変式パイルバンカー『罪咎ザイ・キュウ』の位置を直す。

 潤滑油オイルが凍りついていないか心配だ。いざという時に杭が出なければただの重たい鉄の棒になってしまう。


 俺たちは猛吹雪を突き抜け、切り立った崖の上にそびえ立つ廃墟へとたどり着いた。

 旧帝国軍の雪上観測所跡。

 情報によればここに大戦末期に遺棄された「重要物資」が眠っているらしい。


          *


 重厚な隔壁をこじ開け、施設の中へと踏み込む。

 凍りついた廊下を抜け、最奥部の保管庫へと辿り着いた俺たちを出迎えたのは予想外の代物だった。


「……なんですか、これは」


 リーゼロッテが松明を掲げ呆然と呟く。

 祭壇のような台座の上に鎮座していたのは宝石でも魔導書でも、新型の銃器でもなかった。


 それは重厚な「卵」だった。


 高さは三、四〇センチほどか。陣中で愛用していた携帯用の酒樽ケグよりもふたまわりは大きい。

 表面は白銀の金属光沢を帯びているが、よく見ると幾何学的な紋様が脈動するように刻まれている。無機物でありながら有機的な温かみを感じさせる奇妙な物体。


「これが今回のターゲット、『試作生体コア』よ」


 ヴェロニカが興味深そうに卵の表面を指でなぞる。


「帝国軍が研究していた人工生命体の素体ね。ドラゴンの因子と機械を融合させて、最強の自律兵器を作ろうとした……って話だけど」

「卵料理にしては殻が硬そうですね」


 俺はコンコンと杖で殻を叩いてみる。硬質で鈍い音が返ってきた。

 表面には古代文字で警告文が刻まれている。

 『注意:衝撃厳禁。加熱により再起動ハッチングする』


「……少々手のかかるお土産ですね。セツナ、回収なさい」

「ん。……待って、ご主人様」


 セツナが鼻をひくつかせ、鋭い視線を天井の通気口へ向けた。

 次の瞬間。

 

 プスン……。


 間の抜けた音がして施設内の薄明かりが消えた。同時にかすかに聞こえていた空調の駆動音も停止する。


「あ」

「……どうやら長年稼働していた魔導ジェネレーターが、今のドアの開閉で寿命を迎えたようですね」


 俺の冷静な指摘とは裏腹に室内の気温が急速に下がり始めた。

 この雪山の極寒を遮断していた結界が消滅したのだ。


「ま、まずいことになりましたわ!」


 ヴェロニカが卵に耳を当て血相を変える。


「この卵、休眠状態だけど『生きている』のよ!急激な温度低下で中の生体組織がショックを起こし始めているわ。このまま冷え続けたら……」

「腐るのですか?」

「いいえ。内部の魔力炉が暴走して、この山ごと吹き飛ぶわよ!!」


「なんですって!?」


 俺たちは一斉にその白銀の物体を見つめた。

 耳を澄ませば硬い殻の奥底から、ドクンドクンと不穏な心音が聞こえ始めている。

 どうやら俺たちはオムレツの材料ではなく、信管の入った爆弾を拾いに来てしまったらしい。


「搬送用の保温コンテナは!?」

「ダメです聖女様!低温で魔道回路が凍結して開きません!」


 リーゼロッテが鉄の箱を蹴飛ばすが蓋は微動だにしない。

 気温は刻一刻と下がっていく。卵の明滅が早くなり赤い光を帯び始めた。臨界点まで時間がない。


「……チッ」


 俺は小さく舌打ちをした。

 この場で俺たちが生き延び、かつ任務を達成する方法は一つしかない。


 俺は分厚いマントの前を開け、ドレスのボタンとコルセットの紐を緩めた。


「せ、聖女様!?何をなさるのですか!?」

「決まっているでしょう」


 俺はドレスのスカートを広げ、その冷たい金属の卵をまたぐようにしてしゃがみ込んだ。

 そしてふわりと布地を被せ、太腿と腹部でその重量級の卵を抱え込む。


「……私が、ジカで温めます」


 本来、聖女の肉体は高密度の魔力が循環しており、人間離れした高体温を維持している魔力炉リアクターだ。先ほど寒さを感じていたのは表面上の知覚に過ぎず、その深部は煮えたぎるほど熱い。

 だからこそ、この柔らかい身体こそが最強の保温材インキュベーターになる。


「っ、ぅぅ……冷た、いです……ッ!」


 俺の腹部と内腿の柔肌に、氷のような金属卵の感触が突き刺さる。

 身震いしながらも俺は卵を胎内回帰させるかのように、ドレスの内側に強く抱きしめた。

 一四五センチの小柄な身体に抱え込まれた、巨大な砲弾のごとき卵。

 傍から見れば、それはまさに「臨月の妊婦」のようなシルエットだった。

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