任期満了
アケビ
任期満了
深夜一時をわずかに回ったころだった。
森本のスマートフォンが、寝台の脇で微かに震えた。
ブルーライトと無機質な振動は、何も見えない室内でひどく大きく感じられた。
画面には「非通知」とだけ表示されている。
こんな時間に、こんな番号から。思い当たる節はない。
拒否しようとして、指が止まった。
理由はない。ただ、胸の奥に、説明のつかない圧力が生じていた。
——出なければならない。
そう思ってしまった。
「……はい」
応答の声は、思ったよりも掠れていた。
数秒の沈黙。
その沈黙が、眠気のせいか通話であることを忘れさせかけたころに
女の声が割り込んだ。
「次は、あなたの番です」
それだけだった。
感情の起伏も、抑揚もない。だが機械音声ほど人工的でもない。
人間の声でありながら、人の不在を感じさせる声音だった。
通話は一方的に切れた。
いたずらだ。
そう結論づけようとした。だが、胸の奥に小さな棘が残る。
抜こうとしても、指が届かない。
時計を見る。午前一時三分。
奇妙なことに、それから一分ごとに、同じ非通知の着信が続いた。
出ても、出なくても、結果は変わらない。
「次は、あなたの番です」
同じ声。同じ間。同じ無感情。
六度目の着信が途切れた直後、インターホンが鳴った。
森本は息を呑んだ。
いつもなら、この時間に訪ねてくる人間はいない。
身体は動かない。モニターを確認する勇気もなかった。
——代わりに、ドアの向こうから声がした。
「森本さん。順番です」
玄関のドアノブが、ゆっくりと回る。
鍵は確かにかけたはずだった。
開かれた扉の向こうに立っているのは、他ならぬ森本自身だ。
同じ顔。
同じ服。
鏡写しのような姿。
目の焦点が合っていない。
生きているというより、使われている——そんな印象を与える目だった。
「……夢でも見ているのか」
問いは二人の間に浮いたまま、答えを待つ前に、もう一人の森本が口を開いた。
「任期を終えた人は、代わりを残します」
声は、自分のものと完全に一致していた。
「そうしないと、番が回らない」
理解できない。
いや、理解したくない。
不意に、女の声が頭に響いた。
「だから、あなたの番です」
そのとき、背後でスマートフォンが鳴った。
画面に浮かぶ「非通知」の文字。
振り返った瞬間、視界が、闇に沈んだ。
翌朝。
近所の住民は、森本がいつも通り家を出て、仕事へ向かう姿を目撃している。
任期満了 アケビ @saku35
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