03 辺境の町

 魔法のホウキが遥かなる天空に達すると、リューリは「きゃー!」と悲鳴をあげながらステラの身に抱きついた。


「大丈夫だよ! わたしの体に触れてるだけで、絶対に落ちたりしないから! ……さてさて、これからどうしよっか?」


「は、はい……あなたは、どうするおつもりなんですか……?」


「あはは! 恥ずかしながら、完全無欠のノープランなんだよねー! 何せわたしは、ついさっきこの世界で目覚めたばかりだからさ!」


 そう言って、ステラはリューリににっこり笑いかけた。


「ただ、わたしは正義と秩序を守る魔法少女だからね! まずは、あなたを助けてあげなきゃ! あなたはこの先、どうしたいの?」


「ど、どうしたい……と言われても……もうこの帝国に、わたしの居場所なんてないのでしょうし……」


「それじゃあ、帝国ってやつの外を目指してみる? そうしたら、あなたの居場所もあるかもよ!」


「い、いえ。帝国の外なんて想像もつきませんし、たぶん言葉も通じないと思います」


「ふーん? でも、わたしはこうやって魔法の力で、誰とでもおしゃべりできるからねー! よければ、わたしが通訳してあげるよ!」


 あくまで屈託のないステラに、リューリは目をぱちくりとさせた。


「あの……どうして見ず知らずのわたしなんかのために、そこまで親切にしてくださるのですか?」


「わたしはね、困っている人を助けるために魔法少女になったんだよ! だから今は、あなたを助けることが最優先事項なの!」


 スカイブルーの瞳に限りなく明るい輝きをたたえながら、ステラはそう言った。


「だから、あなたの願いを聞かせてほしいな! あなたが望んでいることは、なに?」


「わたしは……」と口ごもってから、リューリは必死の面持ちでステラの身に取りすがった。


「わ、わたしは父さんに、おわかれの言葉を伝えたいです。けっきょく最後は顔をあわせることもできないまま、町を追放されてしまったので……ひと言だけでも、声をかけておきたいんです」


「りょーかい! ではでは、いざしゅっぱーつ!」


 ステラの号令に合わせて、魔法のホウキが加速する。

 それからステラは、すぐさまホウキを急停止させてリューリを振り返った。


「ところで、あなたのおうちはどこにあるんだろう?」


 リューリは泣き笑いの表情で、ステラのとぼけた顔を見つめ返した。


「たぶん、あっちです。馬車で半日ぐらいの距離です」


「りょーかい! ではでは、今度こそしゅっぱーつ!」


「あ、あ、たぶん、今のところです。通りすぎちゃいました」


「ありゃりゃ。けっこー近くにあったんだねー」


 ステラは魔法のホウキをUターンさせてから、足もとを見下ろした。

 ごつごつとした岩山の山麓にへばりつくようにして、小さな町がちょこんと築かれている。しかしそれはステラたちが上空数百メートルの位置に浮遊しているためであり、実際は数千名の人間が暮らせる規模であった。


 大きな川を抱く格好で町が形成されており、畑を含むすべての領地が石塀で囲まれている。その真ん中には、小ぶりの砦も屹立していた。


「あ、あれがザドナの町です。……でも、どうしましょう? このまま降りたら大騒ぎになってしまいますし……門番がいるので、塀の外から入ることもできません」


「ふーん! ずいぶん厳重なんだね!」


「魔物や亜人族から町を守るために、いつでも見張りを立てているんです。兵士さんも、たくさんいますし……」


「なるほどなるほど! そこはステラにおまかせあれ! ……バルドル・ペルデーンドシ!」


 か細いチェロの旋律とともに、魔法のホウキに乗っている全員の姿が球状のうすぼんやりとした輝きに包み込まれた。


「な、なんですか、これは?」


「これはねー、光の魔法だよ! よくわかんないけど、これで外からは見えなくなるの!」


「いわゆる空間歪曲型の光学迷彩というやつの応用だね。……なんて言っても、理解できないかな? どうもこの世界は、ボクたちの世界とは異なる方向性で文明が進んでいるようだからね」


 ジェジェがひさびさに発言すると、リューリはびくりと身を震わせた。


「あ、あの……そちらは、どなたなのですか? わたしには、魔物か精霊だとしか思えないのですけれど……」


「ジェジェはね、わたしの世界を守るために宇宙からやってきたんだよ! それで、わたしを魔法少女に選んでくれたの!」


「ボクは選択肢を与えただけで、選んだのはキミだよ。キミは立派に任務を果たしてくれたから、ボクも大満足さ」


 そんな風に言ってから、ジェジェはふっと溜息をついた。


「でも、あと数年ぐらいは問題なく活動できると思ってたんだけどなぁ。きっと管理局のお偉方も、キミという逸材の消失に落胆していると思うよ」


「あはは! わたしはどんな世界でも、魔法少女として頑張るだけだよ!」


 そう言って、ステラはくりんとリューリのほうを振り返った。


「とにかく! ジェジェを怖がる必要はないよー! そもそもジェジェは、ヒトやモノを傷つけたりできないみたいだからねー!」


「調停官に与えられているのは、執行官たる魔法少女をサポートする権限だけだからね。まあ、こんな異世界じゃ権限もへったくれもないけどさ」


 リューリはさっぱり理解が及ばない様子で、目を白黒させている。

 しかしジェジェも外見は可愛らしいぬいぐるみの姿であるため、さしたる恐怖は覚えていない様子であった。


「それじゃー、あなたのおうちにレッツゴーだね! 道案内、よろしくー!」


 眼下の町を目指して、魔法のホウキが滑空した。

 石造りの街並みが、あっという間に目の前に迫る。そうして魔法のホウキが地上五メートルの位置に到達しても、目くらましの魔法の恩恵で気づく人間はいなかった。


「おおー、近くで見ると、けっこう立派な町だねー」


 道行く人々に気取られないように声をひそめながら、ステラはそのように評した。

 その場には、淡い灰色をした四角い家屋がずらりと建ち並んでいる。いささかならず古びているものの、実に整然とした様相である。また、足もとにもきっちりと石畳が敷き詰められており、人々はその上で荷車や台車を引いていた。


「でも、あまり魔法文明の恩恵は感じられないね。生活水準も、ずいぶん低いようだしさ」


 と、ジェジェは可愛らしい声音で容赦のない寸評をする。

 確かに街路を行き交う人々は、いずれも見すぼらしい風体をしていた。中には半裸の姿で砂塵まみれの男たちが大手を振って闊歩している姿もあり、整然とした街並みには如何にも不似合いであったが、それを気にする人間もいないようであった。


「ザ、ザドナは辺境の町ですし、魔法を使えるのは公都から派遣された魔法士様だけですので……」


 リューリがおずおずと声をあげると、ステラは「こーと?」と小首を傾げた。


「こ、公都というのは、公国の都のことです。このザドナの町は、公国タルトの領土なんです」


「ふむ。公国と帝国というのは、どういう関係にあるのかな?」


 ジェジェが追及すると、リューリは「え、ええと」と懸命に頭を悩ませた。


「わ、わたしは無学な商人の娘ですので、くわしい話はよくわからないのですが……この世を支配しているのは聖皇国ドラグリアで、五大公国は属国です。何百年もの大昔にドラグリアが五つの国を支配して、現在の帝国を築きあげたのだと聞いています」


「なるほど。ではその公国の辺境領地ということは、帝国の末端区域であるというわけだね」


「は、はい。このザドナはあちらの山で銀を採掘するために、二百年ほど前に築かれたらしいです」


 ジェジェは「なるほど」と繰り返してから、あらためて眼下の街路を見回した。

 無法者のような風体をした男たちに、痩せた幼子を抱きかかえた女たち、道端に敷物を敷いて得体の知れない商品を並べている老婆、畑の収穫を荷車で運ぶ老人――活気のほどはそれなりであったものの、それもスラム街を連想させる粗野な賑わいであった。


「……やっぱり、立派な街並みと住人の生活水準がちぐはぐであるように感じられるね」


「はあ……そうなのでしょうか? わたしはザドナから出たことがないので、よくわからないのですが……」


「銀の産地ならもっと潤いそうなものなのに、そんな気配は微塵も感じられない。もしかしたら、採掘された銀はすべて公都に持ち去られてしまうのかな?」


「は、はい。銀というのは、洗礼の儀式に欠かせないそうで……こっそり銀を盗もうとした人間は、見せしめで処刑されてしまいます」


 そのときの光景を思い出した様子で、リューリはぶるっと身を震わせた。


「そうか。それなら、前言撤回しないとね。さっきは魔法文明の恩恵が感じられないと言ってしまったけれど……きっとこの町は、魔法の力で築かれたんだろう」


「んー? どーゆーこと?」


 退屈そうにしていたステラが問いかけると、ジェジェはいつもの調子で肩をすくめた。


「あくまで推測だけどね。あの山で銀が採れると判明した時点で、まずは魔法の力で町を造り、それから労働力としての住民をかき集めたんだろう。それで採掘された銀はすべて公都に運ばれてしまうから、この町はどれだけの歳月を重ねても発展や繁栄とは無縁であるということさ」


「えー? それじゃあここの人たちは、働くロボットみたいじゃん! なんか、やな感じー!」


「でも、外の世界を知らなければ、不満や疑念を抱くことにもならないみたいだね」


 ジェジェに視線を向けられたリューリは、「はあ……」と眉を下げた。


「む、難しいことは、よくわかりません。平和に暮らしていけるのなら、何も不満はなかったのですが……」


「うんうん。町を追放されちゃったら、それどころじゃないもんねー」


 ステラが優しく頭を撫でると、リューリは顔を赤くした。


「それじゃーそろそろ、リューリのおうちに行こっか!」


「は、はい。わたしの家は、向こうの通りです」


 リューリの案内に従って、ステラは魔法のホウキを走らせた。

 やがて到着したのは、街はずれにぽつんとたたずむ粗末な家屋である。他なる家屋と同様の四角い石造りであるが、あちこちに粗雑な補修のあとが見受けられた。


「こ、ここです。たぶん父さんは、働きに出てると思いますけど……」


「じゃ、中で待たせてもらおっか! お父さんの他に家族はいないの?」


「はい。母も兄も、流行り病で他界してしまったので……今は、二人きりなんです」


「そっかそっか! それなら、おわかれの挨拶ぐらいしておきたいよねー!」


 家屋の前に降り立ったステラは、魔法のステッキでこつんと玄関の扉を叩く。とたんに、ガチャリと開錠の音が響いた。


「す、すごいですね。今のも、魔法の力なんですか?」


「うん! もうちょっと複雑なカギだったら、扉を壊すしかなかったけどねー!」


 そんな言葉を交わしながら、ステラの一行は屋内に踏み入った。

 家の内部は雑然としており、まったく手入れが行き届いていない。粗末な木造りのテーブルの上には、空になった酒瓶と飲みかけの酒杯が放置されていた。


「うーん。やっぱりあなたのお父さんも、心を痛めてるんだろうねー」


 そんな風に言ってから、ステラはぽんと手を叩いた。


「そうだ! いっそのこと、お父さんも一緒に逃げちゃったら?」


「ええ? ど、どうしてそんなことを?」


「だって、家族が一緒にいられたら、それが一番でしょ?」


 リューリは一瞬だけ迷いの表情を見せたが、すぐにぷるぷると首を横に振った。


「や、やっぱりダメです。わたしの魔法が、父さんを傷つけてしまうかもしれませんし……」


「そのときは、わたしがまたお水をばしゃーんってかけてあげるよ!」


 リューリは困ったように笑いながら、目もとににじんだものをぬぐった。


「ステラさんは……本当にお優しいんですね」


「あはは! 優しいんじゃなくて、人を助けるのが使命なんだよ!」


「ありがとうございます。それじゃあ、もしも父さんが望んだら……お願いできますか?」


「りょうかーい! さー、お父さんが帰ってくるのが楽しみだねー!」


 ステラは笑顔で、魔法のステッキをひと振りした。

 すると、うすぼんやりした光の球体が小さくなって、ステラとジェジェだけを包み込む。ステラたちの姿を見失ったリューリが仰天した様子で周囲を見回すと、ステラは「大丈夫だよー!」と声をあげた。


「あなたの姿をお父さんに見えるようにしただけだから! わたしたちは、外に出てよっか?」


「いえ。どうか最後まで見届けてください」


 と、リューリがあどけなく微笑んだとき――玄関の扉が、乱暴に開かれた。

 リューリがハッとしながら振り返ると、顔色の悪い男性が屋内に踏み入ってくる。恰幅はいいのに頬がこけており、目の下には隈が浮かんでいた。


「と、父さん……」


 リューリが震える声で呼びかけると、うつむいていた男性がびくりと顔を上げる。

 その目が驚愕に見開かれて、粗末な装束に包まれた体がわなわなと震え始めた。


「リュ、リューリ……どうして、ここに……」


「驚かせちゃって、ごめんなさい。どうしても父さんの顔が見たくて、戻ってきちゃったの。でも――」


「お、俺に復讐するつもりか!? くそっ! やれるもんなら、やってみろ!」


 リューリの父親は憤怒の形相になって、卓上の酒瓶をつかみ取った。

 リューリは、困惑の表情で立ちすくむ。


「復讐って……どうして、そんな……」


「黙れ、魔女め! 貴様なんかに、俺の人生を奪われてなるものか!」


 リューリは慄然と身を震わせて、背後の壁にもたれかかった。


「父さん……父さんが、わたしのことを密告したの……?」


「当たり前だ! 魔女をかくまったら、俺だって死罪なんだからな! この忌々しい魔女め……貴様のせいで、俺の人生は無茶苦茶だ!」


 父親は、リューリに向かって酒瓶を投げつけた。

 ステラは横合いからステッキを振るって、それを粉砕する。そして、光の魔法を解除して姿を現した。


「な、なんだ、貴様は! そうか、貴様も魔女だな! 貴様がそいつを手引きして――」


「わたしは魔女じゃなくて、魔法少女のステラだよ。リューリはあなたにおわかれの挨拶をするために戻ってきただけなのに……あなたにそんな価値はなかったみたいだね」


 ステラは路傍の石でも見るような目で、父親を見返す。

 父親はわなわなと震えながら、後ずさった。


「それじゃあ、もう行こっか。こんな場所にいたって、気分が悪くなるだけだしねー」


 ステラはおひさまのような笑顔になって、かたわらのリューリを振り返る。

 しかし、壁にもたれたリューリは深くうつむいたまま、何も答えようとしなかった。


「……リューリ、だいじょーぶ? リューリの人生は、これからなんだから! リューリが幸せに生きていけるように、わたしもめいっぱい協力するよー!」


 ステラがそのように言いつのると、リューリの小さな唇が瀕死のナメクジのようにのろのろと動いた。


「わたし……」


「うん? なになに?」


「……わたしなんて、このよにうまれなければよかった……」


 機械仕掛けの人形のように、リューリは感情の欠落した声をこぼした。

 その顔からもすべての感情が抜け落ちて、光を失った瞳は何もない虚空をぼんやりと見つめている。


「……このよがなければ、わたしがうまれることもなかった……」


「リューリ、あなた、まさか――」


「……こんなせかいは、なくなってしまえばいい」


 明るい鳶色をしていたリューリの瞳が、突如として漆黒に染めあげられる。

 そしてさらには眼球そのものが漆黒に染まり、両目は二つの黒い穴と化す。そこからこぼれ落ちた漆黒が、涙のように頬に滴った。


 ステラは弾かれたような勢いで、バックステップを踏む。

 それと同時にリューリの小さな体が漆黒の炎に包み込まれて、父親が動物めいた悲鳴をほとばしらせた。


「わー、なんでなんで? この世界でも、『破戒物ブレイカー』が生まれるの?」


「どうやら、そうみたいだね。きっとこの世界も、混沌に呑み込まれつつあるんだよ」


 ステラとジェジェが語らっている間にも、リューリの身を覆った漆黒の炎は膨張していく。

 ステラは素早く身をひるがえし、もののついでのように父親の襟首をひっつかむと、家の外に躍り出た。


 次の瞬間、漆黒の爆炎によって石造りの家屋が木っ端微塵に吹き飛ばされる。

 そして、漆黒の爆炎は竜巻のように渦を巻き――やがて、全長五メートルはあろうかという巨大な狼の姿に変容したのだった。

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