転生者の野望 黄昏のグランディア

神河かおる

プロローグ

空から光の槍が降った。


朝の陽光は、殺菌処理された空気の中を真っ直ぐに落ち、鋼鉄とガラスでできた垂直のメガロポリスに、幾何学的な影を落としていた。

地上では、自動運転の車両が発する静かな駆動音だけが、人々の足音に混じり合っている。

昨日と同じ軌道をなぞるだけの日常。制御されたシステムの内で約束された、揺るぎない平和。


最初に異常を認識したのは、空を見上げていた子供だったのかもしれない。

昼。

遠近感を狂わせるほどの輝点が現れた。

星ではなかった。

瞬きもせず、ただ絶対的な光度を保ったまま、次の瞬間には天と地を結ぶ一条の光の柱へと変貌していた。


音は、ない。


光の柱が都市の中心を貫いた、刹那。

世界から一切の音が消失した。

全ての音という情報が、網膜を焼き尽くす純白の奔流によって塗りつぶされたのだ。

超高層建築群は、存在を許されなかったかのように、原子の結合を断ち切られ、ガラスも鋼材も全てが一瞬で白熱のガスと化し、光の中に溶けて消えた。

人の形をした影だけが、光が届かなかった壁面に黒々と焼き付けられていく。


次に、地面が絶叫した。

凄まじい運動エネルギーが惑星の地殻を穿ち、都市そのものを震源とする巨大な地鳴りが巻き起こる。それは揺れなどという生やさしいものではなかった。

大地は砕け、裂け、隆起し、地下深くまで張り巡らされた社会基盤網も、全てが等しく液状化し、原型を留めずに捻じ曲げられた。


遅れて、爆風が来た。

光が生まれた中心点から、超高圧の衝撃波が、世界そのものの不連続線となって同心円状に広がる。

光が消し去った廃墟の上を吹き荒れ、残っていたもの全てを分子レベルの塵へと変えながら、かつて郊外と呼ばれた場所までを、容赦なく更地にしていく。

ようやく届いた音は、もはや音ではなく、鼓膜を内側から破壊する純粋な圧力の壁だった。


光と風が止む。

後に残ったのは、耳を塞いでも止まない高音の耳鳴りと、静寂だけだった。

かつて、数千万の営みがあった場所には、超高温で融解した地面がガラス化し、灼熱の蒸気が立ち上る。

巨大なクレーターが口を開けていた。

舞い上がった粉塵は巨大な雲となり、空を赤黒く染め上げ、太陽を覆い隠していく。


現象は局所的なものではなかった。

東京に光の槍が落ちた、全く同じ時刻。

大阪、名古屋、福岡、札幌にも――日本の主要な都市という都市の全てに、天からの一撃が寸分違わず振り下ろされていた。


惨劇の幕開けであった。


だが、地下深くの秘密の研究施設で、一人の男が眠り続けて生き残る。

星間航行用の技術「コールドスリープ」。非合法で極秘の人体実験。

彼が眠り続けている事情を知る者は誰もいない。人類では。





男の意識は、緩やかに浮上した。

重力も、温度も、音も、匂いもない。

ただ純粋な光だけが無限に広がる空間に、「私」という感覚だけが、漂っていた。

永い眠りから覚めたという実感はあったが、それがどれほどの時間だったのか、見当もつかない。手足の感覚さえ曖昧だった。


何もないはずの空間の中心が、ふいに揺らぎ、一つの人影が像を結んだ。

白銀の長髪は、風もないのに穏やかな軌跡を描いて揺れている。

纏う衣は、絹とも光ともつかない不可思議な質感で、彼女自身の内から発光しているかのようだった。

人の形。

女の姿。

だが、完璧すぎる造形は、生命が本来持つはずの僅かな揺らぎや非対称性を、一切許していなかった。

やがて、彫像めいた美貌が、男に向けられる。


「はじめまして。私はカノン。あなたの世界の定義における、神、に該当する存在です」


鈴を振るような美しい音色。だが、響きには血の通った温かみが欠けていた。

「……神?」

掠れた声が出た。自分の声帯が、ひどく錆びついているように感じられた。

「ええ。これから、あなたを新しい世界へ導きます」


神と自称する者の言葉に、カオルは感情の動きを自覚できなかった。

驚きも、悲しみもなかった。

ただ、脳裏に霧が掛かっているようで、直前に自分が何をしていたか思い出せなかった。

「何があったんですか?」

「あなたの知っている世界は滅びました。あなたが知る人は誰もいません。あなたを知る人も誰もいません」

まるで他人事のように、彼の意識の表面を滑っていく。

前世での人生の断片が、不意に思い出せた。

超高層建築の影の下、ただ決められた軌道を往復するだけだった毎日。格差は固定され、努力が報われることなど決してない社会。喜びも、怒りも、希望さえも、いつしか摩耗していた。そんな人生に、そんな世界に、未練など、あるはずもなかった。


「それで……私はどんな世界へ行くのですか? 地獄ですか? 天国ですか?」

カオルが尋ねると、女神カノンは、予期していたようにゆっくりと首を横に振った。

「あなたの魂は、とても特殊な状態にあります。どのような世界へ行くことも可能です。ただ、決めるのは私ではありません。あなたの行き先は、あなたが選べます」

「選ぶ?」

「一つは、このまま全てを終え、無に還ること。もう一つは……あなたの希望する世界で、新しい人生を始めること。異世界を用意できます」


異世界転生。

かつて、色褪せた日常の中で、娯楽として消費していた物語の言葉。今、現実として目の前に突きつけられている。

「……もし、転生するとしたら、何か良いことはあるのですか?」

カオルの問いに、女神カノンは、微笑みで返す。

「ええ。一つ、新しい若く健康な肉体。一つ、あなたの願いを、一つだけ叶えます。そして、私から贈り物も用意しましょう」


どんな願いでも。

聞いた瞬間、摩耗したはずの魂の奥底で、一つの強烈な渇望が、熱を帯びて蘇った。

「新しい人生を希望します」

生涯をかけて求め、決して得られなかったもの。


「……そして、私の願いは」

カオルは、ゆっくりと、しかし心の芯から絞り出すように告げた。

「……『全てを知り、全て選べること』を望みます」


知る権利。

選ぶ権利。

誰かが加工した情報の残骸から、誰かが用意した狭い選択肢しかなかった。もし、全ての情報を自分の目で確かめ、無限の岐路の中から、自分の歩む道を意志のままに選べたなら。これほど楽しみな人生はない。


「……受諾しました。その願い、実現します」

女神カノンの声が、光の空間に響き渡る。

「それでは、新たな世界へ」

カオルの意識は、どこまでも続く、柔らかな光の中に溶けていった。


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