プロローグ
プロローグ
状態異常魔法使いの幸福な再婚
「……婚約は、ここで終わりだ」
王都の謁見室は、やけに明るすぎた。
磨き上げられた大理石の床が光を跳ね返し、視界の奥で白く滲む。
甘ったるい百合の香りが鼻の奥に残って、リリアはわずかに眉をひそめた。
「理由を、お聞かせいただけますか」
声は震えていなかった。
それだけが、彼女の最後の矜持だった。
「決まっているだろう。――お前は“役に立たない”」
アルベルトはため息混じりに言い放つ。
その背後で、侍女が抱えた花束が揺れた。
赤、白、紫。
色が多すぎて、香りが強すぎて、リリアのこめかみがずきりと痛む。
「攻撃魔法が使えない。
戦争も、外交も、威圧もできない。
俺の隣に立つ資格がないんだよ、リリア」
「……そう、ですか」
喉の奥が、ひゅっと狭くなる。
それでも彼女は、視線を逸らさなかった。
「私は、治癒も、鎮静も、状態調整もできます。
兵の疲労を取り、夜を眠らせ、恐慌を抑えることも――」
「そんなものは地味すぎる!」
アルベルトの声が跳ね上がる。
その瞬間、空気がびりっと震え、リリアの鼓膜が悲鳴を上げた。
「花火のような魔法が必要なんだ。
人の心を掴むのは、派手さだ。
安心だの、静けさだのは、後回しでいい」
――後回し。
その言葉が、胸の奥で小さく崩れた。
(ああ……)
リリアは、そのとき初めて気づいた。
(私、ずっと……うるさかったんだ)
この人の声も、
この部屋の光も、
この香りも、
この“期待”も。
「……わかりました」
そう言った瞬間、体がふっと軽くなった。
失われたはずなのに、解放されている。
「婚約破棄、受け入れます」
「話が早くて助かる。
――ああ、これを持っていけ」
投げ渡された花束が、リリアの腕に当たる。
花弁が一枚、床に落ちた。
「餞別だ。感謝しろよ」
リリアは花束を見つめ、静かに首を振った。
「……お気持ちだけ、いただきます」
そのまま花を床に置き、背を向ける。
歩き出した瞬間、
胸の奥に溜まっていた息が、ゆっくりと吐き出された。
◆
追放先は、辺境。
城とも砦ともつかない、古い石造りの館。
「……静か」
扉を閉めた瞬間、耳がほっとする。
風が木々を揺らす音。
遠くの水のせせらぎ。
誰かの怒鳴り声も、命令も、期待もない。
「ここなら……息ができる」
そのときだった。
「……君が、新しい管理者か」
低く、掠れた声。
振り向くと、窓際に男が立っていた。
黒髪、深い隈。
強すぎる魔力を抑えきれない者特有の、張りつめた気配。
「近づかないでくれ。
……音と、気配が……辛い」
言葉の端々が、切れている。
呼吸が浅い。
肩がこわばっている。
(神経過敏……)
リリアは、反射的に理解した。
「……失礼します」
彼女は何も言わず、ただ一歩下がった。
魔法陣も、詠唱もない。
ただ、
空気を撫でる。
温度を半度下げ、
音を少しだけ丸くし、
光を柔らかく散らす。
「…………」
男の肩が、わずかに下がった。
「……今、何を?」
「何も」
リリアは微笑む。
「ただ、ここにいます」
沈黙が落ちる。
だが、それは痛くない。
男が、ぽつりと呟いた。
「……君の沈黙は、うるさくない」
その言葉が、胸にすとんと落ちた。
(ああ……これだ)
派手な言葉も、
燃えるような愛も、
必要ない。
ただ、
神経が安心する距離。
「……リリアと申します」
「ギルバートだ」
短い名乗り。
それだけで、十分だった。
窓の外で、風が木を揺らす。
二人の呼吸が、ゆっくりと重なっていく。
――こうして、
“誰にも理解されなかった魔法”は、
初めて、居場所を得た。
そしてこれは、
最も静かで、
最も確かな
逆転劇の始まりだった。
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