パイナップルの思い出
須田釉子
パイナップルの思い出
母はクリスマスが近づくたびに「パイナップルの缶詰」の思い出を話してくれる。とは言っても、幼い頃にサンタさんが持ってきてくれたという単純なお話なのだけれど。
まだ母が小学生くらいの頃。昭和時代の母の実家は米農家だった。当時としてはそれほど栄えていない町の一角。幼い母は、クリスマスを心の底から楽しみにしていた。なぜなら、サンタさんが来てプレゼントをくれるからだ。
当然、母の父母世代にクリスマスなんて文化に馴染みはない。だから彼らはよくわからない外国の文化をなんとかして再現しようとしたのだろう。クリスマスの夜、祖父母は子どもたちの枕元にパイナップルの缶詰を置いたのだそうだ。
当時はまだ珍しい高級品だったパイナップル。それは一缶分を丸々と食べ尽くしていい優越感と背徳感を合わせ、母にとって最高のプレゼントだった。
同級生は返信できない魔法の鏡をもらっていたと言っていたが、母はそれで父母を恨むことをしなかったらしい。まだ正体もわからなかったサンタさんが運んできてくれたパイナップルの缶詰。それは母の記憶に半世紀近く残る感動をもたらしたようだった。
祖父母はもう帰らぬ人となり、母もいい歳となった。その人生の中で贅沢なご馳走をたくさん食べてきたはずなのに、彼女は未だにパイナップルの缶詰の思い出を話し続けている。最近見つけたという美味しいケーキ屋さんのホームページを眺めながら、彼女はまたパイナップルと呟いていた。
「よくわからないなぁ」
母の思い出話は興味深かったが、平成と令和を生きる私には共感に乏しい昔話だ。わからなくていい、と彼女は微笑む。わかった、と私は返答してそれ以上の深追いをやめた。この思い出の真髄は、きっと彼女だけのものなのだから。
兎にも角にも、クリスマスが近づくと彼女はきまってこの話をする。蝉の鳴き声が夏を告げるように、木枯らしが冬を告げるように。母のパイナップル缶の思い出は、我が家に季節のイベントの訪れを予感させる風物詩と化していた。
クリスマスイブの日、私はスーパーに買い出しを頼まれていた。私と同じ年頃の子持ちサンタクロースのために、五千円程度のお菓子袋が山積みされている。ただし、常時手元不如意な独身女性はそんなものに手が出せない。次に目に付いたのはクリスマスケーキのデコレーションコーナー。スポンジの間に挟めるように、と大量のデコレーションパーツや缶詰が積まれている。
その瞬間、脳裏にある計画がひらめいた。私は肩を震わせながら財布の中身を確認し始めた。……無事に実現可能の目処がついた。今夜、作戦を実施する。
夜。不規則な寝息を立てる母の顔を横目に、私は銀色の円筒形を静かに置く。その脆弱なラベルには「パイナップル」の文字。
メリー・クリスマス。
子どものように眠る母を起こさないように戸を閉める。どうやら、我が家のサンタさんも攻守交代の時期が来たようだ。
パイナップルの思い出 須田釉子 @sudayuko
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