それは卵色か、タマコか

@akihazuki71

第1話

 新婚夫婦の家に暮らすコユキは、雪のように真っ白な猫だった。ただ尻尾の先だけが黒かった。しかし、コユキ自身はそれをワンポイントだと言って、とても気に入っているようだった。

 コユキがこの家にやって来たのは去年の冬なので、そろそろ一年になる。コユキには仲のいい友達がいた。裏の家の柴犬・サクラと、その隣の家の猫・コテツだった。

 コユキにとってサクラは、姉のように優しく頼りになる存在だった。まだ子猫だった頃に初めて庭へ出た時、声を掛けて来たのがサクラだった。最初は大きな体に驚いてしまったが、優しい声と落ち着いた口調のおかげで打ち解けていった。

 そして、コユキにとってサクラと違い、いつも威張っているのがコテツだった。初めて会った時、お互いに売り言葉に買い言葉で口げんかのようになった。それ以来、顔を合わせるとそんな感じだった。

 最近、コユキはそのコテツに関して、妙な話を耳にした。

 それは、コユキが庭でくつろいでいた時だった。今年は冬だというのに暖かい日が続き、その日もそんな昼下がりのひと時だった。サクラの家との間に通る排水溝の上で、2匹の猫が話しているのが聞こえてきた。

「おい、聞いたか?コテツのこと。」

「うん、聞いたよ。犬のオシリを追いかけてるって。」

「えっ?何だよそれ、オレが聞いたのは犬にケンカを売るって話だぞ。」

「いや、どこかの家の犬に惚れたって聞いたけど。」

 コユキは起き上がると、声のする方をそっと覗いた。庭の隅に置かれた小さな倉庫の屋根に寝そべっていたので、2匹の猫はまだ気が付いていないようだった。

「何言ってんだよ!そうじゃなくて、もう一本向こうの通りに大きな犬がいるだろ。このところ毎日、コテツが物陰からそっと見てたって聞いたんだ。」

 黒っぽいトラ縞の猫がそう言うと、一回り小さいハチワレの猫が、

「あぁ、あの整骨院のフサフサの犬のこと?」

「そうだよ、その卵色の長い毛の大きな犬、そいつにケンカを売るらしいぞ。」

「えーっ、そうなの?たまごと言えば、通りの角にあるお弁当屋さん。うちのおばあさん、あそこの玉子焼きが好きでよく買って来てボクにもくれるんだけど、おいしいんだよね・・・」とハチワレの猫が舌なめずりをすると、

「それが、どうした。自慢のつもりか?」とトラ縞の猫が声を荒げると、

「あっ、ごめんごめん、そうじゃないんだ。その店に小さな白い犬がいるだろ?」

「おお、いるな。看板犬ってやつだろ?たしか、タマコって・・・」

「うん、そう。そのタマコが散歩している時、コテツがつけ回してたって。」

「なるほど、文字通り、シリを追いかけてたってわけか。」

「うん、そうみたい。」

 その後もしばらく2匹の話は続いて、最後に、

「コテツの奴め、去年の冬みたいな騒ぎにならなきゃいいけどな。」トラ縞の猫がそう言ってため息をつくと、ハチワレの猫が、

「うん、そうだね・・・」と首をすぼめた。

 去年の冬、コテツは近所に住む女の子のネックレスを見つけ、お手柄猫として有名になった。その話が色々な所に広まり、コテツに会いに多くの人がやって来た。そのうち、コテツを探す人が他の猫も追いかけるようになり、たいへんだったのである。

 2匹の猫は別れを告げると、別々の方角に歩き出した。


 コユキは倉庫の屋根から飛び降りると、サクラの元へ向かった。そして、たった今聞いたばかりの話をすると、

「・・・そう、コテツにそんなうわさが・・・」

 サクラは小さなため息をつくと、黙り込んでしまった。コユキは心配そうにサクラを見つめた。すると、それに気付いたサクラがハッとして、

「ごめんなさい。心配させちゃったわね、コユキ。」

「そんな事いいから。それよりコテツよ!最近、ぜんぜん見かけないんだけど、何してるのよ!」

 今年の秋、サクラが病気で入院した。無事に退院したが、外に出られないサクラのために、コテツとコユキは午後の早い時間にやって来るのが日課となった。

 ところが、ここ何日かはコユキが帰った後にコテツがやって来るようになり、顔を合わせていなかったのである。

「このところ、ご近所パトロールが忙しいみたいなの。それでも、毎日会いに来てくれるのよ。」とサクラが微笑むと、

「それにしたって、近所の猫たちにあんなうわさを立てられて・・・一体、何をやってるのかしら!」とコユキはツンと顔を横に向けた。

 そんなコユキを見てサクラは、コテツの事を話そうかどうか迷っていた。しかし、また言い争いになるかもしれないと思い、口をつぐんだ。

「コテツはそんな事、知りもしないでしょうね。」

 サクラはそっぽを向いたままのコユキに、出来るだけいつも通りに言った。

「本当にそう、いっつも周りが見えてないんだから!」

 コユキはそう言った後も、さんざんコテツの悪口を並べ立てたつもりだっが、最後にサクラが、

「ありがとう、コユキ。そんなにコテツの事を心配してくれて。」

「何を言ってるのよ、コテツの心配なんかしてないわよ・・・」とまた顔を横に向けたので、窓の外が目に入り、

「サクラ、アタシ帰らないと。そろそろママが帰って来る時間だから。」

 コユキの飼い主は二人とも働いていたので、昼間は家に誰もいなかった。そのためコユキは、いつも先に帰って来るママの帰宅時間に合わせて戻るようにしていた。

 そう言って出てきたコユキだったが、家の庭に入ると振り返った。今日は、サクラの様子がいつもと少し違うのに気付いたからだった。

 きっと、サクラはコテツの事で何かを知っている。アタシの知らない何かを知っているはずだ。だって、コテツがサクラに隠し事をするはずはないから、とコユキは思った。コユキはもう一度、振り返ってから家に入った。


 サクラはコユキが帰ると、「どうしたらいいかしら。」と考えた。そろそろ、コテツがやって来る時間だったからである。

 それは、何日か前の事だった。コテツがサクラの家にやって来た時、この近くで野生のキツネが目撃されたニュースが流れた。キツネを知らなかったコテツはサクラの説明で興味を持ち、ご近所パトロールに時間をかけるようになった。

 どうやら、キツネを見つけるつもりらしく、毎日のように報告にやって来ていた。

 ところがその日は、そんなうわさ話など吹っ飛んでしまうような事を、コテツから聞かされた。

「今、うちの縁の下にキツネがいるんだ。」

 開口一番、コテツがそう言うと、サクラの頭の中は真っ白になった。

「どうして?何がどうすると、そうなるの・・・」とサクラが動揺している事にも気付かず、コテツはキツネの話を延々と続けた。それも、何ともうれしそうに、自慢げに話すのであった。

 それから毎日、サクラはコテツからキツネの話を聞かされた。その度にサクラは気を付けるように注意し、すぐにも追い出すように言ったが、効き目はなかった。

 そして、またコユキが庭の倉庫の屋根の上でくつろいでいると、あの2匹の猫が話しているのが聞こえてきた。


「よお、久し振り。」と黒っぽいトラ縞の猫が言うと、

「うん、久し振りだね。」と一回り小さいハチワレの猫が言った。

「またコテツのこと聞いたんだけど、知ってるか?」

「えっ?知らない。何のこと?」

 ハチワレの猫がキョトンとした顔をすると、トラ縞の猫はそうかとばかりに、

「なんだ知らねえのか。じゃあ、教えてやるよ。コテツの奴、実は本命が他にいたんだよ。」

「えっ?じゃあ、お弁当屋さんのタマコでも、整骨院のフサフサでもなくて。」

「そうだ、弁当屋のタマコでも整骨院の卵色でもない!」

「じゃあ、誰なの?」とハチワレの猫が言うと、

「それがさ、どこの誰かはわからねえけど。あいつ、自分との縁の下に住まわせてんだってさ。」とトラ縞の猫が笑いを浮かべた。

「えぇーっ!そうなの。でも、誰だかわからないって。」

「それが、この辺じゃ見かけない犬なんだよな・・・」

「キミが知らないなんてめずらしいね。」

「そうなんだよな・・・」

 トラ縞の猫がそう言って首をかしげると、ハチワレの猫が急に身を乗り出すように聞いてきた。

「それで、それで、どんな感じの犬なの?」

「ん?あぁ、それがさ。何かこう、ひょろっと細長くて痩せ細ってて、妙に耳と尻尾だけがでかい、薄汚れた犬なんだよな・・・」

「フーン。サクラに似てるってわけじゃないんだね・・・」

 ハチワレの猫がそう言うと、トラ縞の猫は生返事をしたので、

「ん、どうしたの?」と聞いた。

「・・・オレもそう思うんだよな、コテツはあの親分が認めた猫だからさ。」

 そう言ってため息をついたトラ縞の猫を見て、ハチワレの猫が心配そうに首をかしげて顔を覗き込んだ。すると、

「そのコテツが、あんなどこの馬の骨ともわからない薄汚い犬を・・・、オレは死んだ親分に顔向けできないぜ。」と言って顔を上げた。

 かつて、この辺り一帯を縄張りにする猫の大親分がいた。めずらしいオスの三毛猫で野良猫を始め、飼い猫や飼い犬、さらに住民からも慕われていた。

 そんなある日ふらりと現れたのが、後にコテツとなる野良猫だった。三毛猫の親分とは縄張りをめぐって手に汗握る戦いを・・・とはならなかったが、コテツは親分に気に入られ縄張りの一部を任されたのである。

「うん、そうだよね・・・でもさ、ただ汚れているだけで、本当は飼い犬かもしれないよ。ほら、よくチラシが貼ってあるの見るじゃない、迷い犬とかの。」

 ハチワレの猫がフォローするように言うと、トラ縞の猫は少し笑みを浮かべ、

「ありがとよ、ハチワレの・・・」そう言うと急に険しい顔になった。

「けど、それだけじゃねえんだ!オレが許せないのは、その犬がコテツの留守中にこの辺りを荒らし回ってるからなんだよっ!」

 トラ縞の猫の迫力に気圧されて、ハチワレの猫は一瞬たじろいだが、

「えっ?何だって・・・」

「あの犬、この辺りの家のゴミ箱や庭を荒らし回ってるんだよ!」

「ちょっ、ちょっと待ってよ。それじゃあ、昨日ボクが角の家のおばさんによくわかんないことで怒られたのって、もしかして・・・」

「外に置いてあるゴミ箱を倒したってか?」

「そうだよ、ボクはただ通り掛かっただけなのに。」

「許せないだろ?」

「許せないよ。」

 コユキはすぐにでもサクラの所へ飛んでいきたかったが、その日はママがいつもより早く帰ってきた。コユキを呼ぶ声を振り切ってまでは出来なかった。

 そしてその夜、事件は起きた。


 それから二日後。

 昨日は飼い主の夫婦が一日中家にいて、コユキは出かけられなかった。そのため、今日は二人が仕事に行くと、すぐに専用の小さなドアから庭に飛び出した。

 サクラの家に向かって駆け出すと、あの2匹の猫がまた同じ場所にいた。コユキは倉庫の陰に隠れると、2匹の会話に耳をすました。

「たいへんな事になったな。」最初に黒っぽいトラ縞の猫の声が聞こえ、

「うん、びっくりしたよ・・・」とハチワレの猫の声がそう返した。2匹とも何だか声が沈んでいるようだった。

「まさか犬じゃなくて、キツネだったとはな・・・」

「ボク、キツネなんて見た事も、聞いた事もないよ。」

「オレだってそうさ、てっきり犬だと思ってたからな。」

「そうだよね・・・あっ、それよりコテツはどうしてるの?」

「昨日も今日も見てないな。まあ、あんな事になっちまったんだからな。ガックリきてるんじゃないか。」

「そうだよね・・・でもさ、そのキツネもひどいよね!せっかくコテツが親切にしてあげたのに。」

 いつもはおっとりしているハチワレの猫が珍しく声を荒げたので、トラ縞の猫は何だかおかしくて少しだけ口元を緩めた。

「たしかにな。せっかく手に入れたあったかい寝床を、ガラスを割って飛び出していっちまうなんてな。」

「本当だよ。コテツだけじゃなくて、コテツのおじいさんとおばあさんだってかわいそうだよ。」

「本当にな。こんな寒い時に窓ガラスを割られるなんてな。とんだ性悪ギツネだ。」

 コユキは2匹の話をそこまで聞いて、自分の耳を疑ってしまった。自分の知らない間にそんな事になっていたなんて。きっとサクラはものすごく心配してるだろうな。さすがのコテツもきっと落ち込んでいるに違いない。

 「早くサクラの所へ行かなくちゃ。」コユキは、早く2匹の話が終わらないかなと思っていると、

「それにしても、すごい結末になったな。」とトラ縞の猫が笑っていたので、

「なんで笑ってるの?ひどいな・・・」とハチワレの猫が言うと、

「いや、別にコテツの事を笑ってるわけじゃないぜ。昔、親分がな・・・」

「三毛猫の親分が?」

「初めてコテツに会った日にな、面白い奴がやって来たな。って言ってたんだ。」

「そうなの?」

「あぁ。あの時、コテツはカラスに話し掛けていてな。あいつの家の庭に柿の木があるだろ?カラスはその木に残ってた実をついばんでいたんだ。」

「コテツ、何て言ってたの?」

「それがな、それはうまいのか、一つくれないか?って言ってな。そしたらカラスが柿の実をコテツめがけて落としたんだ。」

「えっ、コテツに当たったの?」

「いや、柿の実はコテツのすぐ横に落ちた。そしたらあいつ、カラスに向かってありがとうって言ったんだ。そしたら親分が「あいつは何とかの卵かもしれない。」って言ったんだ。」

「へぇ、何の事だろう?」

「オレにもわからないが、親分はそれ以来コテツが気に入ったみたいなんだ。」

「あっ!もしかしたら、親分の卵ってことじゃない?」ハチワレの猫が自信ありげにそう言うと、

「そんなわけあるか!あんな猫らしくない猫が!」



 

 

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