クーデレ幼なじみの甘い支配から逃れたい

種見かき

第1話

 このままでは俺は駄目になる。

 そんな漠然とした危機感を抱えてから、果たして何年が過ぎたことだろう。


 夏休みの宿題と一緒だ。

 なんとかしなければいけないと常々思いつつも、まあまだ焦るほどでもないだろうと呑気に構えて問題を先延ばしにしていたら、いつの間にか高校三年生の春を迎えていた。


 来年には大学進学。華のキャンパスライフ。

 そしてゆくゆくは就職。結婚。子育て。


 これから待ち受ける人生のあれやこれやを考えたら、いい加減にそろそろ決着をつけねばなるまいて。でないと、本当に取り返しのつかないことになってしまう。


 朝。

 ビルが建ち並ぶ都会の一等地に高々そびえ立つ最高級タワマンの最上階。その贅の限りを尽くしたようなダイニングルームにて。


 氷のごとく冷たく薄い表情をした水前すいぜんこのかと向かい合わせに座った俺は、だから、重々しく切り出したのだった。


「なあ……このか。大事な話があるんだ」

「結婚ですか? なら、まずは式場をどこにするかを決めないといけませんね」

「いや、違くて」


 俺は手を否定の仕草で横に振る。

 お抱えのシェフが作った朝食をナイフとフォークを駆使して口に運びながら、このかが不思議そうに首を傾げる。

 

「では、なんの話でしょう」

「……俺、大学は、このかとは別のところに進学したいと考えているんだ」


 言った。ついに言ってしまった。

 彼女の支配から抜け出す最初の一歩目となる決定的な言葉を。

 すると、このかは「ほう」と動じたそぶりは見せないまま、赤く輝く大きな瞳をわずかに細めた。


 そしてぱちりと指を鳴らす。

 その音を合図にして、さっそうと黒服の執事が一人、このかの傍らに素早く現れた。このかが小声で何事かを指示して、やがてその執事が一枚の紙切れを持って来た。


「ユズくんがそこまで言うのなら相当の覚悟があってのことなのでしょう。わかりました。認めますよ」


 そう言って、クールな声と表情を少しも崩さずに、このかがその紙を俺の前に差し出してきた。


「ただし、ユズくんが私にしている借金を全額、返してくれたらの場合ですが」


 ――借用書、とその紙の一番上にでかでかと記載されている。金額は……まあ具体的な額は言うまい。ゼロが八個並んでいる。


「………………」

「どうしましたか? 小切手でも振り込みでも現金とっぱらいでも返済方法は問いませんよ」

「生意気言って申し訳ございませんでした。俺の命はこのか様あってのものです。吹けば飛ぶような塵芥のごとき身ではありますが、どうか今後とも何卒よろしくお願い致します」


 それまでのトーンを百八十度翻して、俺は深々と頭を下げた。「よろしい」とこのかが背中に垂れた黒髪を揺らして満足げに頷く。


 今日も俺は、このかの支配から逃れられない。

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