ロマン
Alp
ロマン
私は冬に無口になる。
最近の冬季はめっきり寒く、誰も外に出ようとしない。唸る荘厳な吹雪が私たちに鼻や耳や唇や、肺の細胞の一つ一つまでに、針状の氷を突き刺してくるような冬を私は熱狂して楽しむことができなかった。
およそ400年前に作られた街灯があり、雪の静かなベールの中に滲んだ。近世期に整えられた市街地の街並みも、蜃気楼のようにぼやけて何重にも重なって見えた。北の海の底にいるように、殊に静かな日々だった。
私は寝る前に、胸の奥で温めていた息を吐いて、自分の体温を確かめた。まどろむ深夜近くである。
生命の泉に近づいたような、命の勇猛さ、神の愛の慈悲深さ、世界の寡黙なありように気づいた。私はその時だけ生きていた。
すぐに息は外気で冷え、そういう考えも失われるのだが。
私はそういう反復を繰り返しながら眠った。
ある朝、知人の老人の不調を見舞ったところ、冷え切って死んでいた。僕の無口なところは、嘆きもせず、静かに頷いて涙もしなかった。
ロマンティックな物語であれば情熱的にとある人の夭折を天に仰ぎ叫ぶだろうが、もはや帝国が滅びて千年以上経った黄昏の時代、私は涙を浮かべようにも浮かべられなかった。
寡黙な心は冬中を支配した。街を走る子どもの姿もただの現象として処理した。
春になると、凍りついた心は徐々に融解し、いくらか心にも華やかな気持ちが湧いてきた。
朝起きるのが早くなった。虫や鳥や牛の細かな声が重なった合唱に起こされていたのだった。
私は朝のまだ冷たい水が、冬と違ってやけに美味しく思った。
朝日がかすかに入り込む低層の部屋で、埃がちだったが、かえって宝石の粉が煌めくように見えた。
生活はある。繰り返される日々は、どうも私の心を前向きにし、死んだ老人のことなぞ忘れていった。
この春はずっと川にいて、上流から流れてくる冬眠明けの魚を釣り、鳥にやっていた。私は花の上に座り、潰してしまって、そうして一日を終えた。次の日も朝霧が立ち込める頃からその川に行き、早いうちには鳥と話したり、昼間は散歩する貴婦人や子連れと話した。内容は、何だったか。
ともかくもそういう朝のルーティンの中で出会ったひとりの可愛らしい人と、いつのまにか親しくなっていた。もう名前も、顔も忘れたが、その人と過ごした時に去来する花畑のような浮ついた感覚が、どうも癖になって忘れられない。かすかに残る冬の気配を置き去りにして、その人と夜は共に過ごして、夏を迎えた。
夏は、煩わしいが、しかし光の国に私はいた。街中のいたるところの木々は芳醇に葉をつけて、春とは違った花の匂いを出していた。
人々の市も賑わい、私と恋人は頻繁にそこに出かけた。享楽にふける市民の声と貌が世界を動かしていた。うまい店や道端の画家や、夜は酒場を驚くほど少ない銀貨を袂にして巡った。
この時、私は毎日疲れて眠ったが、満足していた。
光が燦々と降り注いだ。まるで雨のように……。
木々の葉を通り抜け、私たちを穿ち、照らした。
どうも格段騒がしい日があって、騒ぎに駆け寄ってみると、五年間の戦役に行っていた兵士が帰還したのであった。この長期的な戦いにかかわらず戦闘は平和的で、互いにおもちゃ遊びのような交流をしていたため、兵士はほとんど欠けず戻ってきていた。
その兵士の家族が駆け寄り、涙を流すので、私は驚いた。冬、知人が死んでも動揺も見せなかった私と違って、彼らは正反対のことに涙を流している。嬉しみが涙を誘っている。これはどうか、あたかも悲劇で見たロマンティックに嘆く演者の姿にそっくりではないか。
私は気分を良くして家に帰った。ロマンとはこういうところに生きるものなのだと噛み締めた。夜が近かった。
秋。
夕日が山の尾根をなぞってよく輝く季節であった。
私と恋人は丘に登って、ふたりで地平線まで伸びる雄大な平野を眺めた。
そこの景色の大半はまだ開拓されていない湿地や荒地で、ところどころに家と畑が際立ってあった。
草木は身を潜めて緑を落とし、黄昏の光は大地を黄金に染め上げた。一刻一刻を照らす光が毎度毎度違った絵を映し出す。私はその流れ、波に乗って、そこに気分を移ろわせ、うっとりした。低地で活動する全ての生き物や人が予定調和で動くちっぽけな模型に見えていた。
気がつくと夜だった。郊外で見る夜は、市街とはまた違って、私は冷ややか闇の中でただ眠る存在になっていた。手に負えない程広い天球は、私を無感情に見下ろすのだった。
そういえば、この日以降恋人と会った記憶もないのであった。いつのまにか、元から存在しなかったかのように、跡形もなく消えてしまった。
秋も深まり、夏は大昔の出来事になった。
人々はだんだん外に出なくなり、市も閉まりがちで、街はまた寝支度を始めた。黄金に輝いていた野原も、より終末的で退廃した空気を醸し出していた。
私は去年のように冬支度に追われて、日常を消化した。
ある時は、今年バカンスで来ていた北方の友人を駅まで見送りに行った。
私は何日も繰り返して、夕方は夕日に燃やされる山を見ていた。
そうして年を越す頃に長らく見なかった雪をみると、私はまた抑鬱的な気分になって、老人の死を思い出すのだった。帰還兵の凱旋のことなど忘れてしまった。恋人はいなかったも同然だった。世界が黄昏に見えた。私はまたベッドに潜り、口に息を当て、凍えた。
きっと去年も同じだったのだ。来年も、また次の年も、冬はそんな交流がない知人の老人の死を見て黙り、夏は見ず知らずの兵士の帰還を喜んで、恋人を忘れ、四季に踊り、また眠る。
繰り返し、繰り返し、そして私は死ぬのだろう。
ロマン Alp @QuantumQuill
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